大宛とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 社会 > 社会一般 > > 大宛の意味・解説 

だいえん〔ダイヱン〕【大宛】


大宛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/07 15:55 UTC 版)

大宛呉音:だいおん、漢音:たいえん、拼音: Dàyuān)は、紀元前2世紀頃より中央アジアフェルガナ地方に存在したアーリア系民族の国家。大宛(だいえん)とは固有名詞を漢字に転写したものではなく、広大なオアシスという意味らしい[1]。しばらく中国史書では大宛という名を使用したが、『魏書』以降はフェルガナの転写と思われる洛那国[2]破洛那国[3]鏺汗国[4]抜汗那国[5]㤄捍国[6][注釈 1]などが使用された。


注釈

  1. ^ a b c 「㤄」の字は「忄+巿(ふつ)」。
  2. ^ アスラン(aslan)もしくはアルスラン(arslan)はテュルク系の言葉で「獅子」を意味する。
  3. ^ 19世紀の終わりごろからヨーロッパの東洋学者たちを中心に、「弐師」をギリシア史料のいう「ニサ」に比定する説が広まったが、現在では反対説が存在する[15]
  4. ^ 玄奘の伝聞にすぎない言葉であろうから、深く詮議するに当たらないが、フェルガナは元来イラン系民族が住んでいたらしい。アレクサンドロス3世(大王)も当地には侵入していない。ただクシャン王朝は当地を併合したが、人種的にはほぼ同系とみられるから大きな変化を見せたとは思えない。漢代の記事ではあるが、「大宛より以西、安息に至るまでは、国ごとに頗る言語を異にするといえども、大いに習俗を同じくし、互いの言葉を知っている。その人みな深眼にして鬚が多く、市賈を善くして分銖を争う。俗として女子を貴び、女子の言うことで男子は正を決す。」とある。
  5. ^ 『新唐書』西域伝下によれば、「より王統の絶えることなく」統一されていたが、唐の貞観年間に遏波之と阿了参が呼悶城と渇塞城に分かれて統治して以降、シル川の北に「大城6・小城100」という状態になった。

出典

  1. ^ 岩村 2007, p. 81.
  2. ^ a b 『魏書』西域伝
  3. ^ a b 『北史』西域伝
  4. ^ 『隋書』、『新唐書』
  5. ^ 『新唐書』
  6. ^ 大唐西域記』。
  7. ^ 小松 2005, p. 92.
  8. ^ a b 『史記』大宛列伝
  9. ^ 岩村 2007, pp. 85–86.
  10. ^ 『漢書』西域伝上
  11. ^ 『後漢書』西域伝
  12. ^ 『晋書』四夷伝
  13. ^ 『旧唐書』西戎伝
  14. ^ 『新唐書』突厥下、西域伝下
  15. ^ 岩村 2007, p. 87.


「大宛」の続きの解説一覧



大宛と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大宛」の関連用語

大宛のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大宛のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大宛 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS