イスラム‐げんりしゅぎ【イスラム原理主義】
イスラム原理主義(いすらむげんりしゅぎ)
イスラム法の教えに忠実に従って、今の政治社会を作り直すことを目指している。イスラムの原点に立ち返ろうとすることから、イスラム復興主義とも呼ばれている。
イスラム教徒の多い中東地域でも、グローバル化の流れに沿った近代化政策が推進され、欧米型の制度や生活様式が浸透を始めている。すると、これら欧米型の政治姿勢を批判し、そして否定しようとする勢力が現れた。イスラム原理主義は、イスラム法(シャリーア)にある信条や道徳などを厳格に実践し、預言者ムハンマドの共同体(ウンマ)の再興を目指している。
イスラム原理主義では、テロ活動を続ける過激派が非合法のうちに組織され、1990年代以降、世界各地での破壊活動が目立つようになった。1997年にエジプトであったルクソール事件、1998年のケニアとタンザニアであった米大使館爆破事件などは、聖戦(ジハード)の名のもとで行われたテロ活動だと見られている。
2001年 3月にバーミアンの仏教遺跡を破壊したタリバーンもイスラム原理主義に基づく過激派のひとつとされる。このほか、ムスリム同胞団、イスラム聖戦機構、イスラム集団、イスラム救国戦線などが過激派として各地で反政府運動を繰り広げている。
中東地域において、支配階層の政治腐敗が明るみになり、貧富の格差に不満をもつ人が増えた。社会構造の変化による失業問題も深刻だ。さらに、イラン、イラク、アフガニスタンなどでは干ばつが続き、追い討ちをかけている。このように不安定な政情が背景となって、イスラム原理主義は勢力を伸ばしつつある。
(2001.09.14更新)
【イスラム原理主義】(いすらむげんりしゅぎ)
Islamic fundamentalism
イスラム教の経典「コーラン」に忠実であろうとする考え方のこと。
元来、原理主義(根本主義)とは、キリスト教圏においてプロテスタントの一部勢力が
「聖書の一字一句を言葉どおりに解釈する」
として排他的な宗教活動をおこなった事を指す言葉である。
これになぞらえ、イスラム教の中でもコーランに忠実であろうとする勢力を、西側諸国のマスコミなどがこう呼んだ。
概念としては比較的新しく、1970年代以降、石油利権で急速に富裕化したイランで始まったものとされる。
当時のイラン国王はオイルマネーを背景とした近代化政策を推し進めていたが、貧富の差などから国民の反発を買う。
これにより「イラン革命」が勃発して王朝は崩壊。イスラム教シーア派の法学者ホメイニーを国家元首とするイラン共和国が誕生。
革命の経緯から西欧化政策は撤回され、古典的イスラム法典による政教一致政治という史上類を見ない体制が敷かれた。
この出来事はイスラム世界においては政治史上の革新と見る向きがあるが、キリスト教圏においては「時代に逆行する愚かな体制」と見られている。
この偏見から、イスラムの政教一致運動を「キリスト教徒における救いがたい愚か者ども」になぞらえてイスラム原理主義者と呼ぶようになった。
その語源から、実態は不明瞭きわまりなく、平和的なイスラム復興運動からイスラム教への排他的な執着、果てはイスラム教徒による宗教戦争やテロリズムまでを十羽一からげに指している。
概ねイスラム教に対する差別感情を背景に持つ言葉であり、マスコミなどでイスラム教徒の反社会的なテロリズムを指して使われる事が多い。
近年では、「イスラム原理主義」というレッテルに対して「スパイ活動の一環としての事実捏造」「キリスト教原理主義者がイスラム教徒の社会的地位を失墜させるために行った陰謀」あるいは「無知ゆえの感情論で事態をさらに混迷させた愚行」などとして批判される事も少なくない。
当のイスラム諸国においても狭義の原理主義(いわゆる「過激派」)は相互互助、慈悲、寛容などといったイスラム教徒としての倫理を無視し、テロリズムによる人的・経済的被害にイスラム教徒を巻き込んでも恥じる事もない、として大多数の国民から非難の眼差しを浴びている。
また、教義や組織が破壊的特性を持つのはイスラム教に特有の現象ではなく、どんな宗教でも、あるいは企業でも互助会でも政党でも趣味のサークルでも、とにかく新興組織にはありがちな錯誤であってイスラム教徒かどうかはあまり問題ではない、という主張もある。
第一に重要なのは、テロリズムによってのみ達成し得る危険な目標を掲げるリーダーの存在、第二に実際にテロリズムを実践できる人的・経済的資源であり、第三にテロリストの動機を生み出した深刻な社会問題(あるいは存在しない正義を信じさせる方法、すなわち「洗脳」に関する人権上の問題)であって、この三つが満たされた場合はいかなる思想・教条でもテロリズムの温床となり得る。
関連:イラン革命 9.11事件
イスラム原理主義
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イスラム主義 |
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イスラム原理主義(イスラムげんりしゅぎ)またはイスラーム原理主義(イスラームげんりしゅぎ)とは、イスラム神学、イスラム哲学、イスラム法(イスラム法学および法解釈を厳格にするべきとする思想・学派)を規範として統治される政体や社会の建設と運営を目ざす政治的諸運動を指す用語である。アメリカ合衆国をはじめとするキリスト教圏諸国の反イスラーム主義思想を反映した、往々にして否定的・批判的ニュアンスを帯びた呼称となっており、この用語自体への批判がある。
定義
イスラム原理主義とは、シャリーア(イスラーム法)に基づいて統治されるイスラーム国家・イスラーム社会の建設と運営を目ざす政治活動や諸運動のうち、欧米などの非イスラム諸国(キリスト教国)の国民・報道・議会・政府などが、欧米などの非イスラム諸国(キリスト教国)に敵対する存在であると見なした国・政府・政党・団体に対して、敵対や侮蔑の感情をこめて使用する言葉である[1][2][3][3][4][5][6][7][8][9]。
用語への批判
日本での「イスラム原理主義」という用語は、英語の Islamic fundamentalism の日本語訳としてジャーナリズム等で使われて広まったものであり、この用語は今日一般に受容されている。
しかし、今日一般に原理主義と翻訳される英語の fundamentalism (ファンダメンタリズム)は、もともと「根本主義」と翻訳されるキリスト教の神学用語で、それが一部の保守的キリスト教徒を嘲弄(嘲笑や侮蔑)する意図の込められたレッテルとして使われるようになったという経緯がある[10][11][12][13][14][15][16][6]。
したがって、ファンダメンタリズムの語は、本来「キリスト教に由来するもの」であり、これをイスラム教に結びつけることの是非に関しては議論がある。こうしたことからイスラーム研究の専門家の間では、イスラム原理主義の代わりに、イスラーム主義、イスラーム復興主義、イスラーム急進主義といった用語が使われる[17][7][18][8]。欧米では政治的イスラームとも呼ばれる。
表現の起源
日本では一般に原理主義と翻訳されるようになったファンダメンタリズムという言葉は、本来は1920年代のアメリカ合衆国で、聖書の近代的な文献批評に反対する保守的なキリスト教徒たちが自分たちをファンダメンタリストと自称したものであり、ファンダメンタリズムはその神学的立場を表す「固有名詞」であった[1][11][12][13][14][15][16][6]。後には、当事者でない人々からの他称ないし一種の蔑称としても使われるようになり、ダーウィンの進化論を認めず、これを学校教育で扱うことに反対したような人々がファンダメンタリストのレッテルを貼られた[1][11][12][13][14][15][16][6]。
アメリカ合衆国では、1979年のイラン・イスラム革命でアメリカ合衆国の傀儡政権であったパフラヴィー政権が打倒され、イスラム法に基づいて統治する革命政権が樹立された時に、革命政権を敵視して、本来はアメリカ合衆国のキリスト教における一つの神学的立場を表す固有名詞であるファンダメンタリズムを、教典の原典を無謬と信じ、著しく極端な教義を主張し追求する、狂信的な運動や思想という意味に一般名詞化し、イスラムと連結して Islamic Fundamentalism という表現を作り、イスラム革命政権に対して敵対や侮蔑の感情を込めて[誰が?]使用し始めた[1][2][3][3][4][5][6]。
言葉の用法としては、第二次世界大戦時の交戦相手である日本軍・日本人に対する「ジャップ」や、ベトナム戦争時の南ベトナム解放民族戦線や北ベトナム軍に対する「ベトコン」などと同じである。
その後、アメリカ合衆国の国民・報道・議会・政府などは、イスラム原理主義という表現を、ハマース、ヒズボラ、ムスリム同胞団、ターリバーン、アルカーイダなどに対しても使用するようになった。
アメリカ合衆国の公的言説では、イスラム法に基づいて統治をしている国家・社会・政府・政党、イスラム法による統治を目ざす政党・団体であっても、サウジアラビアのように、アメリカ合衆国の同盟国や友好国、友好政党・団体に対しては、イスラム原理主義という表現は使用されない[19]。
ムスリム側の表現
イスラム原理主義は、世俗化に抗して社会活動や政治活動を通じてイスラームの復興やイスラームによる統治を求める「イスラーム復興運動」や「イスラーム主義」[17][7][18]に対して、キリスト教徒などの非ムスリムがイスラムという言葉とキリスト教の神学用語に起源をもつ言葉とを結びつけて呼んだ表現であり、当事者(イスラーム主義者)による自称ではない。アラビア語ではイスラーム主義者はイスラーミー、原理主義者はウスーリーユーンである[20]。
言葉が使用される対象
脚注
- ^ a b c d 臼杵 1999, pp. 29-41: I - 第2章 論争の中の原理主義.
- ^ a b 小川 2003, pp. 136-140: 第4章 イラン 世界初のイスラーム革命.
- ^ a b c d 小原・中田・手島 2006, pp. 42-46: 第1章 なぜいま原理主義を問うのか > 2. 原理主義を理解するための基礎知識.
- ^ a b 小原・中田・手島 2006, pp. 164-167: 第4章 イスラームと原理主義 > 1. イスラーム原理主義という概念.
- ^ a b 小原・中田・手島 2006, pp. 205-216: 第4章 イスラームと原理主義 > 5. イスラーム原理主義再考.
- ^ a b c d e 大塚 2004, pp. 6-10: 序章 イスラム原理主義からイスラーム主義へ.
- ^ a b c 山内 1996, pp. 10-19: 序 いま、なぜイスラム原理主義なのか.
- ^ a b 山内 1996, pp.143-160: 第5章 イランは原理主義国家か.
- ^ 朝日新聞>中東マガジン>中東ウォッチ@>ムスリム同胞団を「イスラム原理主義」と呼ぶ日本メディア(2013年10月24日閲覧)
- ^ 臼杵 1999, pp. 27-29: I - 第2章 論争の中の原理主義.
- ^ a b c 小川 2003, pp. 18-24: 第1章 比較概念としての原理主義.
- ^ a b c 小原・中田・手島 2006, pp. 31-38: 第1章 なぜいま原理主義を問うのか > 原理主義を理解するための基礎知識.
- ^ a b c 小川 2003, p. 57: 第2章 米国 原理主義の逆襲.
- ^ a b c 小原・中田・手島 2006, pp. 86-92: 第3章 キリスト教と原理主義 > 原理主義に対する現代的理解.
- ^ a b c 小原・中田・手島 2006, pp. 122-136: 第3章 キリスト教と原理主義 > 社会に認知される原理主義.
- ^ a b c 小原・中田・手島 2006, pp. 144-151: 第3章 キリスト教と原理主義 > 福音派と宗教右派.
- ^ a b 大塚 2004, pp. 10-17: 序章 イスラーム主義とイスラーム復興.
- ^ a b 山内 1996, pp. 69-88: 第2章 イスラーム主義とイスラーム復興.
- ^ 山内 1996, pp. v-viii: はじめに.
- ^ 小原・中田・手島 2006, pp. 168-180: 第4章 イスラームと原理主義 > 2. ウスーリーヤ(原理主義)と「ウスール」学派.
参考文献
- 臼杵陽『原理主義』岩波書店〈思考のフロンティア〉、1999年。ISBN 978-4000264242。
- 大塚和夫『イスラーム主義とは何か』岩波書店〈岩波新書〉、2004年。ISBN 978-4004308850。
- 小川忠『原理主義とは何か』講談社〈講談社現代新書〉、2003年。ISBN 978-4061496699。
- 小原克博、中田考、手島勲矢『原理主義から世界の動きが見える』PHP研究所〈PHP新書〉、2006年。ISBN 978-4569655772。
- 山内昌之『「イスラム原理主義」とは何か』岩波書店、1996年。ISBN 978-4000027724。
関連図書
- 井上順孝、大塚和夫『ファンダメンタリズムとは何か』新曜社、1994年。ISBN 978-4788504943。
- サイイド・クトゥブ『イスラーム原理主義の「道しるべ」』岡島稔・座喜純(訳・解説)、第三書館、2998年。ISBN 978-4-8074-0815-3。
- 内藤正典『イスラームから世界を見る』筑摩書房〈ちくまプリマー新書〉、2012年。ISBN 978-4480688859。
- 松本健一『原理主義』風人社、1992年。ISBN 978-4938643065。
関連項目
イスラム原理主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 05:20 UTC 版)
アルジェリアでは、アルジェリア民族解放戦線が一党独裁を放棄した直後の総選挙で、イスラム原理主義派のイスラム救国戦線が、議席の8割を獲得した。多数決で議会制民主主義を否定するものであり、アルジェリア軍部は直ちにクーデターを起こし、選挙結果を無効にした。 世俗主義を国是とするトルコでは、議会闘争でイスラム原理主義勢力が政権を獲得することは禁止されている。このため、議会で勢力を急伸させた福祉党は、解党のやむなきに至らしめられた。福祉党は、その後数回党名を変更し、イスラム原理主義国家を目指さないことを条件に現在執権している(現:公正発展党)。
※この「イスラム原理主義」の解説は、「議会闘争」の解説の一部です。
「イスラム原理主義」を含む「議会闘争」の記事については、「議会闘争」の概要を参照ください。
「イスラム原理主義」の例文・使い方・用例・文例
- イスラム原理主義
- この国際的に知られている作家はイスラム原理主義者によって悪らつに非難された
- 最初にはアルカイーダのために資金集めを行ったソマリアのイスラム原理主義グループ
- テロ攻撃を計画していると思われるナイジェリアに拠点を置く復活者のイスラム原理主義組織
- イスラエルと共平和に反対し、兵器としてテロリズムを使う過激派のイスラム原理主義者政治運動
- 1980年代にアフガニスタンでソビエト連邦と戦ったパキスタンのイスラム原理主義者のグループ
- イスラム原理主義兵
- イランのシャーで、イスラム原理主義者により1979年に退位させられた(1919年−1980年)
- イスラム原理主義という宗教思想
- イスラム原理主義という政治社会運動
- ウンマという,イスラム原理主義の基礎をなすイスラム共同体
- 2012年,彼女は自身の活動に対する報復としてイスラム原理主義団体タリバンのメンバーに銃撃された。
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