東海道・山陽緩行線とは? わかりやすく解説

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京阪神緩行線

(東海道・山陽緩行線 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/10 17:04 UTC 版)

京阪神緩行線(けいはんしんかんこうせん)は、京都府京都市京都駅から大阪府大阪駅および兵庫県神戸市神戸駅を経由して明石市西明石駅まで(いわゆる京阪神地区)を結び、東海道本線京都駅 - 神戸駅間と山陽本線神戸駅 - 西明石駅間の複々線区間の内側線および海側線(電車線)[1][2][注 1]で運行される各駅停車(普通)電車の通称(系統名)である[3][4][5]。この区間は、国鉄分割民営化による西日本旅客鉄道(JR西日本)の発足後の1988年(昭和63年)にJR京都線およびJR神戸線という愛称が付いている[6][7]


注釈

  1. ^ a b ただし、内側線(電車線)は方向別複々線区間の草津駅 - 兵庫駅間までで、兵庫駅 - 西明石駅間は兵庫駅 - 鷹取駅間で内側線(電車線)が外側線(列車線)の下り線を立体交差した後は、山側に列車線、海側に電車線の線路別複々線となっている[1][2]
  2. ^ 例として、1949年9月15日改正の宮原区電車運用表が鉄道史料103号に採録されている[9]
  3. ^ ただし、同区間を全線運行する電車はない(後節を参照)
  4. ^ この地域で二等車の需要が高かったことを示すものとして、『レイル』53号掲載の「戦前の鉄道の思い出雑記 その1」内に、「(前略)その客層は土地がら、比較的豊かな人たちであったように思う。その豊かな一例として、この通勤列車でも二等車を一輌半連結していて、(後略)」という一文があり、神戸市西部の住宅地に住んでいた富裕層向けに二等車を連結していたことが記されている。また、京浜線での二等車連結の事情については、『鉄道ピクトリアル』1992年7月号に記述がある。
  5. ^ このころには三等車の背ずりも布張りに変更
  6. ^ このときは横須賀線と京阪神間の急電は除外された。
  7. ^ ただし、急行編成は除く。
  8. ^ 後にモハ64028を経て最終はクモハ31002
  9. ^ 元クロハ59022の改造で、とりあえずクハ55の連番として出場。クハ85026を経て最終はクハ79056
  10. ^ モハ42の4扉改造車はモハ42のままモハ32(2代目)に改番
  11. ^ 後には宮様の戦車学校通学に伴い中央・総武緩行線に転属
  12. ^ 現在の川崎重工明石工場、当時は陸軍の戦闘機「飛燕」などを製造していた。
  13. ^ 1946年2月1日から一般客の取扱いも開始。
  14. ^ 流電や半流モハ43のサハも含む
  15. ^ 63系をトレードした城東西成線には、サロハ66改造のサハ78や、クハ47改造のクハ85が転入している。
  16. ^ 通常はニス塗り
  17. ^ 当時の普通二等車は青色
  18. ^ 正真正銘の「電車の特ロ」は、1958年に151系特急型電車の2等座席車サロ151形で実現。
  19. ^ ただしこのころの横須賀線は通勤路線との位置付けであって、セミクロス車が走るからといっても近郊路線ではない。
  20. ^ 上郡駅 - 倉敷駅岡山駅 - 宇野駅
  21. ^ 主に準急「比叡」などの153系化によって捻出された300番台車が多かった。
  22. ^ 日中時間帯を中心に4両運行が残っていたため、全列車の7両統一は1972年3月15日
  23. ^ 阪神武庫川線への貨物線跡地を転用
  24. ^ 結局モーターの耐寒耐雪改造の関係でモハ70となる
  25. ^ 流電用サハ48の3扉改造のサハ58も含む
  26. ^ この中には、一度京阪神緩行線から転出した車両や京阪神緩行線唯一の70系300番台全金属車であるクハ76305が含まれていた
  27. ^ サハ58は岡山に転出
  28. ^ 日中の着席サービスとラッシュ時の混雑緩和のどちらを優先順位とするかの問題であるが、1960年代は輸送人員の多い(つまり関連する乗客の多い)ラッシュ輸送の改善を第一にすることを優先して進めていた。なお昭和37年度鉄道統計年報によると年間200万人以上の定期通過人員を有する駅は茨木駅 - 垂水駅間の各駅であった。
  29. ^ 鉄道ピクトリアル1964年4月号に昭和38年11月現在の混雑率が掲載されており、快速・緩行ともに300%前後の数値となっているほか、同号には塚本駅に停車中の4扉通勤車の乗降シーンの写真もあり、ドアからはみ出した乗客の姿から4扉でも乗車するのが困難な状況を物語っている。その状況では3扉セミクロスシート車が通勤輸送に適さないことは明確であり、4扉ロングシート化はラッシュ改善に早急に求められていた。
  30. ^ 阪急2800系京阪1900系など
  31. ^ 実際の運行計画を立てるに当たっては、消費電力量なども要素として重要であり、車両設計事務所の川添氏は鉄道友の会会誌にて京阪神緩行線などは113系のような車両が適していると思われるが消費電力量を計算すると103系の方がメリットがある点に触れている。速度を高めるには力行時間が長くなるため相応の電力を消費しなければならないので、むやみやたらと高速で走れば良いという物でもなく、到達時間と消費電力量などバランスの取れた運行計画を立てることになるが、その運行計画上103系は駅間距離4 kmなどであっても他系列よりも運転時分や消費電力量では有利であった。(参考:RAILFAN1986年1月号・電気車の科学1975年1月号)。
  32. ^ 1972年3月改正で草津駅 - 高槻駅間は95 km/hから110 km/hに、高槻駅 - 神戸駅間は95 km/hから100 km/hに最高速度が引き上げられている
  33. ^ 改正により京都駅 - 神戸駅は90 km/hから95 km/hに引き上げられたが、103系の投入により京都駅 - 神戸駅は95 km/hから100 km/hに引き上げられた
  34. ^ 吹田駅 - 甲子園口駅間では6本が8本に増発された。
  35. ^ 中でもクモハ51010は中央線投入組の生き残りで、新造時のままのガーランドベンチレーター装備車であったほか、残りの3両 (51028, 51038, 51056) はモハ51形として新製されて以来、京阪神緩行線の生え抜きであった。
  36. ^ なかには1958年に製造された最初期の車両さえ含まれていた。
  37. ^ 高速域から回生ブレーキを使えるというやや無理な要望が盛り込まれた車両であったが、搭載されたMT60型モーターが150kWと高出力であり、電機子チョッパ制御装置も将来近郊用に使用することを想定して開発されたものであったために、総体として高い高速性能を持っていたほか、台車も空気ばねでシュリーレンタイプのDT46系台車を装備して、103系のDT33系台車に比べて乗り心地(特に高速域)も良く、図らずして京阪神緩行線の特色に見事にフィットした車両となった。
  38. ^ このとき置き換えられた103系は、スカイブルーのまま片町線・関西本線に投入されたほか、余ったT車は阪和線に投入されて快速の8両化に充当された。また、一部の編成は運用ごと明石電車区に転属して、高槻電車区の配置は201系のみとなった。
  39. ^ このときの103系捻出車は冷房車だけでなく1次改良車の非冷房車も含まれており、冷房改造して転出した編成と非冷房のまま転出した編成があった。また、余剰のT車は浦和電車区・松戸電車区など首都圏の電車区に移籍している。
  40. ^ 201系の増備はこれをもって中止され、その後はステンレス車体で界磁添加励磁制御の205系に移行した。
  41. ^ ただし、その代償として新快速の大阪駅 - 三ノ宮駅間の運転時分は2 - 3分遅くなっている。分割運行のボトルネックになる部分は大阪駅 - 芦屋駅間であり、この区間は103系電車が有利とされる駅間平均距離3 - 4 kmの区間である。
  42. ^ この非冷房編成は翌年に阪和線ATS-P化のために日根野配属の非冷房車とトレードされることになったが、このとき転入した編成は普通電車用車両初の全車中古編成で、M'M2ユニットとT、西明石側のTcは山手線からの流れ組、京都側のTcはクハ101改造のクハ103-2052という中古車揃いだった。
  43. ^ 営業運行を外された非冷房編成はしばらく訓練車として使用されたが、後にM'M2ユニットはWAU102冷房改造と延命NB工事を実施、TとTcは廃車された。
  44. ^ 1993年には207系が投入されたJR宝塚線から高運転台Tcの編成が転入、中間車を差し替えて先頭車とM'Mユニットは広島に転属して、普通電車用としての103系の最後の活躍に花を添えた。
  45. ^ このとき捻出された103系は、岡山電車区・広島運転所・奈良電車区に転出、古い非冷房の113・115系を置き換えた。
  46. ^ 高槻駅 - 京都駅間の各駅では、この区間で各駅に停車する快速とあわせて、実質的に運行本数が増えた。
  47. ^ この時に外部の帯色は321系に準じたものに一旦変更されたが、2013年の阪和線への再転出後は元の帯色に戻された。
  48. ^ 夕方と夜間の西明石発近江舞子行き、朝ラッシュ時の堅田発西明石行き。その間合いで夜間から深夜に掛けての湖西線内の一部列車に京阪神緩行線車両の運用が存在していた(そのうちの一部は湖西線内を回送で運転)。
  49. ^ 0時34分発。JR西日本の京都 - 南草津駅間の駅設置の時刻表ではこの列車と朝ラッシュ時のピーク時に運転される草津直通の緩行線列車(この列車は草津到着後野洲に回送し、夕方ラッシュ時開始直前に野洲から京都まで回送され京都から緩行線の営業列車となる)の各1本、草津 - 守山駅間の駅設置の時刻表ではこの列車のみ女性専用車がある旨が記載されている。
  50. ^ 復路は翌日早朝に野洲から京都まで回送で運転。
  51. ^ 通過する列車は"M"
  52. ^ 1964年9月30日までは尼崎駅での折り返し
  53. ^ 51系の場合は、中央扉の前位(神戸寄り)に設置。
  54. ^ ごくまれにではあるが、更新修繕後も行先表示幕窓を残した車両があった。
  55. ^ 『関西国電50年』には、1950年8月に尼崎駅で撮影されたクハ55107(元サロハ46形改造のクロハ59形を戦時中に3扉改造したもので、クロスシート改造後はクハ68107。掲載当時は連合軍専用車から変更された2等車として運用中)の写真が掲載されており、年代としては早期の部類に属する。
  56. ^ 明石行そのものの運行本数が少なかったことから、現存する写真がきわめて少なく、入手・閲覧が容易なものは『鉄道ピクトリアル』2011年6月増刊号(P95)掲載のものが現時点で唯一のものであるといえる。しかもこの写真は、営業運行中のモハ32(モハ42の4扉改造車)を写した、二重の意味で貴重なものである。
  57. ^ 1969年に転入した全金属改造車のクモハ73900,902やクモハ73形鋼体改造車のうち、前面行先表示器を設置したもの。
  58. ^ 京阪神緩行線に限らず、関西国電では大阪環状(城東・西成)、片町、阪和の各線においても72系前面行先表示器設置車両の表示器を使用せず、行先表示板の掲示を継続している。
  59. ^ 『鉄道ピクトリアル』2003年5月号に、京都駅における行先表示板交換の写真が掲載されているが、片足をプラットホームに預け、もう片足を連結器の上に乗せて、重いホーロー板の表示板を交換していることから、かなり危険な作業であることがうかがえる。
  60. ^ 新旧表示板の切り替え時期については、1963年中に新旧両タイプの行先表示板を掲示している写真が残されていることから、具体的な切り替え時期については不明。
  61. ^ 51系が転出した岡山地区においても、同じデザインの行先表示板が使用されている。
  62. ^ この時期においても72系前面行先表示器設置車両の表示器は使用されていない。
  63. ^ この時期101・103系といった新性能車と旧型車が混在していた片町、阪和の各線では、101・103系は前面行先表示器を使用し、旧型車は行先表示板を掲出していた。
  64. ^ 201系や205系を含む。
  65. ^ なお、103系の「普通」表示は、紺地に白字と白地に黒字の2種類があった。
  66. ^ クハ205-35の編成。

出典

  1. ^ a b c d e f 祖田圭介「複々線を探る 複雑な多線区間 東海道・山陽本線 草津-西明石間」『鉄道ファン2001年2月号 特集:短絡線ミステリー4 複々線を探る』第41巻第2号(通巻478号)、交友社、2001年2月1日、16 - 19頁。 
  2. ^ a b c d 祖田圭介「東海道・山陽本線の複々線区間」『鉄道ファン2010年5月号 特集:短絡線ミステリー10 〜都心を貫く直通運転を探る〜』第50巻第5号(通巻589号)、交友社、2010年5月1日、35 - 39頁。 
  3. ^ a b c d 毛呂信昭「4 線区別運転の変遷 京阪神緩行線」『103系物語 戦後日本の高度成長を支えた通勤型電車』JTBパブリッシング〈キャンブックス 鉄道 121〉、2012年7月1日、99 - 101頁。 
  4. ^ a b c 寺本光照 著「103系の運転を振り返る 1. 103系運転の歴史をたどる 誕生〜1979(昭和54)年」、江頭誠 編『103系メモリアル』交通新聞社〈トラベルMOOK〉、2014年1月8日、107 - 109頁。 
  5. ^ 土屋武之、杉山淳一、平賀尉哲、高橋茂仁 著「国鉄通勤路線前カタログ 東海道・山陽緩行線」、二之宮隆 編『昭和60年代の国鉄通勤電車』双葉社〈双葉社スーパームック〉、2017年1月28日、72頁。 
  6. ^ a b c 毛呂信昭「6 JR各社の運用 JR西日本 京阪神緩行線(JR京都線、JR神戸線)」『103系物語 戦後日本の高度成長を支えた通勤型電車』JTBパブリッシング〈キャンブックス 鉄道 121〉、2012年7月1日、166 - 169頁。 
  7. ^ a b c 土屋武之、杉山淳一、平賀尉哲、高橋茂仁 著「国鉄通勤路線前カタログ 東海道・山陽緩行線」、二之宮隆 編『昭和60年代の国鉄通勤電車』双葉社〈双葉社スーパームック〉、2017年1月28日、75頁。 
  8. ^ a b 亀井一男「京阪神で一番速い電車の半世紀」『鉄道ジャーナル 1987年11月号』第21巻第13号、鉄道ジャーナル社、1987年11月、28 - 32頁。 
  9. ^ a b 『鉄道史料103号』、「宮原区電車運用表 1949年9月15日改正」
  10. ^ a b 大熊孝夫「特集:究極の標準形通勤電車103系」『鉄道ファン2006年5月号』第46巻第5号(通巻541号)、交友社、2001年2月1日、27 - 29頁。 
  11. ^ a b 土屋武之、杉山淳一、平賀尉哲、高橋茂仁 著「国鉄通勤路線前カタログ 東海道・山陽緩行線」、二之宮隆 編『昭和60年代の国鉄通勤電車』双葉社〈双葉社スーパームック〉、2017年1月28日、72 - 75頁。 
  12. ^ a b 平石大貴「103系電車 新製車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル2018年1月号【特集】103系電車』第68巻第3号(通巻第943号)、電気車研究会、2018年1月1日、18頁。 
  13. ^ 『JR時刻表』2012年3月号、交通新聞社、「東海道本線・山陽本線(米原-岡山)」時刻頁
  14. ^ a b 『JR時刻表』2013年3月号、交通新聞社、「東海道本線・山陽本線(米原-岡山)」時刻頁
  15. ^ 日本交通公社『国鉄監修 交通公社の時刻表』各年各号「主な駅のご案内 京都駅のりば案内」掲載頁
  16. ^ 日本国有鉄道(謹呈版も含む)『時刻表』各年各号「主な駅のご案内 京都駅のりば案内」掲載頁
  17. ^ 日本交通公社『交通公社の時刻表』1988年4月号までの各年各号「主な駅のご案内 京都駅のりば案内」掲載頁
  18. ^ JR西日本路線図:停車駅案内:JR京都線・JR神戸線・JR宝塚線・JR東西線・学研都市線
  19. ^ 木村博(国鉄大鉄運転部電車課長)「大阪付近電車輸送の将来」『電車』1960年2月号、交友社、1960年、pp.14-16。
  20. ^ 「昭和39年度電車配属希望打ち合わせ会議が行われた」『電車』1963年9月号、1963年、p.19。
  21. ^ 久保田博(国鉄仙鉄運転部長、元本社工作局) 「国鉄通勤形電車の最近の動き」『鉄道ピクトリアル』1964年4月号、電気車研究会、1964年、pp.35-37。
  22. ^ 寺島和年(国鉄前大鉄運転部電車課長) 「大阪国電の現状とその将来について」『鉄道ピクトリアル』1964年4月号、電気車研究会、1964年、pp.25-27。
  23. ^ 関西国電略年史編集委員会(大阪鉄道管理局運転部電車課監修)『関西国電略年史』1982年9月、PP.85-86。
  24. ^ 大熊孝夫(国鉄運転局車務課)「究極の標準形通勤電車」『鉄道ファン』2006年5月号、交友社、2006年、p.28。
  25. ^ 『電車・気動車加速力曲線』1966年、国鉄運転局
  26. ^ 小林喜幹(国鉄運転局客貨車課)「京浜東北線にはどのような性能の車両がよいか」『電車』1965年6月号、交友社、1965年、pp.13-19。
  27. ^ “神戸-須磨間の運転本数が倍に JR西日本に”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (1996年6月11日) 
  28. ^ アーバンネットワーク秋のダイヤ改正についてインターネットアーカイブ)- 西日本旅客鉄道 1997年7月18日
  29. ^ 平成10年秋 ダイヤ改正について(アーバンネットワーク) (インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 1999年7月31日
  30. ^ a b 平成25年春ダイヤ改正について (PDF) - 西日本旅客鉄道近畿統括本部プレスリリース、2012年12月21日付、2012年12月24日閲覧。
  31. ^ 『京阪神からの旅行に便利な交通公社の時刻表』(日本交通公社関西支社編)1957年1月号に掲載された1956年11月19日改正の神戸駅時刻表によると、朝夕に約20分間隔で住吉行・鷹取行の列車が設定されている。1957年11月号(1957年10月1日改正時刻)では消滅している。
  32. ^ 205系が東海道・山陽緩行線で運用開始 - 『鉄道ファン交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年3月14日


「京阪神緩行線」の続きの解説一覧

東海道・山陽緩行線(京阪神緩行線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:51 UTC 版)

国鉄103系電車」の記事における「東海道・山陽緩行線(京阪神緩行線)」の解説

東海道・山陽本線京都 - 西明石間で複々線内側線(電車線)を走行する各駅停車運転系統京阪神緩行線(東海道・山陽緩行線)と呼ばれ戦前型3扉車の51系72系といった旧性能電車使用されていたが、大阪万博前年1969年より103系投入開始された。 1969年8月最初7両編成1本が落成し同年10月1日改正運用始まり万博開催前の1970年2月までに7両編成15本の105両が投入された。配置明石電車区車体塗装阪和線続いてスカイブルー青22号となった当時京阪神緩行線では前面行先表示省略しており、前面方向幕には「普通」とのみ表示していた。運用開始後前面窓デフロスタが追設された。 山陽新幹線岡山開業に伴う1972年3月15日ダイヤ改正では、新快速153系による日中15分間隔運転が開始されたが、同じ線路を走る緩行線普通列車は、旧性能車では待避駅まで逃げ切るのが困難なため、新快速運転時間帯は103系統一することとなった103系増発分を含む増備109両が明石電車区配置されたが、非冷房車ながらユニット窓シールドビーム2灯となり、量産冷房車への過渡的な形態となった。この改正では緩行線運転系統変更され従来京都 - 西明石間と吹田 - 甲子園口であったが、京都 - 甲子園口間と吹田 - 西明石間に分割された「串刺しダイヤとなった1974年1月から3月にかけて、関西初の量産冷房車京阪神緩行線77投入された。中間車高槻電車区新製配置されたが、先頭車山手線京浜東北線ATC対応車を投入して差し替えられたATC非対応量産冷房車転入した当初側面方向幕含めて「普通」のみ表示であったが、同年秋頃より「京都」「西明石」など行先表示実施された。 1975年には完全新性能化を目的80両が投入され京阪神緩行線全車両が103系となった1982年12月より、201系7両編成32本が京阪神緩行線投入された。103系関西本線片町線101系置き換え用として転出し付随車阪和線快速8両編成化用いられたほか、首都圏にも転出した1985年3月14日ダイヤ改正では、京阪神緩行線一部列車草津加古川まで延長され一方昼間時間帯10時から15時)は京都入らず高槻折返しとなり、高槻以遠快速が各駅に停車した。これにより日中201系のみでの運用が可能となり、スピードアップと「串刺しダイヤ」の解消が行われ、103系運用朝夕のみとなった1986年11月1日ダイヤ改正より205系7両編成4本が投入され103系阪和線首都圏転出した京阪神緩行線103系は、7両編成19本の133両がJR西日本継承された。103系引き続き201系205系とともに運用されたが、103系運転区間京都 - 西明石間とされた。1988年には京都 - 大阪間JR京都線大阪 - 神戸 - 姫路間JR神戸線愛称制定された。 民営化直後非冷房車が7編成あったが、冷房化改造宮原淀川電車区への転出進められ1988年度時点非冷房車は1編成となった1990年には日根野電車区との間で非冷房車の1編成差し替えられ、101系からの改造車であるクハ103-2052が転入した同年3月31日付けモハ103-230が廃車となり、JR西日本所属車では初の廃車となった明石電車区保留車となっていたモハ102-385は、1989年事故廃車となった105系クハ105-7の代替として1990年電装解除先頭車化・冷房化改造実施され105系クハ104-551となった同車末期日根野支所新在家派出所配置され2019年12月2日付け廃車された。 1991年時点では明石電車区7両編成15本(うち非冷房車1本)と保留車を含む110両が配置されていたが、103系運用朝夕ラッシュ時限定されており、日中京都駅明石電車区などに留置された。 クハ103-2052を含む非冷房車編成1992年4両編成化され、明石電車区訓練車となったが、同年内にクハ廃車となり、電動車ユニット奈良電車区転属して旅客営業復帰したことで消滅した。これにより明石区の103系全車冷房車となった1993年3月18日改正福知山線JR宝塚線)に207系0番台投入されたことに伴い福知山線103系一部宮原運転所から明石電車区転入、カナリアイエローからスカイブルー塗り替えとともに京阪神緩行線初の高運転台となった1994年には吹田工場高槻派出所207系1000番台新製配置され同年3月1日運用開始された。103系1994年3月24日京阪神緩行線での運用終了し宮原森ノ宮奈良日根野岡山の各電車区広島運転所転出した

※この「東海道・山陽緩行線(京阪神緩行線)」の解説は、「国鉄103系電車」の解説の一部です。
「東海道・山陽緩行線(京阪神緩行線)」を含む「国鉄103系電車」の記事については、「国鉄103系電車」の概要を参照ください。

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