内閣総理大臣官邸 歴史

内閣総理大臣官邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 06:22 UTC 版)

歴史

初期の官邸

首相官邸ホームページによると、「元は太政大臣官舎。内閣制度創設期から旧官邸が完成した1929年まで使用された。西洋風の木造2階建て」とされている[33]。建坪は723.229坪(約2,390㎡)と、1890年頃の大臣官舎の中でも最大級を誇った[34]。1923年(大正12年)の関東大震災では、隣接する中華民国公使館が火災に見舞われるものの、官舎は危うく難を逃れた[35]。ただ太政大臣官舎の詳細について調査した論文(藤木、2007年)[36]では、太政大臣官舎は1878年(明治11年)より当時太政大臣だった三条実美が居住し、1885年(明治18年)の内閣制度発足に伴い内大臣となった三条の公邸に転用、さらに1888年(明治21年)より枢密院の事務所として使われていたとされている。またそもそも太政大臣官舎は「煉瓦造2階建ての洋館と後に増築された和館から成る、和洋館並列型様式」であることが判明しており、建築様式が異なっているほか[36]、場所も現在の国会議事堂の前庭付近に所在していた[36]

このため旧官邸の建設以前に使われていた建物については不明確な部分が多い。

旧官邸

竣工当時の旧官邸(1929年3月)

大正末期から昭和初期にかけて流行したアールデコ表現主義などの建築様式を取り入れた文化的にも価値があるといわれる建築。旧帝国ホテル本館などの設計で知られるフランク・ロイド・ライトのデザインに似ていたため、ライト風とも呼ばれたが、実際に設計したのは、当時大蔵省営繕管財局工務部工務課第二製図係長だった下元連である。

旧官邸の建物は敷地内を曳家工事により移動し改修を施された上で2005年(平成17年)より総理大臣公邸として利用されている[37]

敷地の沿革

官邸の敷地は、17世紀後半、敷地内南側が越後村上藩内藤家中屋敷であり、敷地内北側は旗本屋敷から信濃飯山藩本多家上屋敷丹後峰山藩京極家上屋敷へと移り変わった。明治維新後、一時、一橋徳川家が使用し、明治3年鍋島家の所有となった。鍋島邸は関東大震災により大きな被害を受け、復興局へ売却された。1926年(大正15年)、震災復興に伴う中央諸官衙計画の一環として、旧鍋島邸跡地(旧麹町区永田町二丁目一番地)に総理大臣官邸を新設することとなった。旧官邸は1929年(昭和4年)に完成。当時は「内閣総理大臣官舎」と呼ばれており、門には表札がかかっていた。

概略

  • 1929年(昭和4年)3月18日竣工
  • 鉄筋コンクリート4階建(地上3階・地下1階)
  • 延床面積:7000平方メートル
  • 設計:大蔵省営繕管財局(担当:下元連)

逸話

表に旧官邸をあしらった内閣制度創始100周年記念500円白銅貨幣

総理執務室前では記者張り番取材が行われていた。現在の官邸では警備の関係上、取材スペースと執務エリアは分離されている。また、副総理執務室も存在したが、「天井が低く、圧迫感がある」ということで余り使われることはなく、歴代の副総理のほとんどは総理府に執務室を置いていた。

重大事件が起きると官邸内にある小食堂が“危機管理センター”に使われた。現在の官邸には専用の「危機管理センター」が設置されている。

1階の西階段は、組閣時に閣僚が記念撮影をする場所として広く知られた[20]。1993年、約40年ぶりの政権交代で官邸の主となった細川護熙は、自民党政権の牙城だった総理官邸に、さまざまな新風を持ち込んだ。組閣後の閣僚記念撮影では、恒例の1階西階段の赤絨毯には見向きもせず、中庭の芝生の上で新閣僚がワイングラスを片手に懇談後、閣僚を生け垣の前に並ばせて記念撮影を行った[38]。総理執務室では壁が殺風景だとして、壁紙を隅から隅まで貼りかえさせてもいる。内閣総理大臣や内閣官房長官記者会見を、演台の後方に立ったままプロンプターを使って行う欧米式に切り替えたのも細川だった。

東條英機在任中は、ラジオ演説を行うための部屋があった。太平洋戦争(大東亜戦争)開戦時の演説もここで行われたと言われている。戦争中には総理らが官邸を脱出するための地下トンネルがあった。また、60年安保で官邸がデモ隊に包囲されたとき、岸信介はこのトンネルから脱出したと、戸川猪佐武の『小説吉田学校』には書かれている。一部には「掘り替えまでして残されていた」という説もあったが、実際には高度成長期地下鉄工事や周辺の都市再開発で取り壊されていたという。

他の役所と違って室名表示がなかったことや、官邸内が迷路のような構造になっていた為、歴代の内閣総理大臣が官邸で迷うことがしばしあった。

ギャラリー

事件

五・一五事件直後の官邸の日本間の玄関
旧官邸
旧官邸の正面玄関の硝子に残る直径1センチ程の弾痕のような穴
現官邸

注釈

  1. ^ 内閣総理大臣官邸並びに内閣総理大臣及び内閣官房長官の公邸
  2. ^ 1979年以前の用例はなく1990年以降2007年9月まで26件あり。なお1978年から1995年にかけて「総理官邸」とした例が9件、「内閣総理官邸」とした例が1件ある。
  3. ^ 他省の主催によるものを含め内閣総理大臣による各種の表彰に関する文書で「内閣総理大臣官邸」17件、「総理大臣官邸」2件、「首相官邸」2件、「総理官邸」1件の使用例が日本国憲法下の2007年9月までの官報で確認される。また、自治省時代の地方自治関係文書で「内閣総理大臣官邸」20件、「総理大臣官邸」7件、「総理官邸」3件の使用例が官報で確認される。日本国憲法下の法令(府省令以上)中での登場例はなかったが、一般に公的組織では正式な呼称を用いるのが原則であり、官職の正称に官邸を加えたこの表記がもっとも公的な性格を有したものと言える。したがって、官邸の正式名称は「内閣総理大臣官邸」である。
  4. ^ アメリカ合衆国大統領府の正式名称は当初「行政府官邸」(Executive Mansion)というものだったが、その塗装の色調から「ホワイトハウス」という愛称が早くからあった。そこで1906年の増築を機会にこの愛称を公式名にして「ワシントン・ホワイトハウス」(White House – Washington) と改称している。
  5. ^ 時折陸海空自衛隊ヘリコプターの離着陸訓練が行われている。
  6. ^ かつて行われていた内閣発足後の国務大臣の就任会見でも使用された。また、菅直人総理大臣は度々この色のカーテンも使用した(例:[1][2][3]

出典

  1. ^ 小型無人機等飛行禁止法に基づく首相官邸及び首相・官房長官の公邸の敷地及びその周辺地域の指定
  2. ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出内閣総理大臣の出処進退に関する質問に対する答弁書」[4]
  3. ^ 「衆議院議員鈴木宗男君提出在上海総領事館員自殺事件に関する質問に対する政府答弁書」[5]
  4. ^ 総務省「内閣総理大臣と市町村長との頑張る地方応援懇談会」[6]
    農林水産省「平成18年緑化推進運動功労者内閣総理大臣表彰について」[7]
  5. ^ 「内閣官房組織令第2条第1項第8号及び第5条第2項」[8]
  6. ^ 「参議院議員秦豊君提出大韓航空機撃墜事件と政府の危機管理・情報管理体制に関する質問に対する答弁書」[9]
  7. ^ 1977年5月15日付け閣議了解「総理大臣官邸の整備について」
  8. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「首相官邸」3、内閣官房と内閣府|首相の仕事
  9. ^ 「首相官邸」は官邸ホームページのように、内閣総理大臣内閣官房職員の総称としても用いられている。そのことを裏付けるものとして、英語版ならびに中国語版の官邸ホームページでは、総理が執務する建物としての官邸を意味する Prime Minister's Office ではなく、総理と官房スタッフからなる日本の内閣を意味する Prime Minister of Japan and His Cabinet というロゴが用いられていることからも、単に総理が執務する庁舎としての機能だけでなく、総理と官房スタッフからなる組織のことも「首相官邸」と通称されていることがわかる。
  10. ^ 開設当時の首相官邸ホームページ
  11. ^ ドイツの「連邦首相府」、中華民国の「総統府」など。
  12. ^ 首相官邸ホームページ
  13. ^ 部局課名・官職名英訳名称一覧 Names of Government Organizations and Positions、2008年6月、内閣官房ウェブサイト(2017年3月12日閲覧)
  14. ^ 首相官邸ホームページ英語版
  15. ^ 首相官邸ホームページ中国語版
  16. ^ a b 総理大臣官邸整備検討委員会 『新しい総理大臣官邸の建設に向けて 新官邸の整備方針』(1998年8月24日)
  17. ^ 緊急時はヘリポートに使用 総理官邸前庭が緑地に(14/08/23)
  18. ^ weblio辞書
  19. ^ 首相官邸
  20. ^ a b “内閣改造時の写真撮影 21年ぶり旧官邸で”. 日本経済新聞. (2022年8月10日). https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA109E60Q2A810C2000000/ 2022年9月5日閲覧。 
  21. ^ a b 高嶋哲夫『官邸襲撃』(2018年6月 PHP研究所)
  22. ^ 「オンラインなのに密、奇妙だ」「昭和か」岸田首相取材の不自然さにネット上で揶揄:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2022年8月29日閲覧。
  23. ^ 第6回防災基本計画専門調査会 配布資料 最近の動きに関する報告」、中央防災会議、2002年5月10日。2018年9月17日閲覧。
  24. ^ 第180回国会 衆議院予算委員会議事録 第24号」 2012年4月18日。2018年9月17日閲覧。
  25. ^ a b 知恵蔵危機管理センター』、執筆:千葉大学法経学部教授新藤宗幸、2007年。
  26. ^ 危機管理センター | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス
  27. ^ 内閣情報集約センター』 - コトバンク
  28. ^ 連邦危機管理庁』 - コトバンク
  29. ^ 国の危機管理と気象庁の役割」 気象防災アドバイザー研修防災気象情報コース資料、2018年3月3日。2018年9月17日閲覧。
  30. ^ 内閣官房副長官補」 内閣官房ホームページ。2018年9月17日閲覧。
  31. ^ 『特技懇』 264号 特許庁技術懇話会 p.72
  32. ^ 新官邸危機管理センターの運用開始について”. 内閣府. 2021年11月13日閲覧。
  33. ^ 官邸全体 - 旧首相官邸バーチャルツアー
  34. ^ 藤木竜也, 河東義之、「『各省所管官有財産目録』に見る明治時代中期の各省所管官舎について」 『日本建築学会計画系論文集』 2009年 74巻 639号 p.1173-1182, doi:10.3130/aija.74.1173
  35. ^ 大正十二年日記 - 倉富勇三郎関係文書
  36. ^ a b c 藤木竜也, 河東義之, 斉藤健二、「明治前期の外務卿官舎と太政大臣官舎について」 『日本建築学会計画系論文集』 2007年 72巻 621号 p.187-194, doi:10.3130/aija.72.187_4
  37. ^ 首相公邸(旧官邸)”. 首相官邸ホームページ. 2020年10月27日閲覧。
  38. ^ 第79代内閣こと「細川内閣」 首相官邸公式サイト
  39. ^ 都心で米兵いたずら 首相官邸への照明弾『朝日新聞』1979年(昭和54年)6月9日夕刊 3版 9面
  40. ^ “内閣事務官が恐喝未遂容疑 警視庁、首相官邸を捜索”. 47NEWS. 共同通信社 (全国新聞ネット). (2010年10月29日). https://web.archive.org/web/20101102205651/http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102901000990.html 2015年4月24日閲覧。 
  41. ^ 正亀賢司 (2015年4月23日). “首相官邸にドローン落下の“衝撃””. NHK NEWS WEB. 日本放送協会. 2015年4月24日閲覧。[リンク切れ]
  42. ^ 内閣府所管防災施設 | 防災情報
  43. ^ 防災基本計画 : 防災情報のページ - 内閣府





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「内閣総理大臣官邸」の関連用語

内閣総理大臣官邸のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



内閣総理大臣官邸のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの内閣総理大臣官邸 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS