ラッファー‐きょくせん【ラッファー曲線】
読み方:らっふぁーきょくせん
ラッファー曲線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 05:30 UTC 版)
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課税 |
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財政政策のありさまのひとつ |
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ラッファー曲線(ラッファーきょくせん、英: Laffer curve)は、最適な税率に設定することにより政府は最大の税収を得られるということを示すために、経済学者アーサー・ラッファーによって提唱され、ウォールストリート・ジャーナル記者ジュード・ワニスキーによって広められた。
0%と100%の両極端な税率では政府は税収を得ることができない。0%では当然税収はゼロであるし、100%では勤労する意欲がなくなるからである。従って、0%-100%のうちのどこかに、最大の税収を得られる税率があるとする。もし現在の税率がその「最適な税率」を超える水準にあるのであれば、減税によって税率を「最適な税率」まで下げることで、税収を増やすことができるとする。アメリカにおける1980年代の減税の基となった概念である。
減税の正当性を根拠づけるためによく用いられるが実証的なデータは乏しい。
経緯
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ラッファー曲線の先駆的なアイデアは、イスラム学者のイブン・ハルドゥーン(14世紀)やフランスの経済学者フレデリック・バスティア(19世紀)などによって記述されている。

一説には、ラッファー曲線は、1974年にワシントンD.C.のとあるレストランで、ラッファーとロバート・マンデルがジュード・ワニスキーに概念を説明している際にナプキンに描かれたのが最初であるという。ちなみにこの場にはドナルド・ラムズフェルドとディック・チェイニーが同席していたという。
当初はその単純さ故に"Laughable(笑える、ばかばかしい) Curve"と呼ばれた[1]。
ラッファー曲線とサプライサイド経済学は、1981年のレーガン大統領によるケンプ=ロス減税をもたらした。サプライサイド支持者は、政府活動は曲線の半分より右側の領域で行われているので、税を下げることが税収の増加に結びつくであろうと主張した。従来の経済理論の枠組みはラッファー曲線の基礎概念をうけいれたが、政府活動は曲線の左側で行われており、よって減税は税収の減少になると主張した。核心となる問題は、税率に関しての労働の弾力性である。
アメリカにおいては、1980年代の減税と財政支出を増やす政策の両方が大きな財政赤字を引き起こしたという主張と、実際のデータではアメリカ政府の収入はこの期間には増加しており、これは赤字が減税によるものではなく、政府支出の増大のみによるものであることを示しているという主張がある。
脚注
参考文献
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。
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- 関志雄「幻想にすぎない連休の景気浮揚効果 - ラッファー曲線から学ぶべき教訓 ―」RIETI 2003年1月30日
関連項目
ラッファー曲線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 19:25 UTC 版)
詳細は「ラッファー曲線」を参照 ラッファー曲線の一つの可能な結果は、一定の値を超えた税率の増大は税収のさらなる増収にたいして反生産的になるであろう、ことである。任意の与えられた経済にたいする仮説的なラッファー曲線はただ見積もることだけができる。そしてこのような見積もりはしばしば論争になる。The New Palgrave Dictionary of Economics(英語版)は、税収最大化の税率の評価すなわち見積もりは、70%の近辺の中間の領域をもって、広く様々であることを報告する。
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「ラッファー曲線」の例文・使い方・用例・文例
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