内閣総理大臣就任
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翌1946年(昭和21年)5月、日本自由党総裁鳩山一郎の公職追放に伴う後任総裁への就任を受諾。内閣総理大臣に就任した(第1次吉田内閣)。大日本帝国憲法下の天皇組閣大命による最後の首相であり、選挙を経ていない非衆議院議員(貴族院議員なので国会議員ではあった)の首相も吉田が最後である。また、父が公選議員であった世襲政治家が首相になったのも吉田が初めてである。同年12月20日には、吉田の退陣を要求する在日朝鮮人によって首相官邸を襲撃される。大蔵大臣に石橋湛山を任じて傾斜生産や復興金融金庫によって戦後経済復興を推し進めた。 1947年(昭和22年)4月、日本国憲法の公布に伴う第23回総選挙では、憲法第67条第1項において国会議員であることが首相の要件とされ、また貴族院が廃止されたため、実父・竹内綱および実兄竹内明太郎の選挙区であった高知県全県区から立候補した。 自身はトップ当選したが、与党の日本自由党は日本社会党に第一党を奪われた。社会党の西尾末広は第一党として与党に参加するが、社会党からは首相を出さず吉田続投を企図していた。しかし吉田は、首相は第一党から出すべきという憲政の常道を強調し、また社会党左派の「容共」を嫌い翌月総辞職した。こうして初の社会党政権である片山内閣が成立したが長続きせず、続く芦田内閣も1948年(昭和23年)、昭電疑獄により瓦解した。この間、政策に不満を持ち民主党を離党した幣原喜重郎や田中角榮らの民主クラブと日本自由党が合併し民主自由党が結成され、吉田が総裁に就任した。
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内閣総理大臣就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:04 UTC 版)
立憲民政党総裁として、張作霖爆殺事件の責で総辞職した田中義一内閣の後に内閣総理大臣に就任(任期:1929年7月 - 1931年4月)して組閣を行う。財界からの信任のある井上準之助前日本銀行総裁を蔵相に起用して金解禁や緊縮政策を断行し、また野党・立憲政友会の反対を排除してロンドン海軍軍縮条約を結ぶ。明治生まれでは初の内閣総理大臣である。日本の首相で初めて当時最新のメディアであったラジオを通じて国民に直接自身の政策を訴えた首相でもある。
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内閣総理大臣就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:10 UTC 版)
1927年(昭和2年)3月、第1次若槻内閣のもとで全国各地の銀行で取り付け騒ぎが起こった(昭和金融恐慌)。 若槻内閣は同年4月17日に総辞職を表明し、代わって立憲政友会総裁の田中が4月20日に組閣した。田中内閣には元総理や次の総理を狙う大物政治家、そして将来の総理や枢密院議長などが肩を寄せ合い、大物揃いの内閣となった。 内閣の主な顔ぶれ 外務大臣:田中義一(兼任)外務政務次官:森恪 外務次官:吉田茂 → 後に自由党(政友会正統派の流れを汲む)総裁、内閣総理大臣 内務大臣:鈴木喜三郎 → 後に政友会総裁 大蔵大臣:高橋是清 → 元政友会総裁・内閣総理大臣 陸軍大臣:白川義則 海軍大臣:岡田啓介 → 後に内閣総理大臣 司法大臣:原嘉道 → 後に枢密院議長 文部大臣:三土忠造 → 後に政友会正統派総裁代行委員のひとり 商工大臣:中橋徳五郎 逓信大臣:久原房之助 → 後に政友会正統派総裁 鉄道大臣:小川平吉 法制局長官:前田米蔵 → 後に翼賛政治会筆頭総務 内閣書記官長:鳩山一郎 → 後に自由党(政友会正統派の流れを汲む)総裁、民主党総裁、内閣総理大臣 蔵相に起用された高橋是清は全国でモラトリアム(支払猶予令)を実施し、金融恐慌を沈静化した。
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内閣総理大臣就任
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「菅直人内閣」も参照 2010年(平成22年)6月2日の鳩山総理の退陣表明を受け、民主党代表選挙への出馬を表明。6月4日、民主党代表選挙に勝利し、同日の首班指名選挙によって第94代内閣総理大臣に指名され、6月8日に天皇によって任命された。6月8日の首相官邸での記者会見の際には、「政治の役割は国民・世界の人が不幸になる要素をいかに少なくする『最小不幸社会』を作る事だ」と述べた。
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