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ミラノ【ミラノ】(草花類)

※登録写真はありません 登録番号 第7532号
登録年月日 1999年 11月 25日
農林水産植物の種類 ほうせんか
登録品種の名称及びその読み ミラノ
 よみ:ミラノ
品種登録の有効期限 20 年
育成者権の消滅 1999年 11月 25日
品種登録者の名称 ジークフリード クレム
品種登録者の住所 ドイツ連邦共和国 70378 シュツットガルト ハンフェッカー 9
登録品種の育成をした者の氏名 ジークフリード クレム
登録品種の植物体の特性の概要
この品種は,育成者所有系統どうしを交配して育成されたものであり,花は黄白単色で,鉢物向きの品種である。型は中間型草丈中間性,幅は中である。長さは長,太さは太,色は淡緑と褐,節部の着色は有,分枝性は強である。のつき方は混在全形披針形先端の形は漸鋭先形,基部の形は鋭先脚,葉長幅及び葉柄長さは中,縁の形は全縁表面地色は暗黄緑JHS カラーチャート3509),斑の有無は無,光沢は中,裏面地色は穏緑(同3715)である。花序は単生,着花位置上部,花の向き上向き一重八重の別は一重花弁数は5一重咲き花形型,花弁切れ込みは深,花冠の縦径は5.1~6.5,横径は3.6~5.0単色・複色の別は単色花弁地色黄白(同3301),基部の色は淡黄緑(同3303),距の長さは3.1~5.0曲がりは強,色は穏黄ピンク(同0711)と淡黄緑(同3303),花柄長さは4.1~6.0である。「イブレア」と比較して,裏面地色が穏緑であること,距の色が穏黄ピンク淡黄緑であること等で,「キモー」と比較して,全形披針形であること,一重咲き花形型であること等で区別性が認められる
登録品種の育成経過概要
この品種は,1990年育成者農場ドイツ連邦共和国)において,育成者所有系統どうしを交配して得られた実生の中から選抜以後増殖行いながら特性の調査継続し,1993年にその特性が安定していることを確認して育成完了したものである




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ミラノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/27 02:05 UTC 版)

ミラノ
イタリア語: Milano
ミラノの風景
ミラノの紋章
紋章
行政
イタリアの旗 イタリア
Flag of Lombardy.svg ロンバルディア
ミラノ
CAP(郵便番号) 20100
市外局番 02
ISTATコード 015146
識別コード F205
分離集落
隣接コムーネ アレーゼアッサーゴバランザーテボッラーテコルシコペスキエーラ・ボッロメーオローセスト・サン・ジョヴァンニコルマーノコローニョ・モンツェーゼブレッソノヴァーテ・ミラネーゼヴィモドローネペーロセグラーテセッティモ・ミラネーゼクザーゴチェザーノ・ボスコーネトレッツァーノ・スル・ナヴィーリオサン・ドナート・ミラネーゼブッチナスコロッツァーノオーペラ
公式サイト www.comune.milano.it
人口
人口 1,303,670 (2006年5月31日)
人口密度 7,191 人/km2
文化
住民の呼称 milanesi または meneghini
守護聖人 アンブロージョ (Sant'Ambrogio)
祝祭日 12月7日
地理
座標 北緯45度28分0秒 東経9度10分0秒 / 北緯45.46667度 東経9.16667度 / 45.46667; 9.16667座標: 北緯45度28分0秒 東経9度10分0秒 / 北緯45.46667度 東経9.16667度 / 45.46667; 9.16667
標高 海抜 120 m
面積 182 km2
ミラノの位置
ミラノの位置
Portal.svg ポータル イタリア
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ミラノ: Milano)は、イタリア都市で、ミラノ県の県都およびロンバルディア州の州都である。ヨーロッパ有数の世界都市イタリア語アクセントの関係でミラーノと記されることもある。ラテン語ではメディオラーヌム(Mediolanum)、ドイツ語ではマイラント(Mailand)、英語フランス語ではミラン(Milan)、スペイン語ではミラン(Milán)と言う。

目次

概要

ミラノは日本の稚内市とほぼ同緯度に位置するが、最寒月の平均気温がおよそ5℃程度と、比較的温暖。イタリア全土では首都ローマに次ぎ第2位、北部イタリアにおいては最大の都市で商業、工業、金融の中心。観光地としても名高い。約390万人の居住者を擁するイタリア最大の都市圏を牽引している。1982年に1,607,804人いた人口はその後ドーナツ化現象で長く減り続けたが、ここ数年はおよそ130万人前後で落ち着いている(2006年5月31日時点の人口は1,303,670人)。2010年の近郊を含む都市的地域の人口は434万人であり、ローマを凌ぎ同国第1位である[1]

ミラノ・コレクションなどで知られるように古くから服飾・繊維産業などファッション関連の産業が盛んな土地柄であるが、近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しておりイタリア最大級の経済地域を形成している。

2010年、アメリカの外交専門誌フォーリンポリシーにより、第42位の世界都市に選ばれており[2]、イタリアではローマに次いで第2位である。

歴史

ミラノは古代にはメディオラヌムと言い、紀元前600年ケルト人の町を元にしている。前222年にローマが征服したが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と呼ばれた。293年から402年まではMailandとも言った。その後はローマ帝国のもとで繁栄し、4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、アッティラに指揮されたフン族の略奪をうけ、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちは次第に大司教の世俗的支配から脱していった。東ゴート王国東ローマ帝国ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。

1162年、ミラノは神聖ローマ帝国フリードリヒ1世の軍隊に破壊された。しかしすぐに復興し、ロンバルディア同盟を結成して、1176年にはレニャーノの近くでフリードリヒ1世を打ち破った。この勝利でミラノは新しい繁栄の時代を迎えた。中世後期とルネサンス時代にはミラノはヴィスコンティ家スフォルツァ家の公国になった。1277年、貴族のヴィスコンティ家が、領主のデラ・トレ家からミラノの統治権をうばった。ヴィスコンティ家の支配は1447年まで続いたが、特に初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォ(1351~1402年)の時代には繁栄を極め、黄金時代を迎えた。

1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。続いて息子ルドビコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ビンチをミラノに迎えた。しかし、15世紀の北部イタリアの拡張時代の後の1500年、フランス軍がこの町を占領。このときレオナルドもミラノを去るがのちに再訪、約二十数年の滞在はこの地にミラノ派とよばれる画派を生んだ。スフォルツァ家はフランス、スイスオーストリアにあやつられながらも支配をつづけた。1535年にスフォルツァ家の血筋が途絶えると、ミラノはスペインの統治下にはいった。18世紀初頭のスペイン継承戦争後、1714年のラシュタット条約によってオーストリアハプスブルク家に帰属することになった。ナポレオンは1796年にオーストリア人を追い出し、ミラノをチザルピーナ共和国の首都とした。

1815年、ロンバルド=ヴェネト王国としてオーストリアの手に戻ったミラノは、イタリアの抵抗運動の中心地となり、1848年には短期間だがオーストリア人を追放した(ミラノの5日間)。1859年、フランスの援助を受けたサルデーニャ王国が、ミラノをオーストリアから解放した。1861年にミラノはイタリア王国に加わり、引き続き発展した。1859年第二次イタリア独立戦争の結果イタリア王国の一部に編入された。

第二次世界大戦中に連合国による激しい爆撃をうけたミラノは、戦後急速に発展して復興をとげた。ミラノは文化的にも戦後のモダン・デザインの発信地として知られ、国際デザイン美術展であるミラノ・トリエンナーレが開催されている。






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