内閣総理大臣を兼任とは? わかりやすく解説

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内閣総理大臣を兼任

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:37 UTC 版)

三条実美」の記事における「内閣総理大臣を兼任」の解説

明治22年1889年)、折から条約改正交渉暗礁に乗り上げ外務大臣大隈重信国家主義団体玄洋社団員爆裂弾投げつけられ右脚切断重傷を負うという事件が発生した進退窮まった黒田内閣は、1週間後10月25日、全閣僚辞表提出した。ところが、明治天皇は、黒田清隆辞表のみを受理して、他の閣僚に引き続きその任に当たることを命じとともに内大臣の実美に内閣総理大臣を兼任させて、内閣存続させた。実美は総理大臣職権強さ条約改正交渉問題混乱招いたとして、内閣職権内閣官制改め当面の課題解決した同年12月24日内務大臣山縣有朋総理大臣に任命され第1次山縣内閣成立した。実美は「病痾」を理由とする辞表提出し兼任していた内閣総理大臣を免ぜられ、内大臣専任となったこの期間、ひとつの内閣存在したものとして、これを「三条暫定内閣」と呼ぶことがある以降内閣総理大臣の「臨時兼任」や「臨時代理」が制度として定着すると、この実美による総理兼任背後事情は、次第過去特別な例外として扱われるようになった今日ではこの2ヵ月間に「内大臣の実美が内閣総理大臣を兼任していた」とはしながらも、それは「黒田内閣延長であって「実美は歴代の内閣総理大臣には含めない」とすることが研究趨勢となっている(なお、明治天皇本人にも「西園寺公望首相就任時に公家から初め首相出た』と喜んでいた」という逸話がある)。首相官邸等で歴代内閣を表す際、山縣伊藤黒田に次ぐ第三総理大臣とされる

※この「内閣総理大臣を兼任」の解説は、「三条実美」の解説の一部です。
「内閣総理大臣を兼任」を含む「三条実美」の記事については、「三条実美」の概要を参照ください。

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