現在の状況と歴史
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「ミュージックサイレン」の記事における「現在の状況と歴史」の解説
岡山市の岡山県庁では、1957年(昭和32年)から第一世代機の運用が開始された。当時の知事の希望により設置されたものである。結果、第一世代ミュージックサイレンの最大音階の12音階のサイレンが採用され、午前7時小田進吾作曲「朝」、午後12時「菩提樹」、17時「家路」、21時日本古謡「子守歌」、年末24時「蛍の光」、元日午前7時「君が代」を奏でた。1991年には老朽化による第二世代機更新を行なっており、曲目も第一世代から受け継いだものになっている。第一世代機特有の単調なメロディーから、ハモリが聞かれてテンポが速くなっていて、音量が第一世代に比べ若干大きい第二世代は、運用開始当初から少々問題を抱えていた。まず、「時報の必要性」が失われている。という理由から、吹鳴を中止した事がある。しかし、これは県民による苦情で、「子供が帰ってこない」などの事が寄せられ、「県庁舎サイレンの復活について」というアンケートを実施した所、県民の7割が復活を希望したため、運用が再開した。しかしメンテナンスを全てヤマハに頼っていたため、2016年8月末のサポート終了は大きなショックとなっていた。故障しても対応が受けられないからだ。当初は、壊れるまで吹鳴を続けるという案もあったとの事だが、県知事の意向によりサポート終了に合わせて2016年8月31日、17時に吹鳴される「家路」を最後に正式に運用が終了した。県庁舎に設置されたミュージックサイレンは、未だ屋上に安置されたままである。 愛媛県八幡浜市愛宕山公園に設置された第2世代機は、八幡浜市市制施行記念日である1993年(平成5年)2月11日から運用が始まったミュージックサイレンである。ミュージックサイレンは2016年(平成24年)8月末にメーカーのサポート業務が終了しているものの、設置した業者である「南海放送音響照明株式会社」が、現在メンテナンス及び修理業務を行っている。今後も故障などが懸念されることから、同社は八幡浜市とメンテナンスの契約を結んでおり、運用を維持している。しかし南海放送音響照明は、ミュージックサイレンの制御機器(コントローラ、ドライバー)が故障した場合は修理が出来ないらしく、仮にいつ故障して再運用が出来なくなってしまっても良いように、ミュージックサイレンの音源を録音し、防災行政無線などで放送する事が出来るようになっている。定時吹鳴の曲目は、午前6時「八幡浜漁港の唄」、午後12時「みかんの花咲く丘」、午後6時「夕焼け小焼け」である。 静岡県浜松市に本社を置くヤマハ株式会社の本社工場に設置されたミュージックサイレンは、概要で述べたように1951年(昭和26年)12月20日から運用を開始した。1953年(昭和28年)にモーター駆動などの全面改良を行い、第2世代機が1987年(昭和62年)に開発され、第2世代機実用化のために1989年(平成元年)2月に第1世代機の運用を終了し、第二世代機は同年2月25日から運用が開始された。この第1世代機と、第2世代機は、装置の老朽化と設置場所の2019年度の工場4号館の解体に伴い、第2世代機が2018年(平成30年)12月28日の17時に、「蛍の光」を演奏し、運用を終了した。この日は17時を除く、午前8時「埴生の宿」午後12時「菩提樹」の定時吹鳴に加え、午前10時に「野ばら」、13時に「ユーモレスク」、15時に「故郷」の、2000年(平成12年)3月1日まで定時吹鳴だった曲目が最後に演奏された日でもある。ちなみに17時の演奏は、月曜日、水曜日に演奏される「家路」、火曜日の「峠の我が家」、木曜日の「月の光」、第一、第三金曜日の「アラベスク」、第二、第四金曜日の「トロイメライ」が演奏されるが、第四金曜日のトロイメライは、最終日が第四金曜日のため「蛍の光」の演奏となった。ちなみに、第一世代機の演奏されていた曲目は、1957年(昭和32年)の記録によると、午前7時30分、午前7時50分に「浦のあけくれ」 午前8時00分、午前10時10分、午後12時40分、15時00分に「歌も楽し」 午前10時00分、午後12時00分、14時50分に「舟歌」 16時30分に「家路」 年末に「蛍の光」 元日に「一月一日」を演奏していた。元日の曲目は、静岡大学の音楽教授に、工場内部に設置された鍵盤式スイッチで演奏してもらっていたという。 福岡県大牟田市松屋に設置されたミュージックサイレンは、1959年(昭和34年)から運用を開始し、装置の老朽化により1978年(昭和53年)7月2日に運用を終了した。曲目は、稼働当初の1959年から1963年(昭和38年)まで、6時55分「家路」、11時55分「春の小川」、16時55分「夕焼け小焼け」、21時55分「浜千鳥」が演奏されていて、1964年(昭和39年)以降は、6時55分「ボルガの舟唄」、11時55分「春の小川」、16時55分「埴生の宿」、21時55分「菩提樹」である。 宮城県仙台市にかつて存在した丸光デパートに設置されたミュージックサイレンは、丸光デパート増床改築記念として、創業者で社長の佐々木光男が、東北で初めてミュージックサイレンを導入。装置は1953年(昭和28年)10月21日に屋上に設置され、同年12月11日の吹鳴式には佐々木と、仙台市長(当時)の岡崎榮松が参列し、装置の起動ボタンを押して午前9時から吹鳴を始めた。曲目は、仙台市出身である土井晩翠にちなんで「荒城の月」が選定された。稼働当初は午前9時、午後12時、17時の一日3回、荒城の月が演奏されたが、その後、午前9時から開店時間の午前10時へ変更し、15時と21時が追加された。21時は、宮城県警察本部から青少年の健全育成・非行防止に活用して欲しいとの要請を受け、「この道」に変更された。改正後の曲目は、午前10時、午後12時、15時、17時に「荒城の月」、21時「この道」となった。ミュージックサイレンはその後、1987年(昭和62年)7月15日に故障した。昭和60年代に入ってからも、すでに発音装置のシャッターが動作しなくなってしまう物も出ていた。同年7月31日、河北新報の朝刊には、[35年目・・・消える杜の都のシンボル]という題で、ミュージックサイレンの運用停止を写真付きで報じられた。そこで、7月15日に停止した日に、市民からの丸光に対する電話が殺到した際の事を挙げると、[「"荒城の月"は私の生活のリズム。5時のが鳴ると、退社まであと30分頑張ろうと思うんですよ。」とOL。「夜9時過ぎに帰宅すると父にしかられたものでした。私の門限は、"この道"が鳴り終わるまででしたから。」という婦人もいた。]とあるように、ミュージックサイレンは、仙台市民にとっての時計としての役割を十分に果たしていたことが伺える。[しかし、市民の願いは届きそうもない。34年の歳月に耐えてきたサイレンだが、音階の一部が抜け、音程も微妙にズレてきており、相当"重症"になっているからだ。]とある。[「市民の方々からの励ましの電話、仙台のシンボルとしての長年の活躍を考えると、このまま廃止するのは忍びない。しかし、音の問題を考えると、このサイレンが現在の都市環境にマッチしているのかどうか、改めて吟味することが必要でしょう。」]という、丸光側の配慮により同年9月23日に2回のみ荒城の月を最後に演奏し、運用が終了した。 大分県大分市のトキハ本店に設置されたミュージックサイレンは、トキハ本店ミュージックサイレン管理担当者によると、1954年(昭和29年)に設置され、1970年(昭和45年)に店舗面積拡大に際して一号機の運用を終了した。1975年(昭和50年)に現在の建物に増床し、その記念として1954年のモデルと同じモデルを新たに屋上に設置した。曲目は、開店時間の午前10時に小田進吾作曲の「朝」、12時「花嫁人形」、閉店時間の19時に「アニーローリー」を現在でも演奏している。過去には、「ブラームスの子守唄」と「君が代」が演奏されていた記録が残っているとのこと。つい最近まで、装置の老朽化のためか、2音階が鳴っていなかったが2022年6月頃に、発音装置が原因不明の復活をし、正確な曲目が奏でられるようになった。トキハ本店の担当職員は、「ヤマハファインテック株式会社はミュージックサイレンのサポートを終了しているため、修理業務が行えないが、定期的に自主メンテナンスを行って、運用を維持している」と話しているため、発音装置が復活したのは装置自身の電磁石の力による物と考えられる。 山県市役所美山支所に設置されたミュージックサイレンは1994年(平成6年)9月30日に設置され、同年10月1日から運用を開始したが、1996年(平成8年)までの2年間しか運用されず、運用を終了した。理由に関しては、山県市役所防災対策本部の担当者によると、設置されている美山支所の庁舎のすぐ付近に住居があり、そこからの苦情が相次いだためという。演奏に関しては、行政無線でのお知らせのために、チャイムのメロディを演奏していたという。演奏曲の時間帯は、当時の資料に詳細が載っていなかったため不明との事だが、演奏されていた曲目は「ユーモレスク」「峠の我が家」「埴生の宿」「ブラームスの子守歌」「野ばら」「故郷」「月の光」「江戸の子守歌」「家路」「ガボット」の10曲であった。2023年度に庁舎の改修工事が行われる予定で、このミュージックサイレンも姿を消す可能性が高いと言う。 愛媛県宇和島市宇和島城に設置されたミュージックサイレンは、第1世代機が1960年(昭和35年)4月10日12時から運用が開始され、老朽化で1991年(平成3年)12月1日、第2世代機に機種を交替した。宇和島市役所の担当者によると、第1世代機の1960年当初の曲目は、6時「靴が鳴る」、12時「散歩唱歌」、18時「埴生の宿」、21時「賛美歌405番 また会う日まで」が流されており、1970年(昭和45年)4月10日より、6時「アニーローリー」、12時「靴が鳴る」、18時「故郷の空」、21時「埴生の宿」を吹鳴していた。予備の曲目として、21時「家路」があった。その後、1991年に交替した第2世代機の曲目は、6時「鉄道唱歌」、12時「とんび」、18時「故郷」、21時「宇和島さんさ」が吹鳴されていて、こちらも予備曲目として21時「八ツ鹿おどり」が用意されていた。宇和島城のミュージックサイレンは、定刻通りに演奏がされなくなったことや、発音装置のシャッターの故障が頻発したこと、ミュージックサイレンのすぐ近くにホーンアレイスピーカーが建設されたため、2014年(平成26年)頃に運用を終了した。現在は、建設されたホーンアレイスピーカーや、宇和島市各所に設置されているFM告知放送・屋外拡声子局、地元コミュニティFM局のFMがいやで、録音された第2世代機の音源をかつての時刻に放送している。また、かつて宇和島城ミュージックサイレンのメンテナンスを行なっていたのは、現在の八幡浜市のミュージックサイレンの専属業者である「南海放送音響照明株式会社」である事がわかっている。 旧伊賀市役所のミュージックサイレンは、1959年(昭和34年)に上野産業会館の屋上に設置されたミュージックサイレンが老朽化で1982年(昭和57年)に上野市役所へ移転したものである。運用を開始した上野産業会館のミュージックサイレンは、現在のミュージックサイレンの8音階の物とは異なる4音階の物であり、当時の曲目は、7時及び12時「魔弾の射手」、18時「家路」、22時 「夢路の歌」が流されていた。この「夢路の歌」は、上野市桃青中学校「東仁己」教諭作曲の 4 音用創作歌で、このサイレンのために作曲された曲である。1982年に8音階のモデルへと更新し、当時の上野市役所(伊賀市役所)の屋上へと設置された。上野市教育長の曲目選考委員会の選出の結果曲目は、7時「朝」、12時「芭蕉~さまざまなこと思い出す桜かな~」、18時「家路」、22時「ブラームスの子守唄」となり、現在でも吹鳴されている。また4音階のモデルのミュージックサイレンは冬場によく凍結したため、8音階のモデルへ更新した際に周りを覆うように箱が取り付けられた。 みちのく銀行大館支店(旧弘前相互銀行大館支店)のミュージックサイレンは、職員によると、当時の伝票に記載されていたのは「日本楽器製造から購入したミュージックサイレン」とあるらしく、装置は1955年(昭和30年)6月18日に日本楽器製造から発送され、同年6月23日に銀行に装置が到着。その職員が務め始めた1981年(昭和56年)4月当時はもうすでに鳴っていなかったと言う。現在も、建屋の屋根に設置されているボックスの中に「モーターのような物があり、重すぎて撤去が難しいためそのまま入っている」と言う。吹鳴されていた曲目の演奏時間は不明だが、「春の小川」、「靴が鳴る」の2曲が流されていたとみられる。 国鉄土崎工場のミュージックサイレンは、日本楽器製造社報によると、1956年(昭和31年)8月22日に日本楽器製造から発送されたもので、ミュージックサイレン製造の50台目であったという。現地住民によると、45年~50年程前までは吹鳴がされていて、始業時間の8時(曲名不明)、12時(曲名不明)、終業時間の17時に「家路」、隣接する国鉄工場職員用官舎へ向けて就寝を促す目的で21時に「埴生の宿」が流されていて、時間帯は不明だが「この道」が演奏されていたという。吹鳴が終了した背景には、新規住民による苦情で終了したという話が聞かれ、付近に所在する陸上自衛隊秋田駐屯地から流れていた6時の起床ラッパも、同様の理由で廃止されたという話が聞かれた。 丹波篠山市の王地山公園のミュージックサイレンは、現存資料によると1957年(昭和32年)11月に設置され、老朽化で撤去される2003年(平成15年)まで、8時に小田進吾作曲「朝」、12時に「吹け春風」、17時に「夕焼け小焼け」、22時に「家路」を吹鳴していた。また、吹鳴当初は午前5時に「アニーローリー」も吹鳴していたという。2003年(平成15年)にミュージックサイレンが撤去されて新たにスピーカーが設置され、8時「朝」、12時「吹け春風」、15時「デカンショ節」、17時「夕焼け小焼け」、現在は鳴動していない22時の「家路」が鳴動している。 玖珂町役場のミュージックサイレンは、平成2年に通常のモーターサイレンからミュージックサイレンへの切り替えを行っており、この頃からミュージックサイレンの運用が始まった。廃止理由は旧玖珂町時代に整備したアナログ防災行政無線をデジタル化したためだという。現物は職員の方が捜索したそうだが見つからず、平成11年のの防災行政無線導入時に撤去されたものと思われる。曲目は正午「玖珂町歌」17時「ふるさと」が流されていた。
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