茶室の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 01:31 UTC 版)
伝統的な茶室は、露地と称する庭園の中に建てられている。露地は、俗塵を離れた非日常的空間である茶室に至るまでの空間を演出する。 客はいきなり茶室に通されることはなく、まずは寄付(よりつき)と呼ばれる部屋で茶事に不要な荷物を風呂敷にしまい、足袋をはき替えるなど、身支度をととのえる。続いて、「待合」と呼ばれる部屋へ通され、招待客全員が揃うのを待つ(寄付と待合は1部屋を区切って使う場合もある)。全員が揃うと、露地草履に履き替えて、露地に下り、腰掛待合という屋根つきのベンチに腰掛け、亭主の迎え付けを待つ。迎え出た亭主の合図に従い客は茶室へと向かう。外露地と内露地が分かれている場合は、その境に中門があり、これをくぐって内露地へ入る。茶室までの通り道は、飛び石を配し、亭主の心遣いにより打ち水が打たれている。茶室の前に蹲踞(つくばい)があり、ここで手水を使い、手と口を清める。 小間の茶室には、にじり口という小さな入口から、頭をかがめて体を入れる(広間の茶室の場合は、普通に襖をあけて席入りする)。茶室に入ってまず目に入るのが床の間で、四季に合わせた掛け軸が掛けられている。通常床前が上座であり正客席となる。夏には風炉が置かれ、冬には炉が切られ、そこが亭主の座る手前座である。小間の茶室では、手前座のための明り取りとして風炉先に下地窓が開けられていることが多い。 客が着座すると亭主が茶道口(勝手口)から入ってきて挨拶をし茶事が始まる。天井は低く、窓からの光も必要最小限に絞られて、主客ともに茶事に集中する。懐石を戴いた後一旦露地に退出するが、また茶室に戻り、まず濃茶を一同回し飲み、ついで薄茶を味わった後、客はこの一期一会の場から静かに退出する。 にじり口には頭を下げなければ入れないので、貴人を迎える場合のため、にじり口とは別に貴人口(きにんぐち、立ったまま入れる普通の障子戸)を設けることも多い。給仕のために茶道口とは別に給仕口をもうけることもある。 記事露地も参照のこと。
※この「茶室の概要」の解説は、「茶室」の解説の一部です。
「茶室の概要」を含む「茶室」の記事については、「茶室」の概要を参照ください。
茶室の概要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:04 UTC 版)
黄金の茶室は容易に運搬可能な組み立て式の茶室であった。秀吉が関白に就任した翌年の天正14年(1586年)1月、年頭の参内で御所に運び込まれ、正親町天皇に披露された。北野大茶湯などでも披露され、文禄元年(1592年)には大坂城から名護屋城に運び込まれた。 図面は伝わっていないが、当時の記録から、壁・天井・柱・障子の腰をすべて金張にし、畳表は猩猩緋、縁(へり)は萌黄地金襴小紋、障子には赤の紋紗が張られていたとされる。また使用にあたっては黄金の台子・皆具が置かれたという。
※この「茶室の概要」の解説は、「黄金の茶室」の解説の一部です。
「茶室の概要」を含む「黄金の茶室」の記事については、「黄金の茶室」の概要を参照ください。
- 茶室の概要のページへのリンク