租税
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税の帰着
法においては、税を誰から徴収するかを定めている。多くの国では、税は事業者に課されている(たとえば法人税や給与税)。しかし最終的に誰が税を支払うか(税を負担するか)は、その税が製品コストに組み込まれることで、市場が決定する。経済学理論では、税による経済的効果は、必ずしも法的課税者に降りかかるわけではない。たとえば雇用主が支払う雇用に対する税は、少なくとも長期的には従業員に影響を及ぼしている。
租税負担率
国民所得に占める租税の総額(国税と地方税を合わせた租税収入金額を国民所得で除した額)を租税負担率という[32]。また、国民所得に占める社会保障負担額の総額(医療保険や年金保険などを合わせた社会保障負担額を国民所得で除した額)を社会保障負担率といい、国民全体の所得に占める租税と社会保障費の負担の割合を国民負担率(national burden ratio)という[32]。なお、国民負担率に次世代の国民負担(財政赤字分)を加味して算出した割合を潜在的国民負担率という[32]。
徴収方式
税の徴収方式としては、申告課税と賦課課税の二つの方式が主な方式となっている。賦課課税方式は各政府が納付義務を持つものに税額を計算して賦課するものであり、申告課税は逆に納付義務を持つものが自ら税額を計算して政府に申告するものである[33]。賦課課税方式は近代までは中心的な徴収方式であったものの、20世紀後半に入ると申告課税が主流の納付方式となった。このほか、いくつかの国家においては納税者への給与等の支払いの際にその雇用者があらかじめ税額相当を天引きしておく、いわゆる源泉徴収が行われている[34]。また、文書に対し収入印紙を貼り付けて納付する印紙納付もある。
租税の歴史
租税の歴史は国家の歴史と密接に関連する。極端な増税は、農民など税の負担者を疲弊させ反乱を招き国家の滅亡につながることもあった。歴史的には、労働、兵役やその地方の特産物等による納税が行われた時代があった。例えば万里の長城など歴史的な建造物の多くは、強制的な労働力の徴発より作られたものと考えられている。
租税制度は主に次のような変遷を遂げた[35]。
古代
原始には、神に奉じた物を再分配する、という形を取っていたとされている。社会的分業によって私的耕作や家内工業の発展とともに集団の中で支配者と被支配者が生じ、支配者は被支配者から財産の一部を得るようになった。これには、被支配者が支配者に差し出す犠牲的貢納と支配者が被支配者から徴収する命令的賦課があった。古代の税としては、物納と賦役が主に用いられた。物納は農村においては穀物を主とする収穫が主であり、それに古代においては貴重品であった布や、その地方の特産品を特別に納付させることも行われた。賦役は税として被支配者に課せられる労役のことであり、土木工事などの公共事業や、領主支配地における耕作など様々な形態を取った。
古代エジプトのパピルス文書に当時の農民に対する厳しい搾取と免税特権をもつ神官・書記に関する記述がある。
古代インドのマウリヤ朝では、農民に対し収穫高の四分の一程度を賦課し、強制労働も行われていた。
ローマ帝国の税制の基本は簡潔であり、属州民にのみ課される収入の10%に当たる属州税(10分の1税)、ローマ市民と属州民双方に課される商品の売買ごとに掛けられる2%の売上税(50分の1税)、ローマ市民にのみ課される遺産相続税や解放奴隷税などであった。3世紀のアントニヌス勅令以降は国庫収入が減少し、軍団編成費用などを賄うための臨時課税が行われることもあった。マルクス・ユニウス・ブルートゥスは属州の長官に赴任したとき、住民に10年分の税の前払いを要求した。
日本
中国
古代中国の漢の主要財源は、算賦(人頭税及び財産税)、田租、徭役(労働の提供)であった。
北魏において均田制が成立したのち、これに基づいて北周が租庸調の税制をはじめ、唐でもこの税法を当初は引き継いだ。しかし玄宗期に入ると土地の集積が進み均田制が崩壊し、土地の存在が前提であった租庸調制も同時に崩壊したため、780年には徳宗の宰相楊炎によって両税法が導入された。これは税の簡素化と実情に合わせた変更によって税収を回復させる試みであり、以後明にいたるまで歴代王朝はこの税法を維持し続けた。しかし明代に入ると再び税制の実情とのかい離が起こり、税制は複雑化したため、16世紀末の万暦帝期において、宰相張居正が税を丁税(人頭税)と地税にまとめて銀で一括納入させる一条鞭法を導入した。清代に入ると、丁銀を地銀に繰り込んで一本化した地丁銀制が導入された。
イスラム
イスラームを国教とするいくつかの王朝では、ズィンミー(異教徒。キリスト教徒・ユダヤ教徒など)に対してジズヤ(人頭税)の徴収が行われた。この方式は7世紀のウマイヤ朝を起源としている。正統カリフ時代には税制はいまだ未整備であったが、ウマイヤ朝期に入るアラブ人以外のイスラム教徒(マワーリー)および異教徒からジズヤとハラージュ(土地税)の双方を徴収することとなった。しかしこの方式はマワーリーからの大きな反発を招き、アッバース革命を招くこととなった。こうして成立したアッバース朝はマワーリーからジズヤの納入義務を撤廃し、またアラブ人のイスラム教徒であってもハラージュの納入を義務付けた。こうして成立したジズヤ(異教徒への人頭税)とハラージュ(全国民対象の土地税)の二本立ての税制は、イスラーム諸王朝の基本税制となって広まっていった。
ヨーロッパ
中世ヨーロッパでは封建制が採られ、土地を支配する封建領主は土地を耕作する農民から貢納を得て生活していた。貢納のほか、領主直営地における賦役農耕も重要な税のひとつであった。その代り、領主は統治者として領民を外敵から守る役割を果たしていた。領主の主収入は地代であったが、私的収入と公的収入が同一となっており、しばしば戦費調達のために臨時収入が課された。その後、領主は戦争や武器の改良、傭兵の台頭によって財政難に陥り、相続税・死亡税の新設や地代を上げる。しかし、それでも賄いきれなくなった領主は特権収入に頼るようになる。
ここで言う特権とは、鋳貨・製塩・狩猟・探鉱(後に郵便・売店)を指し、領主はこの特権を売渡すことで収入を得た。特権収入の発生は実物経済から貨幣経済への移行の一つの表れとみられている。
貨幣経済が発達すると新しい階級として商人階級が生まれる。土地は売買の対象となり、領主と農民の関係は主従関係から貨幣関係へと変質した。貴族は土地の所有と地代収入を失ったため、商人たちに市場税・入市税・営業免許税・関税・運送税・鉱山特権税などを課す。これらは租税と手数料、両方の側面を持っていた。
1624年にはオランダにおいて収入印紙が初めて導入され、17世紀中にはヨーロッパの多くの国家に広まった。
租税時代
封建末期の貴族たちは商人たちから借金を重ねていたため、遂に徴税権を商人たちに売渡す。この商人たちは租税の代徴を行う徴税請負人として人々から税を徴収したが、増益分は自らの懐に入るため、過剰な租税の取り立てが行われた。特に18世紀のフランスのアンシャン・レジームの下では、3つの身分のうち、第一身分(聖職者)・第二身分(貴族)は免税の特権を持っていた。このため人々の租税に対する不満が高まっていく。
1789年のフランス革命とこれに続く市民革命によってヨーロッパの封建制は崩壊し、立憲君主制が始まった。国家の収入は経常収支としての租税が大半を占めるようになる。また、君主の私的収入と国庫収入が切り離され、租税収入が歳入の中心を占める公共財政が確立し、現代まで続いている租税時代が始まる。またこの時代になると近代化とともに賦役はほとんどの地域において廃止され、労働に対し国家が賃金を払って公共工事などを行うようになっていった。
立憲制とともに租税法律主義も普及し、イギリスの「権利の請願」「権利の章典」などによって確立していく。さらにフレンチ・インディアン戦争による財政難からイギリス議会が英領アメリカ植民地に砂糖法や印紙法、茶税などのタウンゼンド諸法によって次々と課税を試みようとしたことはアメリカ植民地を激昂させ[36]、租税法律主義に由来する「代表なくして課税なし」という有名なスローガンのもとでアメリカ独立戦争を引き起こすきっかけとなった[37]。
1799年、イギリスではナポレオン戦争の戦費を調達するために所得に対して課税が行われた。これ以降、産業革命による資本主義の発達を背景に所得税を中心とした所得課税が世界に普及していく。ただし初期の所得課税は高額所得者に対するもので、税収総額としてはわずかなものであった[38]。
20世紀には、社会主義の台頭や社会権の定着によって、所得税・相続税の累進税率が強化された。しかし、1980年代に入ると企業意欲・労働意欲を高めるために税率のフラット化が行われた。また20世紀も中盤にいたるまで消費課税はある特定の商品のみにかけられるものであったが、1954年に一般的な消費すべてにかけられる付加価値税がフランスにおいて導入され、以降世界各国において導入されるようになっていった[39]。
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- ^ 給付付き税額控除と並んで近年注目されるベーシックインカムについては、就労可能な個人の労働意欲(就労インセンティブ)を損ないかねないという見方がある一方、それが労働市場に与える影響に関して現在様々な見解がある。ボランティアなど社会的活動への報酬として位置づけるという意見、稼得所得による給付額の逓減が無いことにより労働供給へのマイナス効果は小さいという意見、税制全体として給付の財源を賄うため累進課税の負担が増えると間接的に労働供給の阻害要因になるという意見など。(佐藤、p.93)
- ^ 鎌倉、pp.1-11。佐藤、pp.73, 74。森信茂樹「給付付き税額控除の具体的設計」『税経通信』922号、税務経理協会、2010、pp.38-40。
- ^ 森信2010では、給付付き税額控除をその政策目的によって勤労税額控除、児童税額控除、消費税逆進性対策税額控除の3種に分類している。ただし、森信「給付付き税額控除の4類型と日本型児童税額控除の提案」(『国際税制研究』第20号、納税協会、2008年、pp.24-34)では、現金給付の代わりに社会保険料の控除を行うオランダ型の社会保険料負担軽減税額控除も1類型に加えて4分類としている(白石浩介「給付つき税額控除による所得保障」『会計検査研究第』42号、会計検査院、2010年、p.1)。
- ^ 鎌倉、pp.2, 3。
- ^ 鎌倉、pp.2-6, 9。
- ^ ドイツとカナダの児童手当は税額控除を伴わない給付のみの制度であるが、ドイツの児童手当は所得税法で規定されており児童控除との選択制、カナダでは税務当局である歳入庁が執行している(鎌倉、pp.6, 9)。
- ^ 鎌倉、pp.2, 8。
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- ^ a b c 深澤映司「地方税の標準税率と地方自治体の課税自主権」『レファレンス』735号、2012年、pp.48-49。
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- ^ 原文はドル。
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