2015年 - 2016年
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「BMK (音楽グループ)」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
2015年2月28日、日本ガイシホールで開催されたBOYS AND MENの一万人ライブに出演。ここで新しい学ラン衣装が披露され、1期生と同じく学ラン姿を基本とする活動スタイルとなった。前年11月加入の米谷と松尾(崇)の2人はここで初お披露目となった一方、五藤と松田の2人はこのライブに出演しなかった。メンバーは五藤と松田の去就について明らかにしないながらも、この2人と米谷・松尾(崇)が入れ替わる形での新たな9人体制に変わったことを示唆した。松田の脱退から2016年9月までの間、リーダーは不在であった。 6月6日、寺坂頼我・野々田奏・北川せつら・神田陸人・中原聡太・松尾青龍・髙崎寿希也の7人による「Boys Be Brave 〜1万回の勇気〜」でCDデビュー。米谷はこれに不参加、松尾(崇)はこの時点で活動が見られなくなっている。公開オーディションではない形で加入した三隅一輝が、7月20日に初お披露目となった。同じく7月にはメンバーを固定しない派生ユニット「Babyz」が結成され、その名義でセカンド・シングルをリリースした。9月、誠に代わって、名古屋テレビ塔PRキャラクターに就任。1期生が行っていた名古屋テレビ塔下特設ステージでの無料ライブ開催も引き継ぐ形となった。米谷と三隅はこの年の末までライブにほとんど参加できない、公式ブログのエントリーもずっと設けられない、という表立った活動が制限されていた立場であった。 12月6日、同月27日開催のライブにおいて、学業のために2013年から長期休業中であった1期生初期メンバーの清水天規が新メンバーとして加入することが発表された。BOYS AND MEN研究生は寺坂頼我・野々田奏・北川せつら・神田陸人・中原聡太・髙崎寿希也・松尾青龍・米谷恭輔・三隅一輝・清水天規の10人体制となった。後述のトウキョウを除けば、清水が最後に加入したメンバーとなる。 2016年5月末頃に松岡拳紀介・横山統威・佐藤匠の3人が所属するBOYS AND MENトウキョウがBOYS AND MEN研究生トウキョウと改められ、3人が参加した4thシングル「Power Of Dream」は「BOYS AND MEN研究生&研究生トウキョウ」という名義でリリースされた。6月に浦上拓也が研究生トウキョウに加入、在籍メンバー全員が参加した5thシングル「バッシャーン!!!」は「&研究生トウキョウ」という表記がなくなり、BOYS AND MEN研究生は「名古屋の10人にトウキョウの4人を合わせた14人」という編成になった。夏にライブ・ツアー『夏ライブ 2016バッシャーン!!!』を開催し、その観客によって6thシングルの選抜メンバーを決める「BOYS AND MEN 研究生人気投票」を実施した。この夏に名古屋市港区のショッピングセンター・イオンモール名古屋みなと内に常設劇場「BM STUDIO」(ベイシティミュージックスタジオ)が設けられ、期間限定での定期公演を開催。9月に1期生と同じく名古屋市中村区のシネマコンプレックス・ミッドランドスクエアシネマ2でおこなう定期イベント『ボイメンワールド』を開始した。BM STUDIOは当初告知された限定期間を過ぎてからもBOYS AND MEN研究生および祭nine.の公演の場として使われた。 9月19日に人気投票の結果を発表。寺坂頼我が1位を獲得し(すべての結果は#メンバーの一欄を、「ドドンコ Don't worry」の選抜メンバーは該当記事を参照)、寺坂はリーダーに就任した。同月21日にBOYS AND MEN研究生の公式サイトが開設され、情報の発信が1期生のもとから独立した。ここに松尾(青)のプロフィールが掲載されなかったことで脱退が示唆され、BOYS AND MEN研究生は寺坂頼我・野々田奏・清水天規・中原聡太・神田陸人・北川せつら・髙崎寿希也・米谷恭輔・三隅一輝・松岡拳紀介・横山統威・佐藤匠・浦上拓也の13人体制となった。12月にテイチクエンタテインメントからリリースした初のメジャー流通シングル「ドドンコ Don't worry」は、オリコンデイリー1位、週間3位を記録した。 2016年に新メンバー追加オーディションがおこなわれ、これを通じてフォーチュンエンターテイメントに入所した者は「仮研究生」という立場になった。仮研究生たちが昇格することはなかったが、数名が後述するBOYS AND MEN研究生名古屋のメンバーとなっている。
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2015年 - 2016年
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「キム・ソヒョン (1999年生の女優)」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
2015年、『匂いを見る少女』の主演の姉妹としてカメオ出演した。ドラマでは、『屋根部屋のプリンス』と『会いたい』に続いて、3度目のパク・ユチョンと共演を果たす。 4月18日、『ショー 音楽中心』のMCを降板した。学校シリーズの『恋するジェネレーション』で初主演を果たし、一人二役を演じた。。このドラマで『第8回コリアドラマアワード』で「今年のスター賞」を受賞した。11月21日、香港のサンシャインシティで初の海外ファンミーティングを開催した。チョン・ヒョンムとパク・ボガムと共に『2015KBS演技大賞』のMCを務めた。 2016年、恋愛映画『純情』で美しい声を持っているが足の怪我に苦しんでいるヒロインを演じた。その後、ミステリースクールのウェブドラマ『悪夢先生』にイ・ミンヒョク(BTOB)と一緒に出演し、学校の不思議な秘密を発見する学級委員長を演じた。同年、パク・ヘリョンの3話のドラマスペシャル『演奏者たち』で事故の後視力を失った「ピアノの天才」を演じた。ドラマは60万回の視聴を達成した。初の台湾でのファンミーティングを4月9日に銘伝大学で開催された。台湾のメディアからは「韓流の妖精」と呼ばれた。 6月4日、イトゥクとホン・ジョンヒョンと『2016年ドリームコンサート』を主催した。またファンタジードラマ『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』でカメオ出演を果たした。
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2015年 - 2016年
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「コーヴ・ガーディアンズ」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
カレン・ハーゲン、リンダ・トラップ。
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2015年 - 2016年
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「BOYS AND MEN研究生」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
2015年2月28日、日本ガイシホールで開催されたBOYS AND MENの一万人ライブに出演。ここで新しい学ラン衣装が披露され、1期生と同じく学ラン姿を基本とする活動スタイルとなった。前年11月加入の米谷と松尾(崇)の2人はここで初お披露目となった一方、五藤と松田の2人はこのライブに出演しなかった。メンバーは五藤と松田の去就について明らかにしないながらも、この2人と米谷・松尾(崇)が入れ替わる形での新たな9人体制に変わったことを示唆した。松田の脱退から2016年9月までの間、リーダーは不在であった。 6月6日、寺坂頼我・野々田奏・北川せつら・神田陸人・中原聡太・松尾青龍・髙崎寿希也の7人による「Boys Be Brave 〜1万回の勇気〜」でCDデビュー。米谷はこれに不参加、松尾(崇)はこの時点で活動が見られなくなっている。公開オーディションではない形で加入した三隅一輝が、7月20日に初お披露目となった。同じく7月にはメンバーを固定しない派生ユニット「Babyz」が結成され、その名義でセカンド・シングルをリリースした。9月、誠に代わって、名古屋テレビ塔PRキャラクターに就任。1期生が行っていた名古屋テレビ塔下特設ステージでの無料ライブ開催も引き継ぐ形となった。米谷と三隅はこの年の末まで公式ブログのエントリーもずっと設けらないままであり、表立った活動に参加しないことが多い立場であった。 12月6日、同月27日開催のライブにおいて、学業のために2013年から長期休業中であった1期生初期メンバーの清水天規が新メンバーとして加入することが発表された。BOYS AND MEN研究生は寺坂頼我・野々田奏・北川せつら・神田陸人・中原聡太・髙崎寿希也・松尾青龍・米谷恭輔・三隅一輝・清水天規の10人体制となった。 2016年5月末頃、松岡拳紀介・横山統威・佐藤匠の3人が所属するBOYS AND MENトウキョウがBOYS AND MEN研究生トウキョウと改められた。松岡・横山が参加した4thシングル「Power Of Dream」は、「BOYS AND MEN研究生&研究生トウキョウ」という名義でリリースされた。6月に浦上拓也が研究生トウキョウに加入。在籍メンバー全員が参加した5thシングル「バッシャーン!!!」は「&研究生トウキョウ」という表記がなくなり、BOYS AND MEN研究生は「名古屋の10人にトウキョウの4人を合わせた14人」という編成になった。夏にライブ・ツアー『夏ライブ 2016バッシャーン!!!』を開催し、その観客によって6thシングルの選抜メンバーを決める「BOYS AND MEN 研究生人気投票」を実施した。この夏に名古屋市港区のショッピングセンター・イオンモール名古屋みなと内に常設劇場「BM STUDIO」(ベイシティミュージックスタジオ)が設けられ、期間限定での定期公演を開催。9月に1期生と同じく名古屋市中村区のシネマコンプレックス・ミッドランドスクエアシネマ2でおこなう定期イベント『ボイメンワールド』を開始した。BM STUDIOは当初告知された限定期間を過ぎてからもBOYS AND MEN研究生および祭nine.の公演の場として使われた。 9月19日に人気投票の結果を発表。寺坂頼我が1位を獲得し(すべての結果は#メンバーの一欄を、「ドドンコ Don't worry」の選抜メンバーは該当記事を参照)、寺坂はリーダーに就任した。同月21日にBOYS AND MEN研究生の公式サイトが開設され、情報の発信が1期生のもとから独立した。ここに松尾(青)のプロフィールが掲載されなかったことで脱退が示唆され、BOYS AND MEN研究生は寺坂頼我・野々田奏・清水天規・中原聡太・神田陸人・北川せつら・髙崎寿希也・米谷恭輔・三隅一輝・松岡拳紀介・横山統威・佐藤匠・浦上拓也の13人体制となった。12月にテイチクエンタテインメントからリリースした初のメジャー流通シングル「ドドンコ Don't worry」は、オリコンデイリー1位、週間3位を記録した。 2016年に新メンバー追加オーディションがおこなわれ、これを通じてフォーチュンエンターテイメントに入所した者は「仮研究生」という立場になった。仮研究生たちが昇格することはなかったが、数名が後述するBOYS AND MEN研究生名古屋のメンバーとなっている。
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2015年 - 2016年
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「ウィキペディア日本語版」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
ウィキペディア日本語版の記事数が2016年1月19日に100万項目を越え、産経新聞、東京新聞などに報じられた。 「ウィキペディアへの批判」も参照
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2015年 - 2016年
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「IU (歌手)」の記事における「2015年 - 2016年」の解説
2015年、KBSドラマ『プロデューサー』に歌手シンディ役で出演し、5月18日、自身が作詞した挿入歌「마음(→心)」がデジタルシングルとしてリリースされた。本作出演を通じて、中国での人気が急上昇し、中国企業からいくつかのプロジェクトのオファーを受け取ったと伝えられている。7月、MBCバラエティ『無限に挑戦』歌謡祭に出演。番組内でパク・ミョンスとともに制作した楽曲「레옹(→レオン)」は8月22日にリリースされ、韓国すべての音源チャートで1位を獲得した。 10月23日、4thミニアルバム『CHAT-SHIRE』を発売。「스물셋(→twenty-three)」を含むアルバムの楽曲がいくつかの音源チャートでトップになった。音楽チャートでの成功の一方で、収録曲「Zeze」の歌詞とボーナストラック「Twenty-Three」で使用されたオーディオサンプルが児童虐待についての論争を引き起こした。11月から12月まで韓国内のコンサートツアー
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2015年 - 2016年(なでしこリーグ2部)
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「ノジマステラ神奈川相模原」の記事における「2015年 - 2016年(なでしこリーグ2部)」の解説
2015年 昨年の3位という成績を元になでしこリーグ2部として戦うこととなった4年目、新戦力としてDF石田みなみ、DF小林海青、DF平野優花、MF川島はるな、MF田中陽子、MF/FW権野貴子、FW工藤麻未、シーズン途中にGKリチャード・ジェネヴィーヴの8名が選手として、コーチしてFC吉備国際大学Charmeから遠藤省太が加入した。リーグ戦は終始優勝争いを繰り広げたものの、優勝したAC長野パルセイロ・レディースに大差で3連敗したことが最後まで響き21勝5敗1分の2位で1部2部入替戦へと回った。入替戦は1部9位のスペランツァFC大阪高槻と対戦、結果は2試合合計で2-2(2-2,0-0)だったもののアウェーゴールの差で1部昇格を逃した。リーグ表彰ではMF/FW権野貴子が新人賞を、チームがフェアプレー賞を受賞した。 第37回皇后杯は本戦2回戦から出場、3回戦でアルビレックス新潟レディースに善戦したが延長戦で敗れた。 第3クールを前にMF大宮玲央奈がAC長野パルセイロへ移籍、シーズンオフをもってDF後藤麻衣香、DF瀬戸口菜が引退、DF吉田彩香がノジマステラ神奈川相模原アヴェニーレコーチに就任、GK小林詩織が大和シルフィードへ、FW金井奈苗が愛媛FCレディースへ、FW古市美里はフットサルのBallena Blanca城北レディースへ移籍した。 2016年 ユニフォームデザインと在籍選手の背番号が変更となった5年目、新戦力としてGK田尻有美、DF和田奈央子、MF高木ひかり、MF正野可菜子、MF甲斐そらみ、FWミッシェル・パオの6人を獲得、ドゥーエ (U-18) 監督の福田あやが遠藤省太と入れ替わりトップチームコーチとなった。チームは開幕から安定した守備力で勝ち点を積み上げ、リーグ中断まで首位を快走した。リーグ戦中断中に2部で初めて実施されたなでしこリーグカップも予選リーグを無敗で首位通過したが、準決勝でASハリマ アルビオンにPK戦で敗退した。リーグ再開後は他チームからの研究されることで苦戦をしたが、10月8日になでしこリーグ2部優勝と2017年シーズンからのなでしこリーグ1部昇格が決まり、最終的には14勝4分と無敗での優勝となった。リーグ表彰ではMF高木ひかりが新人賞、FW南野亜里沙とFWミッシェル・パオが11得点で得点王、MF尾山沙希が2部MVPとなった。また、2部所属ながらDF高木ひかりがなでしこジャパンに、FWミッシェル・パオが台湾女子代表に選出され、それぞれ公式戦出場も果たしている。 第38回皇后杯は本戦2回戦から出場し、3回戦で岡山湯郷Belle戦でなでしこリーグ1部チームから初めて公式戦で勝利したが、準々決勝でベガルタ仙台レディースに敗れた。 シーズンオフを持って、DF坂本珠梨が引退、DF寺田玲子とFW河原崎希が古巣である静岡産業大学磐田ボニータへ移籍することとなった。また、ドゥーエから初のトップ昇格者としてMF田中里穂が入団することが決まった。
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2015年 - 2016年(J2)
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「セレッソ大阪」の記事における「2015年 - 2016年(J2)」の解説
2015年-新監督にパウロ・アウトゥオリが監督に就任。玉田圭司、橋本英郎、関口訓充、茂庭照幸、椋原健太、パブロを獲得。また、中澤聡太を期限付きで獲得し、小暮大器が期限付きから復帰した。ユースからは阪本将基、沖野将基、西本雅崇、前川大河、温井駿斗が昇格。具聖潤、高正大、杉本健勇、南野拓実、金聖埈、黒木聖仁が完全移籍し、小谷祐喜、平野甲斐が期限付き移籍をした。リーグ開幕から6試合負けなし(3勝3分)だったが、第7節から金沢・群馬に連敗するなど8試合で3勝5敗、第8節から19節までは、第10節終了後に一度4位になったのを除き、順位は7位以下の昇格プレーオフ圏外で推移する。第15節から9試合負けなし(4勝5分)で、第20節終了後4位に浮上してからは、プレーオフ圏内から落ちることはなく、第30節からは3位をキープしていたが、第35節、4位福岡との直接対決に敗れ4位に後退、続く第36節北九州戦では勝利したものの、試合後アウトゥオリが選手の前で辞意を表明しチームは混乱、続く5試合で2分3敗と失速したことから、11月17日、リーグ最終節を前にアウトゥオリが退任し、強化部長の大熊清が急遽監督に就任。最終順位は4位となりJ1昇格プレーオフに回ったが、決勝で福岡に引き分け。昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)によりJ1昇格は成らなかった。 こちらのページも参照。 2016年-大熊体制2年目。J3リーグに「セレッソ大阪U-23」が発足。スイス・バーセルから柿谷曜一朗、川崎から杉本健勇が完全移籍でチームに復帰。さらに金沢から清原翔平、鹿島から山村和也、FC東京から松田陸を完全移籍で獲得、期限付き移籍加入だった中澤聡太が完全移籍、小谷祐喜(相模原)、温井駿斗(鈴鹿)、米澤令衣(秋田)、丸岡満(ブンデスリーガ・ドルトムント)が期限付き移籍先から復帰、新外国人としてソウザ、ブルーノ・メネゲウ、リカルド・サントスを補強、ユースから岸本武流、庄司朋乃也が昇格、大学から澤上竜二、木本恭生を獲得した。一方で岡田武瑠、パブロ、エジミウソン、マグノ・クルスが退団、山口蛍がドイツ・ブンデスリーガ2部・ハノーファー、永井龍が長崎、吉野峻光が甲府、染谷悠太が京都、楠神順平が鳥栖へ完全移籍、前川大河が徳島へ期限付き移籍した。6月に山口蛍がハノーファーから完全移籍で復帰、7月にはアン・ジュンス、ベサルト・アブドゥラヒミの外国人選手2名を補強した。一方で7月に扇原貴宏が名古屋、ブルーノ・メネゲウが中国スーパーリーグの長春亜泰へ完全移籍、橋本英郎が長野、小谷祐喜が熊本へ期限付き移籍した。 リーグ開幕から昇格争い圏内を維持、一時は自動昇格圏内に上がるものの第22節以降は3位、第37節で清水に抜かれ4位となりそのまま4位でリーグ戦を終了。J1昇格プレーオフ準決勝は京都(J2・5位)に1-1の引き分けとなり、昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)により決勝進出、決勝は岡山を破り、3年ぶりとなるJ1復帰を決めた。シーズン終了後に大熊が監督を退任した。 こちらのページも参照。
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2015年 - 2016年(東海リーグ)
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「ヴィアティン三重」の記事における「2015年 - 2016年(東海リーグ)」の解説
2015年 鳥取より藤牧祥吾、アイン食品より佐光塁、FC刈谷から鈴木聡、レイジェンド滋賀FCより岩田尚記らが加入した。 また2月には「ヴィアティン三重後援会」が発足した。準加盟申請時に却下の理由となっていたロボット教室「ROBOBASE」は講師の一人が立ち上げた「ジャパンロボットスクール株式会社」に運営が委譲され、クラブとは別法人となった。 東海リーグ2部では第8節・名古屋サッカークラブ戦に敗れ、最終節のFC.ISE-SHIMA戦に引き分けた以外は全勝。昇格初年度で初優勝を決めて1部昇格を果たした。 三重県社会人サッカー選手権では決勝でTSV1973四日市(旧・マインドハウス四日市)に敗れて2年連続の天皇杯出場はならず。 2016年 奈良クラブより稲森睦、松江シティFCより田中優毅、SP京都FCより岩崎晃也らが加入。 2月5日に行われた「ヴィアティン三重後援会」総会では小林長久(日本トランスシティ代表取締役会長)が会長、鈴木英敬(三重県知事)が名誉会長に就任。 東海リーグ1部ではFC刈谷、鈴鹿アンリミテッドFCに次ぐ3位に終わったものの、第52回全国社会人サッカー選手権大会では3位に入り、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2016の参加権を獲得すると、全国地域サッカーチャンピオンズリーグでは、1次ラウンドグループAを全勝の1位で通過し決勝ラウンドに進んだ。 決勝ラウンドでは、初戦に全国社会人サッカー選手権大会1位の三菱自動車水島FCに2-1で勝利、2戦目には1次ラウンドで3-0で勝利したFC今治に0-3で敗北するも、最終戦に三重県勢同士の対決となった鈴鹿アンリミテッドFCとの試合に4-1で勝利したことでチームの決勝ラウンド2位が確定し、JFL昇格権を獲得。12月7日に行われたJFL理事会でJFL昇格が正式に決定した。
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2015年(2歳)- 2016年(3歳)
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「ミライヘノツバサ」の記事における「2015年(2歳)- 2016年(3歳)」の解説
2015年10月17日東京の2歳新馬戦に鞍上内田博幸でデビュー。ここは6着に敗れるも、次走の未勝利戦では2着に入った。 翌2016年、年明け2戦目となる3歳未勝利戦で初勝利を飾る。次走の山吹賞(500万下)ではスローの中で2番手から競馬を進めると、最後は逃げ馬を交わして勝利。これで自己条件連勝となり、中央競馬クラシック三冠路線に入ることとなった。 クラシック初戦の皐月賞には中1週で臨むこととなったが、伊藤調教師は「順調にきてますね。心肺機能の素晴らしい馬。こういう状態で使えるのは心強い」とし、調教助手も「器用さは中山で生きると思います」とコメント。しかし12番人気で臨んだレース本番では、終始後方のまま11着に敗れた。 その後はラジオNIKKEI賞8着と阿寒湖特別(1000万下)5着を挟み、習志野特別(1000万下)で2番手から抜け出し3勝目を飾る。迎えた菊花賞では逃げの手を打ち、最後は失速して13着に敗れたものの、鞍上の藤岡康太は「直線半ばまで踏ん張ってくれましたし、よく頑張っています。先々楽しみです」とコメントした。 クラシックでの上位入線はならなかったが、伊藤調教師にとっては管理馬初の牡馬クラシック出走、牝馬を含めても2014年にクリスマスが優駿牝馬に出走して以来のクラシック参戦となった。伊藤調教師は「私の厩舎を初めて皐月賞や菊花賞に連れて行ってくれた馬になりました。当然、期待はどんどん大きくなりました」と語っている。
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