コロンビア‐とくべつく【コロンビア特別区】
ワシントンD.C.
コロンビア特別区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 16:55 UTC 版)
「アメリカ合衆国51番目の州」の記事における「コロンビア特別区」の解説
コロンビア特別区(首都ワシントンD.C.)は、その成り立ちとの関連で、アメリカ合衆国本土で唯一、州を構成していない。アメリカ合衆国連邦政府直轄地域である。 コロンビア特別区は、しばしば州への昇格の可能性があると言われている。第4代大統領ジェームズ・マディソンはその論文「ザ・フェデラリスト第43篇」の中で、合衆国憲法にある「連邦政府を置く場所」という語が意味するところについて考察した。マディソンは潜在的な利害の対立が予想されること、および「地域のための地方議会」の必要性については論じているが、コロンビア特別区の連邦議会代表権の問題には触れていない。当時、(議会関係者の多く住む)コロンビア特別区に完全な投票権を与えるのは、議会自身に議会での票を与えるようなものであり、市民を犠牲にして議会の力を増すことになると考える者もいた。しかし特別区の人口はすでに約60万人に達し、ワイオミング1州よりも大きく、他のいくつかの州にも匹敵しているため、投票権を与えよとの声が増えている。 州昇格候補の中でもコロンビア特別区の住人は最もその昇格を支持する傾向にあるが、このことは憲法の改正を必要としている可能性がある。この動きを支持する特別区の住人は、アメリカ独立戦争の時の標語「代表なくして課税なし」を持ち出して、議会での代表権が無いことを訴えている。この標語は特別区で新しく発行される車のナンバープレートにも刻印されており、自動車を登録する者はこのデザインのナンバープレートか特別区のウェブサイト・アドレスが刻印されたデザインのものから選択することになる。第42代大統領ビル・クリントンの任期の終わり頃に、大統領専用車にもこの標語付きナンバープレートが取り付けられたが、次の第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは就任とともに直ちにこれを取り外させている。 この運動は、少数党であるコロンビア特別区州制党が行っている。その後地域の緑の党と合併してコロンビア特別区州制・緑の党となった。この運動で最近の成功事例は、1978年に連邦議会がコロンビア特別区投票権修正条項を通過させたことである。2年後の1980年、地元市民が新しい州の憲法制定会議を招集する音頭を取った。1982年、新憲法が批准され州名はニューコロンビアと呼ばれることになった。しかし、1985年、連邦議会で通ったコロンビア特別区投票権修正条項を7年以内に各州が批准することになっていたが、批准した州の数が必要数に達しなかったために廃案となり、州昇格の動きは挫折した。 州昇格の問題は特別区の政治的人口動態のために、今でも非常に議論の多い政治課題となっている。特別区はこれまで一貫して民主党を支持してきた経緯があるため、州に昇格すれば上院に2名の民主党議員を半ば無条件に追加することになりかねないからである。 なお、コロンビア特別区を51番目の州に昇格させずに代表権問題を解消する現実的な案として、コロンビア特別区をそっくりそのまま旧管轄主体のメリーランド州に還付する方法が挙げられる。これは、メリーランド州がかつて首都建設のためにその地の一部を連邦政府に対して割譲した経緯、およびかつて同様にコロンビア特別区の土地を提供していたバージニア州がその地域(ポトマック川南西岸)を還付された経緯を踏まえたものである。
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コロンビア特別区
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ワシントンD.C.(コロンビア特別区)は、連邦政府の直轄であり、同時に郡相当の区域でもあり、市(ワシントン市)でもある。しかし通常は独立市とも市郡ともみなされない。 歴史的には、コロンビア特別区は1~2の郡と2つの独立市からなっていた。しかし1871年のコロンビア特別区基本法で、それらは全て統合された。
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