神聖ローマ皇帝とは? わかりやすく解説

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神聖ローマ皇帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/18 05:10 UTC 版)

神聖ローマ皇帝(しんせいローマこうてい、ドイツ語: Römisch-deutscher Kaiser, ラテン語: Imperator Romanus Sacer)は、神聖ローマ帝国皇帝。より広い意味では中近世の西ヨーロッパにおける世俗の国を超えた最高権威である。カール大帝以降を指す場合とオットー1世以降に限る場合がある。


  1. ^ フリードリヒ3世の統治は53年間に及んだ。この間に彼の統治は何度も危機を迎えるが、結局彼を脅かした政敵たちは次々と先立っていった。さらにシャルル突進公の死によって、息子マクシミリアンがブルゴーニュ公国を獲得した。
  2. ^ マクシミリアン1世は家門政策でも積極的な婚姻政策を展開し、孫の時代には、ボヘミアハンガリースペインなどがハプスブルク家の家領となった。
  3. ^ オットー大帝が被ったものであったと考えられている。皇帝と帝国の象徴であった。帝冠が八角形に作られているのは、ローマ帝国の領域と古都エルサレムが八角形であると考えられていたことに由来する。さらに『旧約聖書』に登場する諸王、預言者イザヤエゼキア王ダビデ王ソロモン王が描かれ、神聖ローマ皇帝の帝権がこれらのユダヤ祭司王権を継承していることを示していた。この冠は帝冠であると同時にローマ王の王冠としても用いられた。


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神聖ローマ皇帝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 15:48 UTC 版)

マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「神聖ローマ皇帝」の解説

1493年8月父帝崩御に伴いマクシミリアン神聖ローマ帝国君主となった大空位時代以降ローマ王位は諸家の間を変遷していたが、これ以後ハプスブルク家による世襲確定していく。しかし、皇帝戴冠目指しマクシミリアンローマ行幸ヴェネツィア共和国反対により阻止されたため、トリエント帝位についたマクシミリアンローマで教皇による戴冠経ず帝位についた最初皇帝となり、これを機にカトリック後ろ盾とする皇帝権威ローマ教皇から離脱することになった。彼はミラノ公国スフォルツァ家公女ビアンカ再婚しミラノ事実上支配下置いた。そしてイタリア進出図ったが、そのためにフランス王シャルル8世野心引き起こしたイタリア戦争巻き込まれることとなった1495年ヴォルムスにて帝国議会召集しイタリア戦争戦費援助諸侯要請した皇帝窮状見たマインツ大司教選帝侯)ベルトルト・フォン・ヘネベルクをはじめとする聖俗諸侯は、帝国皇帝権力分離要求しマクシミリアン1世はこれに抵抗する妥協余儀なくされ、永久ラント平和令発布帝国最高法院帝国統治院設置帝国議会整備などの内政改革が行われた。以後神聖ローマ帝国中央集権的ではなく領邦国家連合としての道を歩むことになる。 1496年フランス国王シャルル8世動き封じるため、2人の子フィリップ美公マルグリットカトリック両王の子女と結婚させた(後述)。 1508年ローマで戴冠妨害したヴェネツィア対し攻撃開始するフリウリ戦争)。戦争膠着したが、マルグリットによりフランス教皇スペインによるカンブレー同盟(対ヴェネツィア同盟)が成立した。しかしフランスヴェネツィアとの戦い勝利し同盟内で突出し始めると、教皇をはじめ他の同盟国イングランドスイス反発し、これに対抗する動き出た1511年教皇主導の対仏同盟神聖同盟結成する。しかし翌年ヴェネツィア同盟脱退しフランス同盟を結ぶ。 1512年、「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という言葉使用し神聖ローマ帝国版図がもはやドイツ語圏およびその周辺限られること、世界帝国建設という目的放棄明確にした。 1513年イングランド王ヘンリー8世連合し、ギネガテの戦いでフランス撃破する。しかし戦況は国によって勝敗錯綜し同盟最終的に瓦解した1516年ブリュッセル和議締結、さらにその2年後にヴェネツィアとも和睦成立した1515年ウィーンでの会談ハンガリーボヘミア治めヤギェウォ家との二重婚姻ウィーン二重結婚)を決定し、孫フェルディナント1世に始まるハプスブルク帝国成立方向づけた。こうして神聖ローマ帝国弱体化する一方でハプスブルク家隆盛を極めることになった1519年マクシミリアンヴェルスで病により崩御した。インスブルック宮廷教会内に霊廟準備していたが、24,000グルデン借金理由滞在拒否されており、遺言により遺体は母エレオノーレが眠るヴィーナーノイシュタット聖ゲオルク教会埋葬された。しかし心臓だけはブルッヘ聖母教会ノートルダム教会)にある最愛の妻マリーの墓に共に埋葬された。

※この「神聖ローマ皇帝」の解説は、「マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
「神聖ローマ皇帝」を含む「マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事については、「マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)」の概要を参照ください。

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