時代の中で――鏡子の家とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 時代の中で――鏡子の家の意味・解説 

時代の中で――鏡子の家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「時代の中で――鏡子の家」の解説

前年8月の『潮騒』 (The Sound of Waves) の初英訳刊行続き戯曲集近代能楽集』 (Five Modern Noh Plays) も1957年昭和32年7月にクノップ社から英訳出版されたことで、三島同社招かれ渡米したその際現地演劇プロデューサーから上演申し込みがあり、実現向けて半年ニューヨーク辛抱強く滞在したが、企画難航して延期となってしまった。その間12月21日三島疎遠となっていた吉田満ニューヨーク駐在中)と久しぶり再会しワシントン・アーヴィングの旧邸など各所一緒に散策した三島吉田との雑談の中で、アメリカ人対す辛辣な批判し、また自身来年向けて結婚宣言をしていたという。 無為孤独なホテルでのニューヨーク年越しに耐えられず、正月マドリードローマ経由し過ごして帰国した三島は、これから先の人生一人きりでは生きられないことを痛感し結婚意志固くした。折しもニューヨーク滞在中に父・病気入院し帰国後の2月にも母・倭文重が癌と疑われ甲状腺病気手術したことも、それに拍車をかけた。 1958年昭和33年3月に、幼馴染湯浅あつ子から見せられ女子大生杉山瑤子日本画家杉山寧長女)の写真一目気に入った三島は、4月お見合いをし、6月1日川端康成夫妻媒酌人として明治記念館瑤子との結婚式挙げ麻布国際文化会館披露宴が行われた。同年8月には雑誌連載開始された小高根二郎の「蓮田善明とその死」を読み始め11月末からはボディビル加えて中央公論社嶋中鵬二笹原金次郎紹介により、第一生命道場本格的に剣道始めた同年3月には、ニューヨーク滞在中から構想していた書き下ろし長編『鏡子の家』執筆開始されていた。この作品は4人の青年1人の〈巫女的な女性〉を主人公とし、〈「戦後は終つた」と信じた時代の、感情心理典型的な例〉を描こうとした野心であった時代背景高度経済成長前の2年間で(昭和29年4月から昭和31年4月まで)、三島自身青春と「戦後と言われ時代への総決算でもあった。 翌1959年昭和34年9月20日『鏡子の家』刊行までの約1年半の間、戯曲薔薇と海賊』の発表結婚国内新婚旅行エッセイ不道徳教育講座』、評論文章読本』の発表新居建設設計・施工清水建設の鉾之原捷夫)など多忙であった大田区馬込一丁目1333番地(現・南馬込四丁目32番8号)に建設したビクトリアコロニアル様式新居へは5月10日転居し6月2日長女紀子誕生した。ちょうどこの当時新安保条約採決を巡る大規模なデモ隊国会周辺吹き荒れ三島はそれを記者クラブバルコニーから眺めた三島渾身『鏡子の家』1か月15売れ同世代評論家少数からは共感得たものの、文壇評価総じて辛く三島初めての「失敗作」という烙印押された。三島落胆大きく、この評価作家として彼が味わった最初大きな挫折転機)だった。 同年11月三島大映映画俳優専属契約を結び、翌1960年昭和35年3月公開された『からっ風野郎』(増村保造監督)でチンピラ的なヤクザ役を演じたが、その撮影中には頭部エスカレーター強打して入院する一幕もあった。同年1月には、都知事選挙題材とした「宴のあと」も『中央公論』で連載開始するが、モデルとした有田八郎から9月告訴されプライバシー裁判被告となってしまった(詳細「宴のあと」裁判参照)。 1961年昭和36年1月は、二・二六事件題材をとり、のちに自身監督主演映画化する憂国」を『小説中央公論』に発表2月には、その雑誌同時掲載され深沢七郎の「風流夢譚」を巡る嶋中事件巻き込まれ推薦者誤解され右翼から脅迫状送付されるなど、2か月警察による護衛下での生活を余儀なくされた。 同年9月から、写真家細江英公写真集薔薇刑』のモデル被写体)となり、三島邸で撮影が行われた。写真発表は翌1962年昭和37年1月銀座松屋の「NON」展でなされ、その鍛え上げられた肉体オブジェとして積極的に世間披露したこうした執筆活動以外における三島一連の話題マスメディア取り上げられると共に文学関心のない層にも大きく三島の名前が知られるようになった。 そのため、週刊誌などで普段自身日常生活健康法披露する機会増えた遅く起き三島朝食は、午後2時にトースト目玉焼きグレープフルーツ、ホワイト・コーヒーを摂り、午後7時頃の昼食には週3回ビフテキ付け合わせジャガイモトウモロコシサラダをたっぷりとウマ如く食べ夜中夕食軽く茶漬けで済ますのが習慣だった。 また、三島カニ形状が苦手で、「」という漢字を見るのも怖くてダメだったが、むき身蟹肉缶詰食べることができ、の絵のパッケージ即座に剥がして取っていたという。酒は家ではほとんど飲まないが、煙草ピース1日3箱くらい吸っていた。 1963年昭和38年)には、三島所属していた文学座内部での一連の分裂騒動があり、杉村春子対立する福田恆存創立した劇団雲」への座員29人の移動後にも、文学座立て直し試みた三島の『喜びの琴』を巡って杉村らが出演拒否するという文学座公演中止事件喜びの琴事件)が起こり、再びトラブル相次いだ。 この時期には、安保闘争東西冷戦による水爆戦争へ危機感強かった社会情勢があり、そうした政治背景反映して『鏡子の家』から繋がる〈世界崩壊〉〈世界終末〉の主題を持つ『美しい星』や『帽子の花』、評論終末観文学』などが書かれイデオロギー超えた純粋な心情テーマにした『剣』や評論林房雄論』も発表された。 1964年昭和39年初めに『浜松中納言物語』読み、『豊饒の海』の構想もなされ始め同年10月東京オリンピックでは、新聞各紙特派員記者として各種競技連日取材した開会式では、〈小泉八雲日本人を「東洋ギリシャ人」と呼んだときから、オリンピックはいつか日本人に迎へられる運命にあつたといつてよい〉と述べ天皇陛下立派な開会宣言感無量となり、聖火台点火する最終聖火ランナーの〈白煙巻かれた胸の日の丸〉への静かな感動憧れを、〈そこは人間世界で一番高い場所で、ヒマラヤよりもつと高いのだ〉と三島レポートした。 坂井君は聖火高くかかげて、完全なフォームで走つた。ここには、日本青春簡素なさはやかさが結晶し彼の肢体には、権力のほてい腹や、金権はげ頭が、どんなに逆立ちしても及ばぬところの、みづみづし若さによる日本支配の威が見られた。この数分間だけでも、全日本青春によつて代表されたのだつた。 — 三島由紀夫東洋と西洋を結ぶ火――開会式」 この時期には他にも、『獣の戯れ』、『十日の菊』(第13回読売文学賞戯曲部門賞受賞)、『黒蜥蜴』、『午後の曳航』(フォルメントール国際文学賞候補作)、『雨のなかの噴水』、『絹と明察』(第6回毎日芸術賞文学部門賞)など高評作品多く発表し待望だった『近代能楽集』の「葵上」「班女」も別の主催者によってグリニッジ・ヴィレッジ上演された。 また、仮面の告白』や『金閣寺』も英訳出版されるなど、海外での三島知名度上がった時期で、「世界文豪」の1人として1963年昭和38年12月17日スウェーデン有力紙『DAGENUS NYHETER』に取り挙げられ、翌1964年昭和39年5月には『宴のあと』がフォルメントール国際文学賞2位となり、『金閣寺』も第4回国際文学賞第2位となった国連事務総長だったダグ・ハマーショルド1961年昭和36年)に赴任先で事故死する直前に『金閣寺』を読了し、ノーベル財団委員宛ての手紙で大絶賛した。 なお、1963年度から1965年度のノーベル文学賞の有力候補中に川端康成谷崎潤一郎西脇順三郎と共に三島入っていたことが2014年平成26年)から2016年平成28年)にかけて開示され1963年度三島は「技巧的才能」が注目され受賞に非常に近い位置にいたことが明らかとなった。しかし、1966年度の候補者三島の名はなかった。 三島初めて候補者に名を連ねた1963年度選考において委員会から日本作家評価求められていたドナルド・キーンは、実績年齢順年功序列)を意識して日本社会配慮しながら、谷崎川端三島の順で推薦したが、本心では三島現役作家で最も優れている思っていたことを情報開示後に明かしている。1961年昭和36年5月には川端三島ノーベル賞推薦文依頼し、彼が川端推薦文書いていたこともある。その3年前1958年昭和33年)度には、谷崎推薦文三島書いていた。

※この「時代の中で――鏡子の家」の解説は、「三島由紀夫」の解説の一部です。
「時代の中で――鏡子の家」を含む「三島由紀夫」の記事については、「三島由紀夫」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「時代の中で――鏡子の家」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  時代の中で――鏡子の家のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「時代の中で――鏡子の家」の関連用語

時代の中で――鏡子の家のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



時代の中で――鏡子の家のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの三島由紀夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS