実行前夜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 05:21 UTC 版)
主に軍事面と財政面において中央集権体制を進める廃藩置県の必要性は次第に政府内で支持を増やしていた。一方で薩摩藩の島津久光などの近代化と中央集権化に反対する勢力も存在感を維持し、これらに対して大久保利通や木戸孝允などの新政府実力者は漸進的な姿勢をとらざるを得なかった。特に圧倒的な軍事力を抱える薩摩藩の動向は、大きな懸念材料となっており、薩摩藩出身の実力者たちは慎重な姿勢を見せていた。この現状に中間官僚たちは危機感を強めた。 7月4日(8月19日)、兵制の統一を求めていた山口藩出身の兵部少輔山縣有朋の下に居合わせた同藩出身の鳥尾小弥太と野村靖が会話のうちにこの状況に対する危機感に駆られ、山縣に対して廃藩置県の即時断行を提議した。山縣は即座に賛成し、2人とともに有力者の根回しに走った。 翌日2人は、大蔵省を切り回し財政問題に悩む井上馨を味方に引き入れ、7月6日(8月21日)に、井上は木戸を、山縣は西郷隆盛を説得した。西郷は戊辰戦争後の薩摩藩における膨大な数の士卒の扶助に苦慮し、藩体制の限界を感じていた。薩摩藩で大きな支持を集める西郷の同意を得て、中央集権化を密かに目指していた大久保や木戸も賛成した。当初廃藩置県案は薩長両藩の間で密かに進められ、7月9日(8月24日)、西郷隆盛、大久保、西郷従道、大山厳、木戸、井上、山縣の7名の薩長の要人が木戸邸で案を作成した。その後に、公家、土佐藩、佐賀藩出身の実力者である三条実美・岩倉具視・板垣退助・大隈重信らの賛成を得た。 予想される抵抗に対しては、薩長土三藩出身の兵からなる強大な親兵をもって鎮圧することが計画された。
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