実行可能性調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 02:58 UTC 版)
東芝、日立、富士電機は上述の経緯から共同でJK-PWRの検討作業に入っていたが、1982年から東京電力の委託で実行可能性調査(企業化調査、フィジビリティスタディ)を開始した。東京電力が依頼した調査内容は大要として下記から成っていたという。 建設コストの安いJK-PWRの耐震設計が可能か 日本の諸条件で安全性を維持できるか K-PWRの運転期間は(当時)約1年だったが、これを15ヶ月に延長出来るか 調査が実施されている間、JK-PWRの受注予想も流された。日経産業新聞が「業界」の見立てとして報じたところによれば、JK-PWRの1号機はKWUが直接手掛け、2号機以降は国内メーカーが受注するという下馬評があり、このパターンはかつてBWR、PWRが辿った足跡でもあった。また、当初、調査の結果は1982年いっぱいで提出される予定であった。その後、中間報告書は1982年夏までには提出された。公開はされなかったが「導入に当たって重大な障害は無い」という結論であると推測されていた。 しかしながら、このような上げ潮ムードも1983年に入ると退潮の兆しが見え始めた。実際の電力需要が従来の予想ほど伸びず、日本の電力各社が設備投資を圧縮し始めたためである。こうした状況は当時同じように開発中であった新型転換炉なども含めて原子炉全般に影響し、軽水炉の炉型複数化についても電力会社側から膨大な初期投資をして複数化するより、従来採用していた炉の改良で済ませてはどうかといった意見が出されるようになったという(なお日本国内の電力会社、メーカー各社は、従来炉の信頼性向上策という選択を、1975年より開始した第1次、第2次改良標準化計画で体験済みであった)。また、3月には企業化調査の最終報告がまとまる予定であった。
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