1998年-現在
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「宇宙探査機の一覧」の記事における「1998年-現在」の解説
機体組織日付種類成否備考画像注カッシーニ NASA/ ESA/ ASI 1998年4月26日 フライバイ 成功 土星への重力アシスト 1999年6月24日 ビーナス・エクスプレス ESA 2006年4月11日 - 最低でも2012年12月まで延長 オービター 成功 大気研究、磁気観測 メッセンジャー NASA 2006年10月24日 フライバイ 成功 重力アシストのみ、最接近距離2990km 2007年6月6日 成功 最接近距離 300 km、水星へ向かう あかつき JAXA 2010年12月7日 オービター 成功 軌道投入失敗、太陽周回軌道へ。5年後に再度軌道投入を試み、成功 IKAROS JAXA 2010年12月8日 (打ち上げ) フライバイ 成功 最接近距離8万km。ソーラーセイルを利用した初の惑星間飛行
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1998年-現在
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「フェアポート・コンヴェンション」の記事における「1998年-現在」の解説
1998年にはデイヴ・マタックスがアメリカに移り、ドラムとパーカッションはジェリー・コンウェイ(英語版)が引き継いだ。フェアポートはウッドワーム・レコード向けにさらに2つのスタジオアルバム『The Wood and the Wire』(2000年)と『XXXV』(2002年)を制作した。その後、『Over the Next Hill』(2004年)のために、新レーベルマッティ・グローヴス・レコード(英語版)を設立した。この期間、バンドはイギリス、ヨーロッパ、オーストラリア、ヨーロッパ、アメリカ、カナダで大規模なツアーを行い、バーミンガム・シンフォニー・ホールでデイヴ・スウォーブリック(の闘病の)ための大規模な募金活動を行った。1998年、バンドのメンバーはブルトンのミュージシャン、アラン・サイモン(英語版)と交流をし始めた。フェアポートのメンバー(主にニコルとレスリー)は、他の多くのメンバーと協力して、『エクスカリバー三部作』(en))(1998年、2007年、2010年)、『アンヌ・ド・ブルターニュ』(en)(2008年)を含むサイモンのロック・オペラの全作品に出演し、レコーディングに参加している。 2007年は彼らの40周年の年であり、それを記念してニュー・アルバム『Sense of Occasion』がリリースされた。2004年にフェアポート・クロップレディ・コンヴェンションと改名されたクロップレディでは、デイヴ・スウォーブリック、アシュリー・ハッチングス、デイヴ・マタックス、サイモン・ニコル、リチャード・トンプソンの1969年のメンバーと、サンディ・デニーの代役としてシンガー・ソングライターのクリス・ホワイル(英語版)が参加し、アルバム『リージ・アンド・リーフ』の全曲をライブで披露した。『リージ・アンド・リーフ』のパフォーマンスではないが、フェスティバルの映像が祝賀DVDの一部としてリリースされた。 バンドの最初の公式YouTubeビデオは2008年4月に公開された。このDVDのために撮影された映像を編集した9分間のミニ・ドキュメンタリーには、Lulu、Jools Holland、Seth Lakeman、Mike Harding、Geoff Hughes および Frank Skinnerのインタビューが含まれている。 2011年、バンドは4年ぶりの新作アルバム『Festival Bell』をリリースした。これに続いて2012年には、1971年にリリースされたアルバム『ババコム・リー』を再訪した2011年のツアー中に録音されたライヴ音源『Babbacombe Lee Live Again』がリリースされた。2012年、バンドがファンとの間で行った謎の協議と投票によって決定された、レパートリーの中で最も人気のある曲をスタジオで再構築した『By Popular Request』もリリースされた。2020年現在もバンドは作曲とレコーディングを続けており、定期的に新しいスタジオ・アルバムを制作しており、直近では2015年の『Myths and Heroes』、2017年の『50:50@50』および 2020年の『Shuffle and Go』がリリースされている。
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1998年 - 現在
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教団創立60周年(1998年)を契機に、教団方針として「一人ひとりの心田を耕す」ことが新たに目的に掲げられた。これは、「無常」という仏教の真理(法)を認識し、いのちの尊さに目覚めていくことを意味する。その喜びを多くの人々に伝え、共に幸せを味わえる世界を築いていくことを目標とするとしている。 1998年1月1日 「会規」を改正、施行 3月5日 教団創立60周年。総合目標「一人ひとりの心田を耕す佼成会」を掲げる 1999年7月2日 自自公連立政権に対する教団見解を発表 (これは、創価学会を支持母体とする公明党が、それまで会として政治的に支援してきた自民党と連立与党に参加し、次第に公明党を通じて信仰姿勢、教団の考え方や政治との関わりで相対する創価学会が、政府や行政・民間においての影響力が増す事態を踏まえての教団としての考え方・方針を、内外に向けて発表したもの) 10月4日 庭野日敬開祖が死去。満92歳没。10月10日に挙行された「葬儀・告別式」には、会員代表・国内外に渡る政財界・宗教界ほか各界からの弔問客で本部大聖堂に延べ6万人が参列し、その中には庭野開祖が脱会後、交流のなかった霊友会や、対立していた創価学会からも教団役員の参列者があった。また全国の各教会と海外の拠点に向けて衛星回線による生中継で放送が配信され「開祖葬」として挙行された。 11月25日 第7回WCRP(ヨルダン・アンマン)に参加 2000年10月1日 庭野開祖を顕彰する一乗宝塔が建立 2001年4月11日 同宗連(「同和問題」にとりくむ宗教教団連帯会議)結成20周年式典に参加 7月9日 「靖国神社参拝」に対する意見書を小泉純一郎首相に提出 9月2日 聖エジディオ共同体主催の「世界宗教者平和のための祈りの集い」(スペイン・バルセロナ)に参加 9月15日 庭野会長が「アメリカ同時多発テロ事件」に対し、哀悼の意を捧げる緊急談話を発表 10月17日 新宗連(新日本宗教団体連合会)結成50周年式典に参加 10月23日 庭野会長が「米国・同時多発テロ事件」をうけ、WCRP主催の「世界の諸宗教指導者による国際シンポジウム」に参加 2002年1月1日 教団理事・総務部長の山野井克典が第四代理事長に就任 1月24日 庭野会長が「平和祈願の日」(イタリア・アッシジ)に参加 4月7日 初代理事長の長沼教団特別顧問が死去 6月3日 スリランカ上座部仏教四法王の連名による平和共同宣言文「東京声明」が発表され、支援 6月24日 第6回ACRP(インドネシア・ジョグジャカルタ)に参加 7月28日 第31回IARF世界大会(ハンガリー・ブダペスト)に参加 8月3日 比叡山宗教サミット15周年記念「平和への祈りとイスラムとの対話集会」に参加 2003年2月18日 イラク情勢に対するアピール文を小泉首相、福田康夫官房長官、ブッシュ大統領、フセイン大統領(当時)に提出 3月20日 米英軍によるイラクへの武力行使に対し、庭野会長が緊急談話を発表 4月13日 「イラク緊急救援募金」を全国で実施(9月30日まで) 4月15日 中央学術研究所が小泉首相に対し、「クローン人間誕生に対する声明」を提出 4月25日 小泉首相に「『有事関連三法案』に対する意見書を提出 10月28 - 29日 第6回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会に参加 12月8日 自衛隊のイラク派遣基本計画閣議決定を前に、「自衛隊イラク派遣に対する意見書」を公表 2004年1月下旬 イラクへの自衛隊派遣を受け、山野井克典理事長が談話を発表 4月23 - 28日 第1回仏教とキリスト教のシンポジウム(フォコラーレ運動主催)がイタリアで開催、庭野会長が基調発題を行う 5月下旬 庭野日敬開祖生誕100年の企画概要を発表 6月17日 庭野会長が、新宗連(新日本宗教団体連合会)理事長に就任 7月30日 庭野会長が、日宗連(日本宗教連盟)理事長に就任 12月28日 一食平和基金運営委員会が、12月26日に発生したインドネシア・スマトラ沖地震津波災害に対し、総額5200万円の緊急支援を決定 2005年3月11日 「臓器移植法改正に対する提言」を発表 3月22日 庭野会長が、WCRP日本委員会第3代理事長に就任 4月2日 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が死去。庭野会長がバチカン諸宗教対話評議会へ哀悼のメッセージを送る 4月24日 庭野会長が、ベネディクト16世の第265代ローマ教皇就任ミサ(バチカン)に出席 2006年1月1日 開祖生誕100年を迎える 3月26日 - 30日 第32回IARF世界大会(台湾・佛光山)に参加 4月24日 - 27日 第2回仏教とキリスト教シンポジウム(比叡山延暦寺)に参加 5月14日 開祖記念館 庭野日敬の世界が本部法輪閣横に開館 8月中旬 イスラエル軍とレバノン民兵組織「ヒズボラ」との紛争による中東危機に際し、一食平和基金から1000万円を緊急支援 8月21日 初の「WCRP青年世界大会」(25日まで、広島、京都)、同女性会議(24、25日、京都)に参加 8月26日 - 29日 第8回WCRP「WCRPⅧ」世界大会に参加 10月25日 - 26日 第9回日本・中国・韓国仏教友好交流会議日本大会(京都・奈良)に参加 11月15日 「生誕100年 開祖生誕会」式典が行われる 12月7日 山野井克典理事長名による「臓器移植改正案に対する提言」を改めて発表 2007年5月2日 - 7日 庭野会長が台湾の慈済基金会本部を訪問 釈証厳法師と会談 8月1日 一食平和基金から新潟県中越沖地震の被害に対し、2700万円を緊急支援 8月3日 - 4日 比叡山宗教サミット20周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」(比叡山延暦寺)に参加 10月1日 「ミャンマー国内の安定と秩序回復を祈る声明文」を公表 2008年1月1日 教団理事・布教本部長の渡邊恭位が第五代理事長に就任 3月5日 教団創立70周年。「み仏さまとの結縁」の名の下、青年各部会員向け本部団体記念参拝(団参)が始まる 4月 教団CIマークの発表とラジオCMの放送開始 9月23日 東京・千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて、立正佼成会主催による「第50回千鳥ヶ淵戦争犠牲者慰霊法要並びに平和祈願式典」を開催 10月31日 庭野会長が新宗連(新日本宗教団体連合会)の理事長を退任し、特別顧問に就任 2009年6月 一食平和基金から「難民支援緊急キャンペーン実行委員会」に緊急支援 10月17日 「第12回日中韓仏教友好交流会議日本大会」が横浜で開催され参加 2010年2月15日 教団本部がISO 14001の認証を取得 11月 国連の経済社会理事会(ECOSOC)より、国連NGO「特殊協議資格」を正式に承認 2011年3月18日 一食平和基金運営委員会が、東日本大震災の被害への緊急支援として、5億円を拠出することを発表 4月1日 東日本大震災で被災された方々への応援メッセージを募集するWEBサイト「こころ ひとつに」を開設 6月18日 東日本大震災発生当初からの取り組みと今後の施策を総合的にまとめた「こころ ひとつに」プロジェクトを発表 2012年3月5日 会の教育方針や教育体系などの施策の基盤となる「佼成教学」を発刊 4月8日 全国各教会で、世界宗教者平和会議日本委員会の「震災復興キャンペーン2012」に呼応し復興支援募金を実施 2013年10月12日 立正佼成会ローマセンターが開所 11月14日 普門館の新築・改修の断念を発表 11月20日 第9回世界宗教者平和会議がオーストリア・ウィーンで開催され参加。庭野会長がWCRP国際名誉会長に、光祥次代会長が同国際共同会長・共同議長に選任 2014年3月9日 庭野欽司郎参与が逝去 9月9日 新佼成病院落成式 2015年9月19日 『「安全保障関連法案」可決に対する緊急声明』を発表 10月26日 バチカン諸宗教対話評議会などによる「『ノストラ・エターテ』50周年記念国際集会」に庭野光祥次代会長が出席。ローマ教皇フランシスコに謁見 11月4日 東京都杉並区の「災害時における帰宅困難者の受入等に関する協定書」に調印 2017年5月29日 日中友好宗教者懇話会の創立50周年記念式典が都内で開催され、庭野会長が参加 8月25日 WCRP日本委員会と中国宗教者平和委員会による「第1回日中宗教指導者交流」が行われ、庭野会長が参加 2018年4月 スリランカ政府からの要請によりコロンボ市にて、「カウンセラースキルアップ講座」を開催 8月3日 国連難民高等弁務官事務所から、永年の難民、移民の救済活動への協力に対し、感謝状が贈られる 2020年 コロナ感染症のため、本部のホームページより式典を行っている。
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