茶室「八窓席」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:36 UTC 版)
重要文化財。崇伝の依頼により小堀遠州の設計で建てた三畳台目の茶室。東側の南に床(とこ)、北に台目畳の点前座を並べる。点前座には中柱を立て、袖壁を付ける。躙口(にじりぐち)は西面の北寄りに設ける。躙口は茶室の隅に設けるのが通例だが、本席では隅から2尺ほど離れた位置に設けるのが特色である。南面は襖2枚を立てて貴人口とし、点前座背後の東面は火灯口を開けて茶道口とする。 躙口(にじりぐち)前に縁を設け、躙口を入った正面に床(とこ)と点前座を左右に並べる点、赤松皮付の床柱に黒塗框という取り合わせなど、「遠州好み」の茶室の典型的な作例である。『本光国師日記』によれば、寛永5年(1628年)までには完成していた。八窓席と称するが、窓は西面の躙口上に1つ、北面の壁に3つで、床脇の墨跡窓、袖壁の下地窓を含めても窓は6つである。創建当時は名称通り8つの窓があったが,明治時代の修築で6つとなったという。なお、建物修理の際の調査で、この茶室は遠州が創建したものではなく、既存の前身建物を遠州が改造したものであることが判明している。 大徳寺孤篷庵、曼殊院の茶室と共に京都三名席の1つに数えられる。
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