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さいゆうき さいいう― 【西遊記】
(2)中国、明代の口語体の長編小説。一〇〇回。呉承恩作。1570年頃成立。四大奇書の一。唐の玄奘(げんじよう)(三蔵法師)がインドへ行き、中国に仏教の経典をもたらした史実を軸に、そのお供の孫悟空・猪八戒(ちよはつかい)・沙悟浄(さごじよう)が妖怪どもを退治して玄奘を助ける活躍ぶりを描く。それまでの同種の説話・芝居・物語類を集大成し、登場人物に強い個性を与えて作りあげたもの。
(3)紀行・随筆。正編・続編各五巻。橘南谿(春暉)著。1795~98年刊。角書(つのがき)に「諸国奇談」とあるように、作者が1782年から山陽・西海・南海に旅した際に見聞した奇事・奇談を収める。「東遊記」と併せて「東西遊記」という。
映画情報 |
西遊記
| 原題: | |
| 製作国: | 日本 |
| 製作年: | 2007 |
| 配給: | 東宝 |
| スタッフ | |
| 監督: | 澤田鎌作 サワダケンサク |
| 製作: | 亀山千広 カメヤマチヒロ |
| プロデューサー: | 鈴木吉弘 スズキヨシヒロ |
| 小川泰 オガワヤスシ | |
| 和田倉和利 ワダ | |
| 脚本: | 坂元裕二 サカモトユウジ |
| 企画: | 大多亮 |
| 撮影: | 松島孝助 マツシマコウスケ |
| 特撮監督: | 尾上克郎 オノウエカツロウ |
| 音楽: | 武部聡志 タケベサトシ |
| 主題曲: | MONKEY MAJIK モンキーマジック |
| 歌: | 高杉さと美 タカスギサトミ |
| 美術: | 清水剛 シミズ |
| 録音: | 滝澤修 タキザワオサム |
| EP: | 清水賢治 シミズケンジ |
| 島谷能成 シマタニヨシナリ | |
| 飯島三智 イイジマミチ | |
| 照明: | 吉角荘介 ヨシカドソウスケ |
| キャスト(役名) |
| 香取慎吾 カトリシンゴ (孫悟空) |
| 内村光良 ウチムラテルヨシ (沙悟浄) |
| 伊藤淳史 イトウアツシ (猪八戒) |
| 深津絵里 フカツエリ (三蔵法師) |
| 水川あさみ ミズカワアサミ (凛凛) |
| 大倉孝二 オオクラコウジ (老子) |
| 多部未華子 タベミカコ (玲美) |
| 谷原章介 タニハラショウスケ (文徳) |
| 小林稔侍 コバヤシネンジ (劉星) |
| 岸谷五朗 キシタニゴロウ (銀角大王) |
| 鹿賀丈史 カガタケシ (金角大王) |
| 解説 |
| 2006年に放映されて高視聴率を記録した香取慎吾主演のテレビドラマ『西遊記』を、オリジナルキャストで映画化したアドベンチャー・エンターテインメント大作。テレビ版でもメインディレクターを務め、『踊る大捜査線』など多くのドラマを演出してきた澤田鎌作が映画を初監督。中国全土でも大規模なロケ撮影が敢行されている。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| はるかなる天竺の大雷音寺を目指して、砂漠の旅を続ける悟空(香取慎吾)、沙悟浄(内村光良)、猪八戒(伊藤淳史)、そして三蔵法師(深津絵里)たち。一行がたどりついた町・虎誠は、悪鬼の金角(鹿賀丈史)と銀角(岸谷五朗)によって緑の森と水源を奪われ、国王(三谷幸喜)と王妃は呪いで亀に姿を変えられていた。残された王女の玲美(多部未華子)は、金角と銀角の退治を三蔵に懇願する。玲美に引き連れられて臥竜山へと向かう一行だが、そこにいたのは女泥棒の凛凛(水川あさみ)だった。金目のものを狙う凛凛は、虎誠に女官として紛れ込んでいたのだ。玲美の嘘に落胆した三蔵たちは山を下りるが、悟空だけは玲美を信じて行動を共にした。「なまかとの約束は守る」と笑う悟空。玲美は臥竜山の奥深くに住む祖父の劉星(小林稔侍)を訪ね、太陽をさえぎる魔力を持つ無玉を手にする。実は玲美は、その無玉を取りに行くよう金角と銀角から命じられていたのだ。いったんは別れ別れになったが、悟空の身を心配した三蔵が山へ登ると、そこは金角と銀角に支配されていた。彼らの罠に落ちた三蔵は瓢箪の中に吸い込まれてしまう。無玉も手にした銀角は、いまや無敵だった。無玉のパワーによって蘇る魔物たち。いまや虎誠は、黒雲によって覆われていた。そんな金角と銀角に闘いを挑む悟空。瓢箪の中にも飛び込んだ悟空は、三蔵を救出する。如意棒を使っての激しいバトルの結果、悟空たちは金角と銀角を倒す。王と王妃はもとの姿に戻って、ひたたび虎誠には平和な日が訪れた。深く感謝する玲美たちと別れ、悟空の一行は天竺を目指す旅を続ける。 |
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西遊記
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西遊記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/17 20:56 UTC 版)
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『西遊記』(さいゆうき、繁体字: 西遊記; 簡体字: 西游记; ピン音: Xīyóu Jì; ウェード式: Hsiyu-chi; 粤ピン音: sai1 jau4 gei3)は、中国で16世紀の明の時代に大成した伝奇小説で、唐僧・三蔵法師が白馬・玉龍に乗って三神仙(神通力を持った仙人)、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、幾多の苦難を乗り越え天竺へ取経を目指す物語。全100回で中国四大奇書に数えられる。
著者は、『淮安府史』(明、天啓年間成立)に、呉承恩(1504年頃 - 1582年頃、江蘇省出身)の著書として「西遊記」という書名が記述されていることから、かれが作者であると20世紀の中国では定説化していたが、後述のように批判的な説が存在し、明確な結論は21世紀初頭ではまだでていない。詳しくは後述。
目次 |
概要
唐の時代にインドへ渡り仏教の経典を持ち帰った玄奘三蔵の長年の旅を記した地誌『大唐西域記』を基に、道教、仏教の天界に仙界、神や龍や妖怪や仙人など、虚実が入り乱れる一大伝奇小説であり、物語の縦軸に玄奘三蔵の波乱の人生を、横軸に無敵の仙猿・孫悟空の活躍を置き、玄奘三蔵一行が天竺を目指し取経を果たすまでを描いている。
なお人間の登場人物には玄奘三蔵や唐の太宗皇帝など実在の人物が顔を並べるが、書かれている内容は完全にフィクションであり、史実とは一致しない。
成立
唐三蔵西天取経伝説
現実の玄奘三蔵の取経の旅は西暦629年から645年に行われた。その事績が仏教徒の間で伝説化し神聖視された痕跡が各地に残されている。
敦煌莫高窟から発見された絹本、紙本の絵画及び壁画(9世紀から11世紀半ば)には、経巻を背負い虎を伴った徒歩の行脚僧の描かれたものがあり、伝説化した玄奘とする説がある。これらの中には宝勝如来を上隅に描き入れているものがあり、「寳勝如來一軀」と書き入れられたものもあることからこの取経者は宝勝如来に保護され、また宝勝如来と同一視されたと推定される。
莫高窟東方約 100 km の楡林窟、その更に東方約 30 km の東千仏洞の水月観音図、普賢変図(12世紀後半、西夏末)に含まれる玄奘取経図に描かれた玄奘は猴(マカカ属のサル)と馬を伴っており、また張世南『游宦紀聞』(1228)所収の張聖者の詩(北宋末から南宋初、12世紀前半と推定される)には「幾生三藏往西天」「苦海波中猴行復」「沈毛江上馬馳前」の字句が見え、12世紀には玄奘の取経伝説には猴と馬が取り込まれていたことが分かる。1237年に建立された福建省泉州の開元寺の仁壽塔(西塔)第四層南面には「梁武帝」に向き合って経文を捧げる「唐三藏」、東北面には刀を手にした猴行者と金箍棒を手にした「東海火龍太子」の浮き彫りがあり、それぞれ「」内の文字が銘文にある(猴行者は銘文無し)。
西遊記の成立
宋代には原型となる説話「大唐三蔵取經詩話」(三蔵が猴行者(猴(サル)の行者)を連れ取経の旅をする)が存在していた。西遊記で今残っている最古のものは元代の西遊記の逸話を収録したとみられる朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)によるものである。写本は科挙を目指す書生たちが息抜きに作成していったと思われ、書き写される度に詩文・薀蓄が追加され、拡張され、また、戯曲の雑劇「西遊雑劇」として好んで上演された。
明代には多数の西遊記版本があった。代表的なものは『西遊記傳』(楊至和本)、『唐三藏西遊傳』(朱鼎臣本)など三種のうちその最も膨らんだ姿が、万暦20年(1592年)金陵世徳堂の刊行した『新刻出像官板大字西遊記』(作者名なし 通称は世徳堂本)である。
明末期になると、蘇州刊本『李卓吾先生批評西遊記』があり、内閣文庫に収蔵されているが、むろん李卓吾の名は他の小説本と同様に、刊行元が価値をつけるために勝手に付けられたものである。本文は世徳堂本とほぼ同じである。
この版の全訳が、中野美代子訳 『西遊記』(岩波文庫全10巻)[1]。
これら(繁本版は詞が多数入っているので)は分量が多すぎたとみられ、清代には商業ベースを考慮したダイジェスト(簡本)が『西遊証道書』(康熙初年 その序には作者を長春真人丘処機(丘長春)とされてしまい、以降は、清代の西遊記の作者とみなされた)をはじめ、多くの版が刊行されたが、それらの内容を比較するとそれぞれ一長一短であるが、最もバランスよく整理されているのが、やや大部の簡本で康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』である。
この版での訳書が、太田辰夫・鳥居久靖訳 『西遊記』で、平凡社「中国古典文学大系 31.32巻」等[2]で刊行された。
原作者
前述のとおり、清代には、作者は長春真人丘処機(丘長春)と信じられており、T・リチャード(1845年 - 1919年イギリスの宣教師バプテスト会)による初の英訳本(上海で刊、1919年)においても作者名は丘長春とされていた。呉承恩作者説は、魯迅が『中国小説史略』(1924年、訳書は平凡社東洋文庫全2巻)や「中国小説的歴史的変遷」などで提唱したもので、比較的新しい説である。それ以降、呉承恩が作者として扱われることが多いが、証拠はない。日本では太田辰夫や中野美代子が、研究によりこの説を否定[3]しており、『世界文学事典』(集英社)でも、「小説『西遊記』の版本に、呉承恩の名前や別号を記したものがないため、呉承恩の『西遊記』が、小説の西天取経物語を指すのか、あるいはその戯曲、あるいは全く別の紀行文を指すのか、現在まだ定説はない」、「(呉承恩は西遊記の)最大限改編者であり得ても、<作者>ではない」と書かれている。日本では現在、太田辰夫らが訳した平凡社版でも、中野美代子が完訳した岩波文庫版でも原作者名が書かれていないが、『金陵世德堂版西遊記』を定本に清の6種の本に基づき、君島久子が校訂し瀬川康男と共訳した児童向けの『西遊記』(改訂版が福音館文庫全3巻、2004年)など、呉承恩作と記されている出版物も少なくなく、呉承恩作者説は未だ一般に広く流布している。21世紀に入った今日まで、西遊記の作者が誰なのかは決定的な確説は出ていない。
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- ^ ※岩波文庫旧版の第1~3巻は、小野忍訳(1977-80年)で、小野が急逝した事で中野が引き継ぎ、第4~10巻を十数年かけ訳し刊行した。現行の文庫版は、再度全巻を新訳・改訳し、2005年に出した。
- ^ 後に平凡社版『西遊記』は、(平凡社「奇書シリーズ」 上.ISBN 458232701X/下.ISBN 4582327028)と、1989-90年に全7巻の選書版<コンパクト版奇書シリーズ>が、刊行した。
- ^ 尚中野は、作者複数説を唱えている
- ^ 姓は陳であるが、江流は幼名であり、成人する前に出家したからか玄奘の諱や字は登場しない。あるいは史実と同じく褘が諱で、陳褘という姓名か
- ^ ただし父・陳光蕋は生前にコイとなった竜王を助けたおかげで、死後蘇る
- ^ 南京の近くを流れる鎮江の西北、金山にある実在の寺
- 1 西遊記の概要
- 2 主要登場キャラクター
- 3 内容
- 4 参考文献
固有名詞の分類
西遊記に関連した本
- 西遊記〈9〉妖の巻 (斉藤洋の西遊記シリーズ 9) 斉藤 洋 理論社
- 西遊記〈上〉 平岩 弓枝 毎日新聞社
- 西遊記〈1〉天の巻 (斉藤洋の西遊記シリーズ 1) 斉藤 洋 理論社
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