時代による地図帳の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)
「北方領土問題」の記事における「時代による地図帳の変化」の解説
なお、中学校や高等学校の社会科で用いられる地図帳における4島の帰属は、時代とともに認識の変遷がみられた。以下で挙げる例はすべて文部省の教科書検定に合格した地図帳である。 第二次世界大戦より前の1934年(昭和9年)や1938年(昭和13年)に発行された地図帳(帝国書院)では、4島は日本の領土であったので当然そう記載されていた。ここでは択捉島・国後島・色丹島は「千島列島」に属し、歯舞群島は「根室」に属していた。 大戦後の1946年や1950年、1952年、また1955年の地図帳(帝国書院、日本書院)では、4島は「ソビエト連邦の領土」として記載され、択捉島は「クーリル列島(千島列島)」に属していた。 続いて1963年や1964年、1966年、1967年、また1969年の地図帳(帝国書院、日本書院)では、4島は日本とソビエト連邦のどちらの領土であるか明記されていなかった。択捉島は千島列島に属し、択捉島や国後島は「南千島」と表現されることもあった。 そして1973年(昭和48年)に発行された地図帳(帝国書院)では、4島は「日本の領土」として記載された。以後、現在に至るまでこの表記が義務付けられており、これ以外の記述は学校教科書として認定されない。また、この1973年の地図では択捉島は千島列島に属するか否か曖昧であった。 なお、現在の日本の教科書検定では北方領土がロシアの領土であると記載することは認められていないが、外国の地図を紹介し引用する形でそのような記載がみられることもある。2005年(平成17年)の中学地理の教科書(日本書籍新社)では、日本以外の国の地図が紹介され、そのうちイランのペルシャ語で書かれた世界地図では4島が「ロシアの領土」として描かれている。
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