国鉄運賃の大幅値上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:26 UTC 版)
スト権ストは当時懸案に上っていた国鉄経営問題にも影響を与えている。 スト直後には、戦後長らくインフレーションに対して、低位の値上げ幅に抑制されていた国鉄運賃や、1964年度以降累積していった長期債務の問題に関し、抜本的な改正が俎上に上ってきた。12月22日夜、1976年度予算要求として、運輸省は下記の要求を行う旨、自民党の国鉄問題懇話会に説明した。 毎年60%の値上げ(実収の増額40%)を2年間に渡って実施する 運賃法定主義(国会議決の要件)を緩和し、自主的な設定が出来る余地を広げる 6兆8000億円の長期債務を国が一部肩代わりする 1976年度として各種助成・政府出資合計4400億円を要求する なお、懇話会が挙げていた再建案は下記のようになっていた。 1976年度の政府助成と出資は5200億円 運賃値上げ幅は抑制する 運賃法定主義を大臣認可制に切り替える なお、これに先立ち大蔵省は国鉄収入の倍増を目的に、1976年度80%、1977年度50%の値上げを検討していたが、値上げ幅が高すぎて国会を通過しないと自民党から釘を刺されたため、値上げ幅は予算折衝の中で検討すると合意した経緯があった。また、スト権ストのため自民党内のタカ派は国鉄に批判的となっていたが、懇話会はタカ派をけん制する意向があった。一方で、運輸省案は懇話会の案より後退した内容であり、懇話会はこれにも懸念を持っていた旨が報じられている。 当時スト権ストとの絡みでは、条件付スト権付与と大臣認可制への切り替えをバーターとする国鉄族議員の意見と、ストの処分と合理化などの内部努力の明確化を確約させてから運賃問題に取り組むべきと主張するタカ派のグループが存在したが、結局運賃値上げは翌年の通常国会では流れた。その後、1976年度予算では地方交通線や大都市交通施設整備などへの政府助成拡大と債務のうち2兆5000億円の棚上げは通過したが、国鉄が6月1日からの値上げを見込んで予算を組んでいた運賃法の改正は、値上げ率を毎年50%に圧縮して秋の臨時国会にて成立し、11月6日から施行された。 なお、業界誌ではこの値上げについて貨物運賃に限定して眺めている。『流通設計』によれば実施された値上げは賃率58.8%、平均名目率53.9%、値上げによる実収予測は37.2%と予測された。この実収率は国鉄運賃が1%上がるごとに0.235%の貨物が他輸送機関へ逸走すると言う弾性的な関係を前提に運輸省が算出したものである。1975年度貨物輸送量1億4200万トンに当てはめた場合、約1800万トンの逸走量であると報じられた。その他、全国通運業連合会は58%の値上げが実行されれば通運の貨物量は平均35%減少すると予測し、「通運業者を殺す気か」と訴えた。この値上げが発表されたことでトラック業者への荷主の期待は高まったが、一部のトラック業者には国鉄フレートライナーに期待して私有コンテナの整備に投資してきた経緯があり、この値上げで自車運行の方が割安となるルートが増加するとその投資が無駄になる懸念があった。 一方で、利用者自身の足で適宜自由にルートを変更できる旅客輸送では、併走私鉄のある、首都圏の東海道本線・横須賀線(京浜急行電鉄本線)、東北本線(東武鉄道伊勢崎線・日光線)、中央線快速(京王電鉄京王線および西武鉄道新宿線・拝島線)、京阪神間の東海道・山陽緩行線(阪急電鉄、京阪電気鉄道、他)、紀勢本線・阪和線(南海電気鉄道南海本線)、関西本線(近畿日本鉄道奈良線・大阪線)、カッコ内は競合併走私鉄)、などで主に通勤客のさらなる逸走を招いた。また、東海道・山陽新幹線においても並行する航空路線(日本航空・全日空など)への旅客の逸走によって利用者が減少した。さらに、高速道路の延伸の進捗もあり、それまで国鉄が独占してきた地方都市間の旅客輸送においても、並行する高速道路を走行する高速バスやマイカーに旅客が大きく逸走するようになった。 中でももっとも象徴的な例が近畿日本鉄道の名阪ノンストップ特急の復活であった。大阪〜名古屋間ではこの時まで、東海道新幹線により国鉄が圧倒的時間優位に立っていたが、国鉄運賃および特急料金の急騰により「時間2倍、運賃半額」とコストパフォーマンスで肩を並べた結果、運行の確実性と乗務員の接客体制の優位を得ることになる。減車・減便が続き、廃止論や空前の単行特急案まで出ていた近鉄名阪ノンストップはそれまでが嘘のように乗客が殺到し、当時の近鉄特急形車両のフレキシビリティを生かして臨時増結や増便が相次ぎ、1980年には最低3連、1985年には最低4連、実質的には常時6〜8連と増強され、『アーバンライナー』以前の近鉄特急の代名詞的存在であった『ビスタカー』の運用も復活するなど、一度伊勢志摩方面への観光輸送へとシフトしかけていた近鉄特急の花形に返り咲いた。 その後50%もの大幅値上げこそ無くなったものの、国鉄運賃は分割民営化まで小刻みに値上げされ続けた。
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