主要な国鉄蒸気機関車とは? わかりやすく解説

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主要な国鉄蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 02:51 UTC 版)

国産の国鉄蒸気機関車」の記事における「主要な国鉄蒸気機関車」の解説

()内は製造年・期間 9600形2代目)1913年から1926年貨物列車用のテンダー機関車朝倉希一指揮の下、太田吉松主任設計者として開発進められ国有化後の制式機として初め本格的な量産が行われた蒸気機関車である。サンプルとして輸入され8900形経験から思い切って重心高の引き上げ実施し効率良い大径ボイラー台枠上に載せ、広火室、それにシュミット過熱装置採用で、画期的な大出力を実現した軸重比較的軽い割に出力大きいため総じて実用性高く四国除いた各地使用された後、蒸気機関車終焉迎えたときにも最後に現役退いた8620形1913年から1929年旅客列車用では、初の本格的生産至ったテンダー機関車サンプルとして輸入され一部国内スケッチ生産実施された軸配列2Cあるいは2C1の8700・8800・8850・8900形中でも特に8800形設計参考開発され国産化技術確立目的として設計製造なされたモデルとなった各形式は2軸先台車備えていたが、本形式全長短縮してターンテーブル径の小さな機関区でも転向可能とすることと、コストダウン目的として1軸先台車採用された。ただし、欧米同種機構参考島安次郎考案した、島式先台車呼ばれる先台車と第1動輪をリンクで機械的に結合し先輪誘導方向に第1動輪スライドさせる機構導入することで2軸先台車匹敵する曲線通過性能確保してあった。コンパクト化汎用性追求したことが功を奏し地方線区蒸気機関車末期まで使用されていた。 C51形当初18900形。1919年から1928年幹線旅客列車大型(のちには中型テンダー機関車強硬派広軌改築論者であった島安次郎鉄道省を去る際に置き土産的に計画し当時狭軌鉄道では世界最大の1750mm動輪採用画期的な成功収め皮肉なことに広軌改築論への強力な反証材料となった以後国鉄で、大型蒸気機関車一つ指標とされた。戦前超特急「燕」の牽引機として、また昭和20年代までのお召し列車牽引機として使用された。 D50形当初9900形。1922年から1931年9600形よりさらに大型化された、幹線貨物列車テンダー機関車大正末期から昭和初期にかけ、大量に製造された。ミカド型 (1D1) の軸配置は、後継機D51形にも受け継がれた。本機強固な棒台枠国鉄制式機として初採用したが、それはワシントン海軍軍縮条約発効に伴う八八艦隊計画キャンセル伴って発生した膨大な余剰良質鋼材流用叶って初め実現可能となったものであった。このことから、当時日本においては蒸気機関車設計製造当たって自国製鋼技術鋼材生産能力大きな足枷となっていたことがうかがい知れる。このD50形日本離れした非常に贅沢な造りとなっており、何故か一般に欠陥多かった様に吹聴されているが、動輪上重量がわずかながらD51形より大きく空転しにくく、また走行時の動揺少なかったためもあって、その真価正しく理解した機関区から寄せられ評価は非常に高く限界領域で無理が効くとしてD51形上の信頼寄せられたという。だが、曲線通過性能に難があったため、分岐器カーブでの線路への負担大きく配備先限られたものになった。また現在につながる貨物列車牽引定数地上設備としての鉄道施設規格などは、本形式性能諸元基準になっているC53形1928年から1930年米国アルコ社から輸入され8200形(のちのC52形)の使用実績基づいて同社からライセンス供給受けたグレズリー式弁装置による3シリンダー機構採用しC51形上回る性能目指し主要幹線旅客列車用の大型テンダー機関車砂箱ボイラーから下ろしてランボード上に移すなど低重心化の徹底図られており、3シリンダー化もその一環であった。だが、「様々な機能的欠点」を抱えているグレズリー式弁装置を十分咀嚼せぬままに安易に引き写し弁装置台枠不具合続出し保守困難さもあって他国のグレズリー式同様に本機極めて短命な機関車となった。 C54形(1931年)・C55形1935年から1937年)・C57形1937年から1947年いずれもC51形と同クラスで、より近代化され旅客列車テンダー機関車日本において「中型パシフィック機」と呼ばれるこのクラス機関車は、C54形こそ構造面での問題抱え満足に性能発揮出来なかったが、C55形C57形全国の亜幹線主力として活躍、また特にC57形長く改良増備重ねられ旅客列車用の蒸気機関車としては最後に定期運用引退したD51形1936年から1945年幹線貨物列車用の大型テンダー機関車戦時体制背景に、半流線型初期形から戦時仕様最後期形まで仕様変えつつ1,100両を超える大量が行われ(機関車としては日本最多記録)、四国土讃本線含め全国配備された。安定した性能夥しい両数から「デゴイチデコイチとも)」の愛称広く親しまれ蒸気機関車代名詞ともなった。ただし性能面では粘着力にやや難があり、特に半流線型初期形では重量配分悪さから重量列車牽き出し時には空転しやすい傾向にあった。そのため線区によっては、D50形ほどには信頼性高くない場合もあったが、全国活躍したため運転に関わる立場からも普通の人々にも「力強い」というイメージ残し急勾配でも絶対に止まることのない機関車として信用されていた。なお貨物運用蒸気機関車として最後に現役退いたのはD51形だった。 C10形1930年から1931年)・C11形1932年から1944年都市近郊列車ローカル線入れ替え用の小型機関車は、昭和初期まで、老朽化した輸入機関車補われていた。それらの代替近代化目的開発されタンク機関車上記2形式である。比較小型だが駿足誇り、特にC11形全国各地汎用性の高い機関車として重用された。なお、軸配列は1C2だが、これはバック運転逆機)で使用する走行特性パシフィック機と同等となるため、特に高速運転の快速列車などに充当される際には逆機使用されるケース多く見られた。 C12形1933年から1947年)・C56形1935年から1939年C12形は、簡易線規格ローカル線伸長に伴い開発された、C11形クラスよりさらに小型軽量タンク機関車。これをもとに、長距離簡易線向けに作られユニークな小型テンダー機関車が「ポニー」と呼ばれたC56形である。C56形逆機容易にするためにテンダー両サイド欠き取られているのが大きな特徴である。もっとも、C12形C56形コストダウン狙ってそれぞれ配列1C1・1Cとされたが、C56形については逆機時には脱線避け目的でかなり厳し速度制限課せられていた。 C58形1938年から1946年) 亜幹線・主要ローカル線向けに、従来9600形8620形双方役割兼ねる、客貨両用汎用機として開発され軸配置1C1の中型テンダー機関車D51形類似した外見を持つ。耐候性の高い密閉式運転台を、国鉄蒸気機関車初め採用したボイラー圧力D51形などの15.0kg/cm2を上回る16.0kg/cm2だが、ボイラーの缶胴などの強度設計は18.0kg/cm2を前提としており、実際にこの圧力昇圧して試験行われた。しかし、試験結果ボイラー本体の製作コスト増もさることながら補機メンテナンスコスト増が極端に過大となることが判明し最終的に16.0kg/cm2のままに据え置かれることとなったC59形1941年から1947年失敗作であったC53形後継として、東海道・山陽本線向けに開発され旅客列車大型テンダー機関車堅実な設計総じてバランス良かったが、非常な重量級機関車であったこのため東海道山陽線以外への転用難しくまた、特に戦前形煙管長があまりに過大重心釣り合い位置前方シフトするために採用されたが、当時ドイツ長煙管流行していたのも一因であった)であるうえ、燃焼室持たないために熱効率悪く従輪にかかる負担極度に大きいという弱点があったため、その設計について疑問の声も聞かれる。それでも現場で信頼性高く呉線での現役末期に至るまで、優等列車充当された。後年電化進展幹線追われC59形そのままでは転用先がなく、経年若かったことから動軸について軸重軽減工事実施して多数ハドソン軸配置改造されC60形となった。もっとも、C60形改修され動軸重は軽減されても総重量軽くなるどころか幾分増加しさえしたので、運行線区にある橋梁負担荷重制限などの条件改造前よりむしろ厳しく軸重制限クリアされても入線可能線区限定されていた。 D52形1943年から1945年激増する戦時輸送対応するために開発された、日本最大貨物用テンダー機関車にして日本最高出力蒸気機関車戦時設計生産故に問題多く、特に工員技量低下由来する溶接不良主因となり、戦時中から戦争直後はしばしボイラー事故(その中には最悪不祥事であるボイラー爆発事故さえ含まれていた)を起こした重量級であるため幹線以外の転用先は限られ比較早期引退している。ただし、出力増大軽量化、それに生産効率化のために前例主義廃して導入されさまざまな手法技術には見るべき点が多く、特に大胆な軽量化設計その実績は、以後車両設計大きな影響与えたC61形1947年から1948年)・C62形1948年から1949年いずれも戦後混乱期旅客輸送需要増大応じ目的で、連合軍総司令部担当将校助言に従って余剰貨物用機関車からボイラー流用し、これにC57形C59形足回り組み合わせ予算改造扱いとして実質はほぼ新製建造され旅客列車大型テンダー機関車である。搭載されボイラー極めて大型であるため、国産機としては初めて2C2の「ハドソン型」軸配置採用ローラーベアリング(先・従台車およびテンダ台車使用)や自動給炭装置ストーカー)などの新機軸導入している。いずれもアメリカ流のラージエンジンポリシー(大型機関車部分負荷運転の方が小型機関車の全負荷運転よりかえって経済的であるとする考え方)に沿ったのであるが、2軸従台車重心移動その他の微調整により、動軸軸重変更可能であり、標準より1ランク下の線区への転用を可能とした。特に、旅客列車用としては日本最大機関車であるC62形は、数多く特急・急行列車牽引した機関車として名高いE10形(1948年日本最大最強タンク機関車で、輸入機の改良コピー品であった4110形の老朽代替目的として、奥羽本線板谷峠特化して設計された。緊縮財政下の予算難もあり建造は必要最低数の5両に留まった。5動軸1E2配列であり、新造当初煤煙対策として後進定位、つまり逆機標準とする運転台機器配置となっていたのが特徴である。電化急速な進展によって早期に本来の任を解かれ線区転用されたが、横圧過大に悩まされるなどの問題点抱え入線当たって軌道強化強いられた線区もあった。両数とその特殊性から、以後間に合わせの様な運用充当され続けた国鉄としては最後に新規製造した蒸気機関車である。 〔戦後改造大型C60形D60形D61形D62形動力近代化の波に押され主要幹線追われ大型蒸気機関車一部は、1950年から1960年にかけ、重量対策従輪追加改造を受け、新しい形式名を与えられた。これらは地方の亜幹線・主要ローカル線最後活躍見せることになる。

※この「主要な国鉄蒸気機関車」の解説は、「国産の国鉄蒸気機関車」の解説の一部です。
「主要な国鉄蒸気機関車」を含む「国産の国鉄蒸気機関車」の記事については、「国産の国鉄蒸気機関車」の概要を参照ください。

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