企画時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 03:01 UTC 版)
「ルパン三世 (TV第1シリーズ)」の記事における「企画時」の解説
初めに演出のオファーを受けたのは芝山努だったが、当時他作品に参加していたため先んじて製作されたパイロットフィルム版の参加のみに留まり、代わって人形劇などを手がけていた異色の演出家、大隅正秋に演出が依頼される。これは東京ムービーの社長だった藤岡豊が、大隅の演出した『オバケのQ太郎』のオープニングを気に入っていたからである。 藤岡に「初の大人向けのアニメを作ろう」と言われた大隅は意気投合し快諾したといい、後に「中学生以下の視聴層は全くターゲットにしていなかった」と語っている。原作のアダルトな雰囲気が強く出た作風に、当初アニメ化に難色を示していた原作者のモンキー・パンチにも、パイロットフィルムを見た後に「ぜひやってくれ」と言わしめた。 大隅は絵が描けないため、作画監督として芝山の元同僚、大塚康生が抜擢される。当時、東映動画に所属していた大塚は東映を退社し、東京ムービーの下請けをやっていたAプロダクションに移籍した。そして、大隅・大塚両者の話し合いでキャラクターのテレビ用人物造形が決まった。なお作画には前番組『巨人の星』のスタッフが多く流れ、スタッフの一人に峰不二子を描かせると同番組の登場人物であった星明子と瓜二つの容姿になってしまったという逸話も残っている。 原作の世界をアニメでそのまま再現することは様々な要因から不可能であり換骨奪胎することが求められ、以下の方針が打ち立てられた。 原作の(それまでの漫画に無かった)ケレン味を活かした映像作りをする。 劇中で登場する車や拳銃、時計、煙草の銘柄などに至るまでリアリティを重要視し、写真やカタログを収集から全て実在のものを事細かに設定する「実証主義宣言」。これに関しては原作にはなく、当時流行していた大藪春彦の作風を取り入れたものであり、企画趣旨で曲げなかったとされる2大基本として明記、情報収集の際にはメカニックの知識に豊富な大塚康生の活躍によるところが大きいとされている。
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