移動海上基地(MOB)案
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「普天間基地移設問題」の記事における「移動海上基地(MOB)案」の解説
英称はMobile Offshore Base。この当時既にアメリカ軍が研究を始めていた。1996年9月に橋本が海上ヘリポート案を示した際一気に世間の注目を浴び、一時は有力候補と目され、当時の海兵隊司令官であったクルラックなど、関係者が期待を示している。 アメリカ軍は1960年代から70年代にかけて、国防高等研究計画局で「Mobile Ocean Basing System Project」と題してこの種の施設の研究を実施していた。 しかし、1990年代になって必要性が従来より強く認識された理由として、下記が挙げられている。 1980年代後半頃から軍産官学各界で開発への機運が盛り上がった。 湾岸戦争の際、海上兵站輸送に支障をきたした。 湾岸戦争当時より「次の時には今回のようにトルコやサウジアラビアの基地提供が得られる保証はない」と言われていた。一般論として、アメリカが軍事力を行使する際、その場所や近傍に基地を確保出来る保証はないことも指摘されている。 兵站上の理由が挙げられているが、朝日新聞はMOBが事前集積船隊の思想の延長にも当っていることを報じている。また、ジョージ・H・W・ブッシュ政権を通じて国防長官であったディック・チェイニーの署名による湾岸戦争を総括したレポートでは、当初1年が必要と見積もられた部隊展開を半年で達成したことや、その要因であるサウジアラビアへの基地建設投資、及び技術開発成果を自賛する一方、「砂漠の嵐作戦に基づく2つの取り組み」として技術革新と将来への備えを勧告している。 船橋洋一は普天間問題で本案が注目を浴びた時、MOBを推進してきたキーマンとして、第6艦隊司令官として湾岸戦争に参陣したウィリアム・オーエウェンズ退役海軍大将の名を挙げている。 このため、国防総省は1990年代初頭より「地域紛争対処型新兵器システム」として実用性の検討を開始し、海軍の研究機関が中心となって要素技術の開発が進められた。1991年にはハワイ大学で『International workshop of VLFS』(VLFS'91 第1回超大型浮体式海洋構造物に関する国際ワークショップ)が開催された。国防総省は1992年から翌年までの研究開発基金を生み出すことに成功した。その後、国防高等研究計画局は1993年から1996年まで「Maritime Platform technology」と題して研究を行った。クリントン政権にはチェイニーの後釜で新政権で最初の長官となったレス・アスピンのように、技術革新に強い関心を示した国防長官も居た。しかし、江畑によれば政権としては国防予算は減額傾向にあり、MOBに高い優先順位は与えられなかった。1996年より3000万ドルの予算で、MOBのような洋上プラットフォームの建造にどのような技術が必要であるかの研究を進めることとしたが、これは予算を少し消費しただけで中断した状態になった。 1990年代末、普天間代替基地の候補と目されていた頃考えられていたMOBの構成について説明する。提案はアメリカの民間企業3社で検討されており、内ブラウン・アンド・ルート社の作成したMOBのパンフレットが最初に日本国内で出回り始めた。 B&R案 B&R社は概念設計を請け負った。用語としてのMOBを生んだのもこの会社である。研究は再編されたばかりの研究機関、NSWCCD(Naval Surface Warfare Center、Carderock Division)のテーラー水槽にて1993年7月から1994年11月まで続けられた。同社は60分の1のスケールモデルを作成して各種の試験を行っている。 このMOBはそれぞれ独立したセミサブ式メガフロートであり6つのモジュールで構成される。モジュールはCommand Module(指揮管制モジュール)、RO-RO Module(兵站モジュール)、Warehouse Module(倉庫モジュール)、Thuruster Module(スラスターモジュール)の4種に分類できる。6つのモジュールは同じサイズである。MOB両端部にはスラスターモジュールが設置され、同モジュールは出力1490kWのものが12基設置されており、移動、位置保持を行う。上構は3つのデッキからなり、一番上がフライトデッキ(飛行甲板)である。 『選択』誌によれば、各モジュールのサイズは長さ170m、幅100m、高さ70mとなっている。各モジュールは洋上で連結して完成する。10ノットで移動することも出来る。江畑謙介によれば各モジュールに分割し、曳航するタイプも検討されていたと言う。発着が想定されているのは、ヘリの他、C-130や同機の給油機仕様のKC-130が考えられている。 下記に専門誌に掲載された主要目を示す。 全長:152m(アッパーハル、6モジュール結合時914m) 幅:91m 高さ:65m 喫水:30.5m(満載)、12.8m(移動時) 排水量:677122メートルトン(MT 満載) 搭載能力:ドライカーゴ148400MT(車両含)、使用スペース254000平方メートル(フライトデッキ除く) リキッドカーゴ49800MT(大半はlower hullに収蔵) 速力:6.2ノット(at survival draft when fully assembled) 8.5ノット(transit draft) 耐用年数:40年 なお、『Journal of Marine Science and Technology』によればtransit draftとするには貨物の一部を降ろす必要がある。また、スラスターモジュールではなく、各モジュールにスラスターを分散させることがB&Rより提案され、合計出力35790kWでは位置保持に出力が不足していることが明らかとなった。 車両移動はSS3(Sea State、状況によりSS4でも可)、主要な荷役作業はSS4まで可能である。ただし、大半のRORO船が港湾での荷役を前提にしているため、モデル試験で挙動を定量化する際、やや主観的に決定した要素がある。コンテナのクレーン荷役は殆ど研究されなかった。実用化に際しては追加の研究を必要としていたと言う。 同社は橋本発言の直後、「開発は既に85%が終わっている」と述べていたが、上記のように実物サイズはまだ1基もない状態であった。費用は6モジュール合計で2000億円と見積もられたという。国防大学にも模型が飾られていたという。 作戦運用上のデメリットについては、当局者のコメントとして下記が報じられている。 大きさの制約から基本的には滑走路機能しか持てない 陸上との連絡は桟橋などに頼れず、兵員輸送にはヘリを使用するため、沖縄本島に支援のための大規模地上施設が必要 Mcdermott案 McMOBと呼ばれている。同社は舶用クレーンの分野で知られ、論文の中で三井造船が建造を担当したDERRICK BARGE No.102など過去の実績に触れているものもある。同社は1995年11月から契約に基づき、概念研究を行った。研究ではB&R社の概念設計の教訓を取り入れている。設計に際してはC-17の運用を意識してサイズが決められている。大きさの等しい5つのサブベース(モジュール)から成る。ロワーハルはタンカーに類似した形状とされている。本案もNSWCCDのテーラー水槽にて60分の1のスケールモデルを作成して各種の試験を行っている。風洞、流体試験は1996年夏で終了し、予備設計も1997年夏で完了の予定であった。下記に専門誌に掲載された主要目を示す。軍は1995年に要求仕様を示したが、McMOBは速力などで部分的に上回る仕様となっている。 アッパーハル全長:300m(5モジュール結合時1500m) 幅:153m 高さ:67m カラム:8本(4×2)、直径27m、横方向中心間隔92m、縦方向中心間隔72.3m ロワーハル:2基(ポンツーン)、中心間隔92m全長:260m 幅:44m 深さ:14m 喫水:35m(Operational draft)、30m(Survival draft) 重心:基線より30m上方 連結ヒンジ数:8(自由度3) 排水量(1モジュール当り)190544MT(Transit draft 30000MTのドライ/リキッドカーゴを含む) 374 000 MT(Operational draft of 35m) 搭載能力:60000MT(Maximum payload、1モジュール当り、ドライ/リキッドカーゴ計) スラスター出力:50000kW(1モジュール当り、6250kW×8) 速力:15ノット(10.8m transit draft、full payload) 14ノット(12.2m maximum payload) モジュール間の連結はSS5まで可能で、SS7では切離す。模型実験の結果、SS4にて接舷する船舶は相対運動を抑制するように設計したものである必要が分かった。 Kværner Maritime/ボーイング案 柔軟性を持たせたトラス構造のアーチ状の長大橋で架橋する。論文ではFlexible Bridge MOBと紹介されている。 セミサブ全長:213m 3基 長大橋全長:457m 2基 ベクテル/レイセオン/Nautex案 Independent Module MOBと称される。全長500mのセミサブ式モジュール3基が縦に並んだものであるが、ヒンジや橋による連結は行わず、Dynamic positioningによって位置保持を行う。 小型案、移設検討の中での議論 橋本は海上ヘリポートと述べただけだったが、アメリカの一部関係者はMOBに乗り気であった。1996年9月20日に開催された「2プラス2」後、国防次官補代理のキャンベルは、セミサブ式の油田掘削リグを例示しながら「日米両国はこれらの問題で大きな技術力を持っている」と移動式海上基地に対する期待を示した。 クルラックも同様で、20日に開いた記者会見ではMOBへの移設可能性について語った。その中で「ある時にはフィリピン沖に係留して訓練をし、ハスの葉のように行ったり来たりする」とMOBの性格を説明している。ただし、梅原季哉などによればクルラックは元々冷戦後の脅威が世界に拡散したことに対して海兵隊の分散配置と技術革新で応えようとする考えがあり、1996年にトム・クランシーが出版した『Marine: A Guided Tour of a Marine Expeditionary Unit』でもクルラックは事前集積とMOBの概念について応えている。また、当時海兵隊が纏めた「2010年の海上事前集積」という文書では従来型事前集積船、超高速輸送船、MOBの3本柱で構想が描かれていた。海兵隊本部の戦略構想部門からクルラック直属の戦闘実験室実験作戦部門長に異動したジェームズ・ラズウェル大佐はMOBの活用法について机上研究を繰り返したと言う。9月30日には沖縄沖での導入を前提に、国防総省が近く米企業と新たな研究契約を結ぶと報じられた。研究には6~9ヶ月の期間を見込んでいる。 しかし、10月に入るとMOBの規模を縮小し、移動も余り重視していないと報じられた。これは小規模なMOBで、実行可能性調査(feasibility study)も完了して技術的に可能と結論された。浮体海上施設(FOF)と呼ばれ、300m四方の正方形であった。喫水は30m以上。兵員居住区、弾薬、燃料、格納庫等の設置が主目的となっている。琉球新報は「訓練限定型」として報じており、技術的に未知数な点が多いこともあり、中間報告の段階でQIP等の日本側提案を受け入れたと述べている。この時点で、11月下旬までの結論は困難との観測も流された。『日経コンストラクション』によれば、SACO最終報告を出すに当って日本政府が設置したTAGなどの研究グループは、本格的には検討の対象としなかったようである。なお、ラズウェルは小型MOBの検討について「オスプレイが発着できるだけの規模はぜひ必要」と述べている。 ただし、大型のMOBが諦められた訳ではなかった。むしろ小型MOBは早期に報道されなくなり、日本側が示していた各案に匹敵するサイズである、B&R社案などが引き続き登場している。例えば『選択』誌はFIGの場にてアメリカ側がSACO最終報告の3方式に「難癖をつけ、落としどころとする可能性は捨てきれない」旨の観測も示している。 MOBというシステムが持つネックとしては『世界週報』などにて下記が指摘されている。 小型のMOBであっても海上ヘリポートの2~3倍の建造費用がかかる。 移動可能という空母のような性格を持つため、建造後日本が所有権を保持すれば攻撃用装備として論争を引き起こす可能性がある。 移動可能という空母のような性格を持つため、アメリカ側に譲渡すれば、武器輸出三原則に抵触する。 日本が貸与するにしても、事実上の管理権がアメリカにあるならば、アメリカ軍が必要と考えて日本以外のどこかに移動して作戦に投入する可能性がある。 上記を懸念して普天間代替用と言う目的を貫徹し、沖縄近海以外の移動を禁じるのであれば、最初から高価な移動式にする必要がない。 なお、SACO後に検討を再開するきっかけとなったのは1998年にイラク情勢が不穏となった際である。この年の2月、トルコ、サウジアラビア、バーレーンなどはイラク攻撃用航空機の発進場所として自国の基地使用を拒否するかのような態度を取ったため、一部には憂慮された事態が現実のものとなったと受け取られた。 また、当時のアメリカ軍からは海軍や海兵隊ばかりでなく、陸軍や統合参謀本部から、特殊作戦部隊の発進基地、地上部隊と支援部隊の洋上基地、軍用装備と補給物資の貯蔵基地、病院など様々な用途への使用が構想されていた。当時、海兵隊は2010年以降の洋上事前配備計画の中でMOBの利用を研究しており、陸軍は2010年以後のあり方を決定する「Army After Next」研究計画で、陸軍大学で実施するシミュレーションにてMOBの使用をシナリオに組み込む予定であった。 この少し後の2000年に日本造船学会主催で行われた学術報告によれば、要求設計条件は下記のように厳しい内容である。 SS 6までの波浪中での航空機の運用が可能であること SS 3までは艦船による貨物の荷役作業が可能であること 40年の耐用年数 ハリケーンや台風のなかでの生き残り等 また、技術的課題としては、下記が挙げられている。 構造強度上の最も重要な問題の1つはモジュール間の結合/分離メカニズム 荷重や構造方式などで未解明の問題がある 縦曲げモーメントよりも、波や潮流による横曲げモーメントの方が過酷 極端に長い形状のために、通常の船や海洋構造物では起こらない問題が生じる マリンフロート推進機構は専門書にて期近に実現の可能性が高い外洋形構造物が何かを想定する際、MOBを水深数百mの大水深域における浮体に区分し「一足飛びの1.5km浮体では実績に裏付けられた技術レベルからのジャンプ量が大きすぎると判断される」と評しており、日本の当面の開発目標として、外洋大水深域では数百m規模のサイズの浮体を開発目標にするよう提言している。
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