息子達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 14:12 UTC 版)
「サブアーウィー・イブラーヒーム・ハサン」の記事における「息子達」の解説
長男ヤースィル・サブアーウィーは、サッダーム政権崩壊後の2005年10月18日、ティクリートでサッダーム裁判への抗議デモで暴力行為を行うよう民衆を扇動し金を配っていたなどとして拘束された。 ヤースィル自身もシリアとの国境を行き来して、イラク国内のサッダーム旧政権の残党勢力に対する支援や破壊活動などを行っていた。イラク国防省の発表によると、シリア国内に潜伏していたヤースィルをシリア治安当局がイラクに出国させ、ヤースィルの潜伏場所をイラク当局に通報したとし、シリア側の協力があったことを明らかにした。 次男ウマル・サブアーウィーは、サッダーム・フセイン政権時代にイラク学生青年国民連盟(NUISY)会長と民兵組織「フェダーイーン・サッダーム(英語版)」の指揮官を勤めていた。ウマルは父親に似て粗野な性格で、すぐに拳銃の引き金を引くことで知られており、NUISY会長を連盟委員だったウマルが射殺したことがあった。原因はささいな意見の不一致だった。その事件はウマル側が賠償金の支払いを命じられただけで何のお咎めも無く、ウマルはNUISY会長のポストについた。また、サッダームの主治医アラ・バシールの回想によれば、とある若者が顔を撃たれてバシールの病院に運び込まれた。若者の父親によると、ウマルが息子の車を追い越そうとしたが、息子は気づかなかった。彼が車を止めてウマルの車を通した時、ウマルは罵りながら車を降り、拳銃で息子を撃ったと話したという。 旧政権崩壊後は、イラク国外に逃亡し、イエメンを拠点にイラク北部・中部における旧政権残党らによるイラク治安部隊・駐留外国軍に対する攻撃を支援したとされる。2005年3月17日にイラク中央刑事裁判所から、同年12月28日に国際刑事警察機構から逮捕状が出されており、2006年にはイラク政府の最重要指名手配者リストに名前が掲載され、ウマルに50000ドルの懸賞金が掛けられた。 また、イラク検察当局もイエメン政府に対し、同国内に潜伏していると見られるウマルの逮捕・引渡しを要請した。 三男のアイマン・サブアーウィーは、2005年5月初頭、旧政権残党の武装勢力に対する資金提供や武器調達をしていたとして、ティクリート北部でイラク治安部隊に逮捕された。同年9月19日には、イラク刑事裁判所により終身刑の判決が出されて服役していたが、2006年12月にモースルの刑務所から脱獄し、現在も捕まっていない。 五男のバッシャール・サブアーウィーは、旧政権支持派の武装勢力に資金提供をしていたとしてイラク政府に指名手配され、レバノン治安当局と国際刑事警察機構の協力の下、2006年5月にレバノンの首都ベイルートで逮捕された。 また、2005年にはサブアーウィーの6人の息子たちに対して「テロ組織に資金提供を行っている」として各国に資産を凍結をするよう勧告が出された。
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