だ‐きょう〔‐ケフ〕【妥協】
妥協
妥協
妥協
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1980年代中ごろから後半にかけて、上記のような対立において途上国側が徐々に態度を転換せざるを得ない状況となった。 その主な原因には、世界的金属市場の悪化に伴う深海底資源開発への世界的関心の低下、深海底制度に盛り込まれていた中央計画経済制度を採用する各国の制度崩壊、冷戦の終結に伴う東西の接近が挙げられる。 さらに国際海底機構、国際海洋法裁判所、大陸棚限界委員会など、条約が設立を予定する諸機関の活動が先進諸国の技術的・経済的支援なしに途上国のみで可能であるのかも疑問視された。 こうした情勢を背景に1990年から、国連事務総長の主導で条約中の深海底制度を規定する第11部の実質的見直しに関する非公式協議が開かれ、アメリカが提起していた諸問題の現実的解決が目指された。 1994年7月、国連海洋法条約第11部実施協定が採択された。同協定は海洋法条約とは別個の条約ではあるが一体となって解釈・適用されることとされ、第11部実施協定と海洋法条約が抵触する場合には第11部実施協定が優先されることとされた。つまり、実質的には第11部実施協定は海洋法条約を修正するものであった。 実施協定では当初海洋法条約で規定されていたよりも国際海底機構の機能を縮小することや、深海底開発者の義務緩和などが新たに規定された。 こうして多くの西側先進諸国にとっても受諾可能なものとなったことで海洋法条約を批准する先進国も増加し、条約採択から12年後の1994年11月になってようやく国連海洋法条約は発効した。
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妥協
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この問題の解決のために、各邦から1名ずつの代議員で構成される委員会が設置され、妥協点を探ることになった。7月5日、委員会は報告書を提出したが、この報告書が「大妥協」の基礎となった。この報告書では、上院では各州が同数の投票権を持ち、下院では各州が人口4万人ごとに1人の代表を出し、各州の奴隷人口の5分の3をその州の総人口にカウントすること(5分の3妥協(英語版))、税制に関する法案は下院で起草すること(上院での修正は不可)などが提言された。 シャーマンは、バージニア案における二院制を支持していたが、「第1院(下院)における参政権の割合は、自由住民の数に応じるべきであること。第2院である上院においては、各州が1票を持ち、それ以上の投票権を持たないこと」を提案した。大きな邦がこの案を嫌ったことから、最終的に憲法に盛り込まれたのは、この案を修正したものだった。委員会でベンジャミン・フランクリンは、シャーマンの提案を修正し、大きな州に受け入れられるようにした。さらに、税制に関する法案は下院で作成されることを条件とした。 バージニアのジェームズ・マディソン、ニューヨークのルーファス・キング、ペンシルベニアのガバヌーア・モリスは、上院が連合会議のようになってしまうとして、この妥協案に激しく反対した。国粋主義者たちにとっては、会議での妥協案の採決は大敗北であった。しかし、7月23日、彼らは「エリートで独立した上院」という構想を実現するための方法を見つけた。会議のほとんどの作業が詳細委員会(英語版)に委ねられる直前に、モリスとキングは、連合会議のように代議員が州ごとに同じ側に投票するのではなく、上院の各州の議員が個別に投票できるようにすることを提案した。そして、コネチカット妥協案を支持していたオリバー・エルスワースが彼らの提案を支持し、会議は最終的な妥協案にたどり着いた。 ノースカロライナが1つの州あたりの代表権を均等にすることに票を切り替え、マサチューセッツが棄権したことで、妥協案が成立した。この妥協は、議会の一方の院はニュージャージー案の平等な代表者数、もう一方の院はバージニア案の人口に比例した代表者数とするものである。また、世論を反映しやすいと考えられた下院に対し、連邦予算や歳入・税制に関する全ての法案を起草する権限が与えられた。
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妥協
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「首都立地法 (アメリカ合衆国)」の記事における「妥協」の解説
ウィキソースにResidence Act of 1790の原文があります。 首都立地の問題は1790年の夏に再度表面化された。これと同時期にアメリカ合衆国財務長官のアレクサンダー・ハミルトンは、国の財政計画について議会通過を働きかけていた。ハミルトン案の重要な条件は、アメリカ独立戦争の間に各州が負い込んでいた負債を連邦政府が肩代わりすることだった。北部州の負債は総額2,150万米ドルに上っていたので、特に連邦政府による肩代わりの要望が強かった。連邦政府による肩代わりが認められると、南部の住人は北部の負債の一部負担を強いられることになるので、この提案を飲むことを躊躇っていた。バージニア州を含む幾つかの州はその負債のほぼ半分を償還してしまっていたので、その納税者達が利益にならないことに再度負担を強いられるべきではないと考え、ハミルトンの計画が新しい憲法で規定する政府の権限を越えているとも主張していた。当時バージニア州選出下院議員だったジェームズ・マディソンは南部の議員団を率いており、ハミルトンの計画の成立を阻もうとしていた。 ジェファーソンが1790年6月下旬にニューヨーク市にあるワシントン大統領の居宅でハミルトンと出遭ったときに、マディソンとハミルトンを同席でディナーに招待したいと申し出た。その結果として妥協が生まれることになり、北部の議員団は南部寄りのポトマック河畔に首都を置く案に同意し、その見返りに南部の議員は連邦政府が州の負債を肩代わりする案に同意することになった。ジェファーソンはジェームズ・モンローに宛てて、この妥協を説明する手紙を書いた。 アメリカ合衆国議会第1議会はこの妥協に同意し、首都立地法は僅差ながら成立した。ジェファーソンは負債処理条項のある法案に対してバージニア州選出議員の支持を取り付け、ハミルトンは首都の立地としてポトマック河畔を選ぶ法案に対してニューヨーク州選出議員を説得して賛成させた。首都立地法案は1790年7月1日に上院で賛成14票対反対12票、7月9日に下院で賛成31票対反対29票で可決された。連邦政府肩代わり法案は1790年7月16日に上院で僅差で成立し、下院は7月26日に通った。 首都立地法では、その場所としてポトマック河畔の東支流(アナコスチャ川)とコノゴチェグ(メリーランド州ウィリアムズポートとヘイガーズタウンの近く)の間、「10マイル (16 km) 四方」すなわち一辺が10マイルで面積は100平方マイル (259 km2)を超えないこととされた。この法ではコミッショナー達が連邦政府の用途で取得できるポトマック川のメリーランド州側に制限していた。 この法では、ジョージ・ワシントン大統領に正確な場所を決定し、測量士を雇う権限を与えていた。大統領は連邦議会とその他役所のために適当な建物を1800年1月の第1月曜日までに準備することが求められ、連邦政府はあらゆる公共的建築物に対する予算の手当をすることとされた。 この法では、領土の一部を割いて連邦政府の領域に提供される州の法律がその領域に適用されることを規定した。具体的にはメリーランド州法はポトマック河畔東岸に、バージニア州法はコロンビア特別区の西側に、連邦政府が公式に立地されるまで適用されるものとした。1800年に連邦議会が連邦政府地区の管理を受け取る際に、コロンビア特別区内の事情について全ての権限を取得することとされた。 ハミルトンは連邦肩代わり法案の成立に必要な票を確保するために、ペンシルベニア州議員団の票も味方に付ける必要があった。このために連邦政府の恒久的首都が完成するまでの10年間、暫定首都としてフィラデルフィアを指定することを決めた。連邦議会は1790年12月6日、フィラデルフィアのコングレスホールで再招集された。
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妥協
出典:『Wiktionary』 (2021/08/13 12:37 UTC 版)
名詞
類義語
翻訳
- ウクライナ語: компроміс (uk) 男性
- 英語:compromise
- オランダ語: compromis (nl) 中性
- スウェーデン語: kompromiss (sv) 通性
- スペイン語: acuerdo (es) 男性
- スロヴェニア語: kompromis (sl) 男性
- チェコ語: kompromis (cs) 男性
- ドイツ語: Kompromiss (de) 男性
- ハンガリー語: kompromisszum (hu)
- フィンランド語: kompromissi, sovitteluratkaisu
- ブルガリア語: компромис (bg) 男性
- ヘブライ語: פשרה (pshara) 女性
- ポーランド語: kompromis (pl) 男性
- ポルトガル語: acordo (pt) 男性, compromisso (pt) 男性
- ロシア語: компромисс (ru) (kompromíss) 男性
動詞
活用
翻訳
「妥協」の例文・使い方・用例・文例
- 政府と妥協する
- その点については彼と妥協せざるをえなかった
- あなたがどうしてもと言い張るのなら,私が妥協します
- 妥協の余地はない
- 私は結婚相手を彼で妥協することに決めた。
- そういうわけで、それらのうち幾つかで私たちは妥協しようとしている。
- 価格決定をする上で、彼は絶対に妥協しない。
- 値段に関しては、彼は全く妥協するつもりがない。
- 彼は全く妥協しなかった。
- 彼に妥協する余裕は無い。
- 彼と妥協する余地はなかった。
- これは妥協案です。
- 彼らは少し妥協してくれた。
- 私はこれ以外の妥協はできないと主張しました。
- 彼は決して妥協しない。
- この件について、これ以上妥協するわけにはいかない。
- 私たちはそれの妥協策を見つけた。
- 私達はどこかで妥協しなければならない。
- あなたはすぐ妥協する。
- 私にはこれ以上、妥協できる事は無い。
品詞の分類
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