和の鉄人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:39 UTC 版)
初代:道場六三郎(みちば ろくさぶろう) 鉄人在任期間…1993年10月-1996年1月 対戦成績…39戦33勝5敗1分 連勝記録11 通算勝率84.6%(現役時代の勝率は87.1%) 番組開始当時は銀座「ろくさん亭」主人。コスチュームカラーは青。 後に二代目鉄人となる中村孝明や福井幸雄(岡山市「味塾 時の流れ」主人で平成4年度・卓越技能表彰者)らにスケジュールが合わないと断られたため、「1年のみ」の条件を呑む形で第2候補だった道場に鉄人起用の打診が来た。ただし、この条件はちょうど1年目でアルトア・ルターに敗れた結果、道場の考え方が変わり、消滅した。 現役時代の対戦成績は27勝3敗1分と勝率9割に迫り、圧倒的な強さを誇った。番組内の公式見解をはじめ、誰もが認める全鉄人の中の最強鉄人であった。 和食の料理人でありながらジャンルにとらわれない料理を生み出し、「日本料理界の異端児」と称された(鉄人晩期には「地球料理」を標榜)。「無国籍料理」と称される回もあった。 対決中に必ず筆で「お品書き」を書くシーンがお馴染みでもあった。料理・作業の方向性をアシスタントらに伝えるほか、対戦相手を呑み込もうという意図もあったという。フォアグラを平仮名で「ほあぐら」と書く事などが特徴的であった。 また、「出汁(だし)は1品だけなら持込可」というルールがあったにもかかわらず、常に対決開始時に作っていた。この鰹節、昆布をふんだんに使った出汁は福井アナに『命の出汁』と名づけられ、その作成シーンがお品書きを書くシーンと並んで道場出演時の序盤で必ず流されていた。 高齢の為(番組開始当時は62歳)、途中病気により番組に登場できない時期もあったほか、後半は一時期精彩を欠く戦いを見せることがあった。 「素材に国境はない」「素材を成仏させる」などの名言を残しつつ、後継の鉄人に後述の中村を指名し引退。後に「(高齢のために体力が衰えて)鯛の頭を包丁で割れなくなった時、引退を決意した」と語っている。石鍋に続いて「名誉鉄人」の座についた。 初期のレギュラー審査員であった高田万由子とはそりが合わず、「あんな小娘にああだこうだ言われたくないね」と当番組以外では語っていた。高齢で味付けが濃い目だったせいか、高田だけではなく、鈴木杏樹、広末涼子といった若い女優には厳しい評価をうける場面もあった。 番組出演の傍ら港区赤坂に「ブラッセリー六三郎」(その後「ポワソン六三郎」に改名)を開店した(2017年閉店)ほか、2001年には銀座にもう一軒の店「懐食みちば」をオープンしている。 対戦成績(特別番組を除く) 放送日勝敗挑戦者テーマ食材審査員備考1993.10.17 ○ 小早川陽青(仏) フォアグラ 秋元康、石井苗子、岸朝子 1993.11.14 ○ 周 富輝(中) ロブスター 景山民夫、井上絵美、岸朝子 1993.12.5 ○ 周 富徳(中) タラバガニ きよ彦、石井苗子、平野雅章 1994.1.9 ● 豚 栗本慎一郎、藤真利子、平野雅章 リターンマッチ 1994.1.23 ○ 星野 淳(無) タマゴ きよ彦、石井苗子、平野雅章 素人の高校教師 1994.1.30 ○ 田辺年男(仏) タイ 神足裕司、石井苗子、岸朝子 1994.2.13 ○ 正木数義(和) アナゴ 栗本慎一郎、喜多嶋舞、平野雅章 神田川軍団 1994.3.27 ○ 小田倉秀昭(伊) チーズ きよ彦、喜多嶋舞、平野雅章 1994.4.8 ○ 後藤紘一良(和) 米 秋元康、石田ひかり、平野雅章 5連勝達成 1994.4.29 ○ 服部幸應(無) トリュフ ジョエル・ロブション、喜多嶋舞、平野雅章 1994.6.3 ○ 石川邦行(和) 納豆 景山民夫、田中律子、平野雅章 1994.6.10 ○ 花戸克己(和) アユ 糸井重里、河野景子、平野雅章 神田川軍団 1994.7.8 ○ 米良 隆(和) マグロ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 1994.7.22 ● ジョエル・ブリュアン&古高雅史(仏) スズキ 栗本慎一郎、かとうかずこ、高田万由子、平野雅章 陳とタッグマッチ 1994.8.5 ○ 吉田靖彦(和) ウナギ 景山民夫、高田万由子、平野雅章 神田川軍団 個人戦10連勝達成 1994.8.26 ○ 中澤敬二(仏) トウモロコシ 秋元康、ジュリー・ドレフェス、平野雅章 1994.9.9 ● アルトア・ルター(仏) ピーマン 糸井重里、かとうかずこ、平野雅章 1994.9.16 ○ 廣井 勉(仏) サンマ 梅宮辰夫、高田万由子、岸朝子 1994.10.14 ○ 許 沛榮(中) フカヒレ 糸井重里、坂本龍一、岸朝子 1994.11.4 ○ 河田康雄(和) アンコウ 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 1994.11.18 ○ 梅宮辰夫(無) アジ 栗本慎一郎、萬田久子、平野雅章 1994.12.9 ○ 古庄 浩(仏) 七面鳥 景山民夫、高田万由子、岸朝子 野村克也推薦チャレンジャー、2度目の5連勝達成 1995.2.10 ○ 鈴木眞夫(仏) 松葉ガニ 景山民夫、高田万由子、岸朝子 1995.3.3 ○ 王 志堅(中) タマゴ 俵万智、高田万由子、栗本慎一郎 1995.4.28 ○ 玉野圭介(和) アマダイ 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 神田川軍団 1995.5.26 ○ 城 悦男(仏) ブロッコリー 高田万由子、海部俊樹、海部幸世、秋元康 1995.6.16 ● 曽 明星(中) ワタリガニ 栗本慎一郎、東ちづる、岸朝子 この試合後、体調不良により一時休演 1995.8.11 ○ 梶 憲司(和) 梅干し 栗本慎一郎、高田万由子、岸朝子 2か月ぶりの復帰戦 1995.8.18 ○ サルバトーレ兄弟(伊) トマト 秋元康、西城秀樹、岸朝子 坂井とタッグマッチ 1995.9.8 ○ 野田 稔(和) マツタケ 石田純一、高田万由子、岸朝子 1995.10.20 △ 林 訓美(中) ジャガイモ 大島渚、石井好子、高田万由子、岸朝子 1995.10.27 ○ サツマイモ 初の延長戦 二代目:中村孝明(なかむら こうめい) 鉄人在任期間…1996年3月-1998年2月 対戦成績…37戦24勝11敗1分1無効試合 連勝記録6 勝率64.8% 番組登場時は「なだ万」理事・料理本部長(総料理長)。後に独立し、1999年10月に「孝明 ARIAKE」オーナーシェフとなる。コスチュームカラーは紫。 番組では「料理界の諸葛孔明」と称されている。鉄人デビューは1996年3月。番組放映当時は鉄人の中で唯一、オーナーシェフの立場ではなかった。 企画時点での鉄人第1候補だったが、当時は本人曰く「わけのわからない番組」であり、「なだ万」の看板のこともあって辞退。しかし番組がメジャーになったことから、「なだ万」の会長が道場の後任に中村を推薦して出演が決定した。番組上では、番組を支え続けた道場が引退に伴って指名した事になっている(実際道場と中村はゴルフ友達で、当時ゴルフ場で会うたびに「2代目をやらないか」と勧められていたという)。 道場とは違った意味で独創的な料理を見せつけた。しかし、やはり前任者の道場が持つ圧倒的な強さと独創性とを比較されることも多く、また金粉を料理にばら撒く等の独創性がかえって災いし、審査員から「下品だ」と批判されるなど厳しい評価を受ける場面も多かった。またテーマ食材をなんでも寿司にしてしまう傾向があり、審査員の岸朝子からは「困ったときの寿司頼み」と皮肉られたこともあったという。 こうした不安定な傾向のせいか全鉄人の中でも連敗が多く、通算勝率も全鉄人中最も低い。2連敗後の1997年12月26日放送分の神田川俊郎とのアラ対決の前に「もしこの勝負で負けたら引退する」と宣言、背水の陣で臨んだが敗れ、唯一の不名誉な3連敗を喫し、その後の放送分を休演。1998年2月20日放送分の服部幸應との引退試合を最後に「名誉鉄人」として番組を卒業した。 全鉄人の中で唯一、迫の後方の写真が変更された鉄人である。初期の写真は顔を曲げ、相手を睨み付ける良くない印象であったため、登場第4回目から柔和な表情の写真に変更されている。 上記のように常に道場と比較され、「料理の鉄人大全」でも、中村は「当時「なだ万」では『料理の鉄人』のための社内料理会議があり、テーマ食材のヒントが来ると試作品を作って会長に意見を聞いていた」ことを明らかにしているほか、道場とのおせち対決について「道場六三郎対中村孝明の戦いじゃなかった。道場六三郎対「なだ万」の戦いだった」と語っている。 鉄人引退後、1999年3月12日放送分で、中村の後任である三代目和の鉄人に就任して一年を迎えた森本に対し「新旧和の鉄人道」として、中村を挑戦者として対戦する事を道場が提案、卵勝負で対戦し中村が勝利している。名誉鉄人が挑戦者として登場したのはこの時が唯一である。 対戦成績(特別番組を除く) 放送日勝敗挑戦者テーマ食材審査員備考1996.3.1 ○ 鈴木喜代司(仏) フォアグラ 栗本慎一郎、野村沙知代、田中健、岸朝子 1996.3.22 ○ 林 訓美(中) ピーマン 景山民夫、かとうれいこ、三枝成彰、岸朝子 逆リターンマッチ 1996.4.19 ● 菅沼豊明(仏) タマゴ 栗本慎一郎、増田恵子、村井国夫、岸朝子 1996.5.3 ○ 七尾かつ子(和) タラコ 栗本慎一郎、かとうかずこ、別所毅彦、岸朝子 1996.5.24 ● もたい健治(和) うどん 秋元康、小林幸子、梅宮辰夫、岸朝子 服部幸應推薦チャレンジャー 1996.6.14 ○ 孫 関義(中) マナガツオ 栗本慎一郎、三田寛子、江夏豊、岸朝子 1996.6.28 ○ 戸沢英夫(西) ハマグリ 秋元康、高田万由子、加納典明、岸朝子 1996.7.12 ○ 山本秀樹(和) ハモ 景山民夫、かとうれいこ、高橋英樹、岸朝子 1996.7.26 ● 鳥海 勝(仏) 岩ガキ 景山民夫、斉藤慶子、山城新伍、岸朝子 1996.8.9 ○ ティエリー・ウンゲス(仏) キャビア 江本孟紀、斉藤慶子、片岡鶴太郎、岸朝子 初の黒人による挑戦者、駐日ブラジル大使館推薦チャレンジャー 1996.9.6 ● 植竹隆政(伊) 桃 景山民夫、矢野顕子、加納典明、岸朝子 1996.9.20 ○ 遠藤徳雄(和) サンマ 景山民夫、東ちづる、片岡鶴太郎、岸朝子 神田川軍団 1996.10.18 ○ 藤田 新(和) そば 加納典明、斉藤慶子、田淵幸一、岸朝子 1996.10.28 ○ 小楠隆一(仏) 栗 景山民夫、朝加真由美、岡田眞澄、岸朝子 1996.11.22 ○ 黒木献二郎(和) アンコウ 栗本慎一郎、片平なぎさ、加納典明、岸朝子 1996.11.29 ○ 宮代 潔(仏) 牛たん 景山民夫、大石恵、堀内孝雄、岸朝子 5連勝達成 1996.12.20 ● ベルナール・ルプランス(仏) カモ 栗本慎一郎、斉藤慶子、岡田眞澄、アガタ・モレシャン、ジャン・シルヴェストル 1997.2.7 ○ 森枝弘好(和) タカアシガニ 栗本慎一郎、かとうかずこ、財津一郎、岸朝子 1997.2.28 ○ 山崎建夫(和) 納豆 栗本慎一郎、斉藤慶子、柴俊夫、岸朝子 1997.3.21 ○ 米良 隆(和) わかめ 栗本慎一郎、大石恵、北大路欣也、岸朝子 リターンマッチ 1997.4.11 ○ 楊 光鑑(中) 栗本慎一郎、浅野ゆう子、板東英二、岡田眞澄、岸朝子 花見対決 1997.5.9 ○ 東屋則夫(和) 豚 栗本慎一郎、岸本加世子、高橋英樹、岸朝子 元なだ万副料理長、なだ万同士の「同門対決」、2度目の5連勝達成 1997.5.16 ○ ジリアン・ハースト(豪) ダチョウ 栗本慎一郎、東ちづる、神田正輝、岸朝子 1997.6.6 ● 坂根久人(和) 穴子 江本孟紀、高島礼子、片岡鶴太郎、岸朝子 神田川軍団、山本益博推薦チャレンジャー 1997.7.4 ○ 鹿島正巳(ベトナム) 車海老 景山民夫、斉藤慶子、高橋英樹、岸朝子 1997.8.29 – 小島孔典(仏) ジャガイモ 加納典明、山咲千里、別所哲也、石井好子 判定 評価に値せず再試合 1997.9.5 ○ 城下カレイ 加納典明、森口博子、大鶴義丹、石井好子 1997.11.14 ● 東 敬司(仏) 仔羊 栗本慎一郎、加藤登紀子、石原良純、岸朝子 1997.12.12 ● モーリス・ギルウェット(仏) ホタテ 景山民夫、桃井かおり、河村隆一、クリスチャン・ブジャランク 200人目の挑戦者 1997.12.26 ● 神田川俊郎(和) アラ 栗本慎一郎、岩崎宏美、コーン、石井好子 3連敗、その後番組を休演 1998.2.131998.2.20 ○ 服部幸應(無) マグロ 栗本慎一郎、萬田久子、岡田真澄、岸朝子 引退試合 1999.3.12 ○ 森本正治(鉄) 卵 栗本慎一郎、浅野ゆう子、里見浩太朗、細木数子 新旧和の鉄人道、挑戦者として出演 三代目:森本正治(もりもと まさはる) 鉄人在任期間…1998年2月-2002年1月 対戦成績…26戦17勝8敗1分 連勝記録3 勝率65.3% 前任者である中村の引退直後、1998年2月に「ニューヨークからやって来た鉄人」の触れ込みで番組に登場。番組内で最後に登場した鉄人でもある。 コスチュームカラーはシルバーに赤線、背中には日米の国旗を暴れ熨斗にした刺繍が入っていた。また、全鉄人の中で唯一可変式のコスチュームであり、試合中にはエポーレット(肩章)と袖口裏部分とを留め合わせ、袖をたくし上げ固定するという機能的なデザインが採用されていた。 番組では「料理界の織田信長」と称されている。 かつては寿司職人だったが、ニューヨークへ渡り、「ソニークラブ」総料理長を経て、鉄人起用時は「NOBU」総料理長を務めていた。 道場、中村とはまた違った「ニューヨーク仕込みの和食」「地球料理」を見せつけ異彩を放った。ただし、道場の頃とは違い、審査員も多様化、また評価を厳しくしており、とくにこの時期、準レギュラー的に審査員を務めていた加納典明とは審査中もしばしば料理への考え方の違いで衝突するなど、苦労させられたようである。 坂井や石鍋が、若手フレンチ集団「クラブ・ミストラル」と対立したように、かつて坂井をタコ対決で倒した関西料理界の重鎮、大田忠道は森本の創作和食を激しく非難し、自身が主宰する「天地(あまつち)の会」から次々と会員を挑戦者として送り込むなど、因縁の戦いを繰り返した。大田が挑戦者として送り込んだ大田軍団とは通算4勝1敗1分の対戦となっている。 2001年11月、フィラデルフィアに「MORIMOTO」を開店、オーナーシェフを務めている。 2005年からアメリカ合衆国で放送されている"Iron Chef America"でも鉄人を務めており、日本版にも挑戦者として出演して森本と2度にわたり対戦(対戦結果は1勝1敗)したことがあるボビー・フレイと共演している。 2012年12月31日、『アイアンシェフ大晦日生決戦SP』で"アメリカ版『アイアンシェフ』の和の鉄人"として、中華のアイアンシェフ・脇屋友詞と対戦したが敗北。 対戦成績(特別番組を除く) 放送日勝敗挑戦者テーマ食材審査員備考1998.2.27 ○ 平山幸男(和) 鯛 秋元康、桃井かおり、岡田真澄、岸朝子 1998.4.4 ○ 木村昌義(中) 米 加納典明、秋野暢子、西城秀樹、岸朝子 1998.5.1 ● 萩原哲雄(和) タケノコ 加納典明、岸本加世子、橋龍吾、岸朝子 1998.5.15 ○ 羽渕康彦(仏) アスパラガス 栗本慎一郎、藤谷美和子、高橋英樹、細木数子 1998.6.12 ○ 宮永賢一(和) アユ 栗本慎一郎、一色紗英、西郷輝彦、岸朝子 道場六三郎推薦チャレンジャー、元キッチンスタジアムの助手 1998.7.3 ○ 吉田隆二(和) 豆腐 栗本慎一郎、麻木久仁子、岡田眞澄、細木数子 1998.7.24 ● 梶本剛史(和) アワビ 加納典明、高橋ひとみ、片岡鶴太郎、岸朝子 1998.8.7 ○ 半田博一(和) 大ウナギ 栗本慎一郎、川上麻衣子、神田正輝、岸朝子 1998.9.25 ○ 藤井修一(和) 鮭児 栗本慎一郎、麻木久仁子、岡田眞澄、岸朝子 「大田軍団」旗揚げ試合 1998.10.23 ○ 隈本辰利(和) 納豆 加納典明、永作博美、片岡鶴太郎、本間千枝子 「大田軍団」 1998.11.27 ● マルコ・モリナーリ(伊) ポルチーニ 栗本慎一郎、東ちづる、フランチェスコ・エスポジート、細木数子 1998.12.25 ○ 小久江次郎(仏) 七面鳥 秋元康、藤谷美和子、北大路欣也、岸朝子 1999.1.29 ○ 函城弘行(和) ぶり 栗本慎一郎、斉藤慶子、達川光男、細木数子 「大田軍団」 1999.2.5 ○ 飯尾哲司(仏) タラバガニ 加納典明、永作博美、野村克也、細木数子 1999.3.12 ● 中村孝明(鉄) 卵 栗本慎一郎、浅野ゆう子、里見浩太朗、細木数子 新旧和の鉄人道 1999.3.26 ● 正原聖也(和) アンコウ 加納典明、増田恵子、高橋英樹、細木数子 「大田軍団」 1999.4.23 △ 山下裕輔(和) たらこ 栗本慎一郎、小林幸子、三田村邦彦、岸朝子 「大田軍団」 1999.4.30 ○ 長ねぎ 延長戦 1999.6.18 ○ 中澤圭二(寿司) マグロ コハダ 穴子 卵 かんぴょう 栗本慎一郎、浅田美代子、小林亜星、岸朝子 寿司対決竹中直人推薦チャレンジャー 1999.7.2 ○ マイケル・ノーブル(仏) ジャガイモ 加納典明、秋野暢子、橋幸夫、岸朝子 1999.7.16 ● 谷川吉己(和) ハモ 加納典明、十朱幸代、片岡鶴太郎、石井好子 レギュラー放送最後の勝利挑戦者 1999.8.20 ○ 渡辺 明(米) アオリイカ 栗本慎一郎、大石恵、萩原流行、細木数子 1999.9.3 ○ 重松良三(和) スズキ 栗本慎一郎、多岐川裕美、高橋英樹、岸朝子 レギュラー放送最後の挑戦者
※この「和の鉄人」の解説は、「料理の鉄人」の解説の一部です。
「和の鉄人」を含む「料理の鉄人」の記事については、「料理の鉄人」の概要を参照ください。
- 和の鉄人のページへのリンク