時代に伴う終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:47 UTC 版)
その後のマイカー普及による乗客の激減により、次第に路線は縮小され続けて2000年代に入ると、末期時には主力の「岡山〜倉敷間の路線」では、日中のダイヤで二時間以上の空白時間帯が生まれるなどと、ピーク時では10分間隔で運行されていた面影もなくなっていた。また、これから枝分かれしている「清心女子高校路線」は、事実上のスクールバス化で登下校時に特化したダイヤを安定して維持していたものの、「庄新町路線」も例外なくマイカーの普及により次第に減便となっていった。しかし、岡山地区からの路線バス撤退決定により、2003年(平成15年)3月31日限りで清心女子高校路線の2km専用と、山陽本線の事故時に代替輸送する「鉄道代行」に備えて数台の路線バスを残し、逆に夜行便を含む高速バス事業と貸切り事業に移行して、1937年3月より66年間も続いた路線バス事業に事実上の終止符を打ってしまった。 これに伴い翌4月1日より、多くの学生が住んでいるものの、その一方で高齢化も進んでいるために撤退の影響が大きい岡山〜倉敷間を、岡電バスと下電バスの共同運航に移管となった。また、庄新町ルートは【庄パークヒルズ】行きの路線名に改名後、岡電バスに引き継がれ、この対応策として庄新町近くのRSKバラ園入り口駐車場内に2台のバスを夜間に停泊させて、始発便に備えていた。その後、庄新町地区内のさらなるマイカー普及の影響により、2010年(平成22年)3月31日 に路線休止となり、事実上の廃路線となってしまった。しかし、マイカー普及の一方で、1974年の後半より入居が始まっていたために、現在では車の運転が出来ない高齢者の増えた庄新町地区では、交通難民状態になっている。(その後の代替案で対応中の『#庄新町地区対策』も参照) 最後まで残っていた清心女子高校路線も、2016年(平成28年)4月1日に両備バスに移管された。これに伴い、現在では一般路線用のJRバスは、鉄道代行等で使用されていた予備車も含めて全て廃車又は、他地区へ転属となったために、岡山県内には一台も存在していない。
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