内閣総理大臣就任前
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2006年(平成18年)9月17日、有楽町マリオン前での街頭演説では、熱心な麻生の追っかけに対して「女の子ならともかく、男に追いかけられるのは初めて。励みになるよ」と演説中に述べた。翌18日に浅草でおこなった街頭演説では、「来た、見た、勝った」の文字をもじった『来た、見た、笑った! 麻生太郎』のゲートフラッグを掲げた者もいた。 11月、外務大臣(当時)ニューヨーク・タイムズが太平洋戦争中における麻生鉱業の捕虜強制労働を報じた際に「事実が確認出来ない」と応え、在ニューヨーク総領事館にもウェブサイトでその旨反論させた。この反論はのちに2008年12月18日、裏づけとなる第一復員省まとめの公文書が厚生労働省で発見された事を受け削除されている。 財務大臣(当時)の谷垣禎一との「安倍晋三首相に歯向かっても何もできない。だからオレと組め。その代わり、オレに総理を先にやらせろ」という会話があったと谷垣が述べたが、麻生はこれに対し、「こっちはまだ回答をもらっておらず、そういうこと(会話内容)を全然関係ないところでしゃべって、マナーとしていかがなもんか」と述べた。 2007年(平成19年)10月6日、フジテレビ系列の情報番組であるハッケン!!でのインタビューで「2ちゃんねるに時々書き込みをしている。新聞より核心を突いてくる」と公言。これは2ちゃんねるユーザーの間でも話題になった。「渡邉哲也」も参照 2008年(平成20年)自民党総裁選時に麻生が出馬する際、神奈川県川崎市麻生区の区役所など住民票等を請求する名前の記入例に『麻生太郎』と書いてあったが、区民からの指摘により、麻生区は急遽別の名前と差し替える『珍事』が発生した。 9月16日、自民党総裁選で麻生以下5人の候補は、公開討論会でそれぞれ自己分析を披露した。その際に、麻生は「ひと言多いこと」と発言した。
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