甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 17:23 UTC 版)
甲冑(かっちゅう)とは、胴部を守る鎧(甲、よろい)と、頭部を守る兜(冑、かぶと)からなる武具。主として槍・刀剣や弓矢を用いた戦闘の際に侍・武士が身につける日本の伝統的な防具である。
注釈
- ^ 弥生時代や古墳時代など、大鎧出現以前の甲冑は、考古学用語としての慣習上「鎧」「兜」ではなく「甲」「冑」で表記される。
- ^ 裲襠式は、小札を紐で連接して構築した2枚の装甲板(札板)を肩上(わたがみ)で繋ぎ、胴の前後にサンドイッチのようにかけて装着し、両脇は脇盾(わいだて)状の別部品の装甲で覆うタイプである。これに対し胴丸式は、小札を縅した札板を、胴に巻き付けるように一周させ、前方で引き合わせて装着するタイプである[3]。
- ^ 縅(おどし)は鉄板に可動性を与えた連接法であり、綴(とじ)・鋲留(びょうどめ)は鉄板同士を完全に固定する連接法である[6]。
- ^ 戦闘用のプレートアーマーは彫金や型押しによる小さな装飾のみで塗装されず、装飾は盾や兜、シュールコーであった。儀礼用のパレードアーマーには塗装や細かな彫刻が施されたものもある。
- ^ 元の甲冑が軽装であったため、重装の和式甲冑に興味を示したとも。
- ^ 『李朝実録』の記述に、1456年正月に難風によって琉球諸島に漂流した朝鮮人が2月に保護され、首里城へ赴いた際、「日本製の鎧兜に身を固めた警備兵が待機していた」と記録される。
- ^ 『諏訪大明神畫詞』の渡党の記述に、「和国人に似ているが(中略)、男は甲冑を(略)、骨鏃に毒をぬり」と記され、蠣崎氏の勝山館跡からも館内に鎧の飾り金具を作る工房があり、この館にはアイヌも住んでいたことが示唆されている[23]。
- ^ 『類聚三代格』巻19
出典
- ^ 米競売、江戸時代の甲冑5千万円/過去最高額で落札 四国新聞 2009年10月24日
- ^ 橋本 2002.
- ^ a b 末永 1944.
- ^ 田中 2003.
- ^ 棟方 2012.
- ^ 阪口 2001, p. 35.
- ^ 宮崎 2006, pp. 6–18.
- ^ 橋本 2009, p. 27-30.
- ^ 宮崎 2006, pp. 13–15.
- ^ 橋本 2009, p. 28.
- ^ a b 式正の鎧・大鎧 Costume Museum
- ^ a b c d 日本の甲冑 Costume Museum
- ^ 甲冑の歴史(南北朝時代~室町時代) 刀剣ワールド
- ^ 久能山東照宮 主な収蔵品
- ^ 大徳川展 作品リスト 東京国立博物館
- ^ 色々糸威二枚胴具足
- ^ 甲冑に見る江戸時代展5 武士と武人の甲冑像 Fukuoka City Museum
- ^ 甲冑の鑑定(格付け) 刀剣ワールド
- ^ 藤本頼生「神社と神様がよーくわかる本」 p.65. 秀和システム. ISBN 978-4798040721
- ^ 春日大社 国宝殿
- ^ 小山 隆秀 (2016). “近現代の青森県津軽地方における刀剣の伝説と世間話”. 青森県立郷土館研究紀要 40.
- ^ 筧 2001, p. 292.
- ^ 大石, 高良 & 高橋 2001, pp. 118–119.
- ^ 大石, 高良 & 高橋 2001, p. 75.
- ^ 瀬川 2007, pp. 190–191.
- ^ サハリン発見「アイヌ鎧」の年代について
甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 12:33 UTC 版)
上杉家の甲冑の特徴に、謙信考案の「上杉鍜(うえすぎしころ)」がある。普通の兜は一枚鍜だが、更に内側に鍜を設け(多くは鉄鎖)、防御力を高めている。甲冑は、さほど米沢から散逸しておらず、上杉神社、宮坂考古館に多数所蔵されている。上杉家の甲冑以外にも、直江兼続の「愛」の前立てで知られる甲冑は上杉神社に、前田利益の甲冑は宮坂考古館に所蔵されている。 飯綱権現前立腹巻 謙信所用と伝わる。重要文化財。
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甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 06:47 UTC 版)
「ハルク (マーベル・コミック)」の記事における「甲冑」の解説
グラディエーターとなったハルクがバトルロイヤルで装着する、彼の体躯に合ったサイズのサカール製の甲冑一式。モヒカンを彷彿させ、ハルクの頭頂部から顎を保護する闘技場用の兜、難破船の船体で作った左肩のみの肩甲、クインジェットのタイヤで作った草摺、籠手、脛当てで構成される。この甲冑もハンマー同様にサカールに置き去りとなる。
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甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:16 UTC 版)
ステージ3-3の玉座の間で燭台と供に飾られている銅像。ところが突然その甲冑の腕が動き、斧で攻撃して来る仕掛けがある。
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甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 11:18 UTC 版)
伊予札黒糸威胴丸具足 金溜塗具足 家康所用とされる甲冑は多数伝来しており、記録伝承が確実なものだけで10領が現存する。 代表的なものとして上述の「南蛮胴具足」(下賜品含め5領、他兜のみも有)、「伊予札黒糸威胴丸具足(歯朶具足)」(2領、内1領は兜欠)、「金溜塗具足」(2領)などが伝来している。 当時の武将は存在を誇示するため派手な甲冑や前立を好んでいたが、家康が大坂の陣で使用した歯朶具足は飾りが少ない漆黒の甲冑は「現代刀」と共に家康の気質を表しているとされる。一方で、金色の「金溜塗具足」や「金小札緋縅具足」、水牛の角を立物として熊毛を植えた「熊毛植黒糸威具足」、一の谷と大釘を組み合わせた立物に銀箔と白糸による総白色の「白糸威一の谷形兜」、華麗な姿や桐紋から当初は秀吉所用と思われた「花色日の丸威胴丸具足」等派手な甲冑も多数伝来しており、実際には多種多様な甲冑を着用・所持した。 また家康は秀吉と同様に欧州に甲冑を贈っているが、オーストリアアンブラス城にある「文字威胴丸具足」は「日本の皇帝及び皇后が神聖ローマ皇帝ルドルフ2世」に贈った品と記録がある。この具足は先述の「花色日の丸威胴丸具足」や1613年に秀忠がイギリス国王ジェームズ1世に贈った甲冑等の家康やその近辺の甲冑と同一の特徴があり、1608年から1612年に家康が贈った甲冑とされる。この甲冑は胴前面と左袖に「天下」、胴後面と右袖に「太平」の文字が紅糸で縅してある。
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甲冑
「甲冑」の例文・使い方・用例・文例
- ヘルメットとのど当てを含めて、甲冑全体で30キロ近くの重さがある。
- 甲冑ひと揃い.
- 甲冑に身をかためた騎士.
- 甲冑一具
- 甲冑で無顎魚類、もしくは、魚のような脊椎動物の絶滅した種類
- 金銭または貴重品を輸送するために使用される強いドアおよびロックを備えた甲冑をめっきしたトラック
- 着用者の全身を保護する甲冑
- 修道女のベールの下、兵の板金甲冑のフードの下にまたは以前の英国の上級法廷弁護士によって着用された縁なし帽
- 肘を保護する甲冑
- 胸と背中を覆う中世の甲冑
- 裾金物という,甲冑の飾修品
- 全員が甲冑に身を固めること
- 甲冑に身を固めた人
- 武士の甲冑姿
- 私は甲冑師の家の生まれです。
- 明治時代の始まりとともに,武家社会が終わり,甲冑は不要になりました。
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