国鉄貨物の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:26 UTC 版)
運輸白書では毎年の国鉄の貨物輸送を掲載しているが、1972年度に1.85億トンあった貨物輸送トン数はスト権スト前年の1974年度には1.58億トン、1975年には1.42億トンにまで減少し経営をさらに圧迫することとなった。その後1976年度は1.41億トン、1977年度1.32億トン、1978年度1.33億トンと推移し、上記のような予測に反して値上げの影響は直ちには現れてこなかった。輸送トン数でも顕著な減少が観察されるようになるのは1980年代に入ってからである。 JR貨物の会長を務めた伊藤直彦は、日本において本来鉄道が得意とする500km以上の遠距離輸送においても鉄道貨物が衰退していった理由を幾つか列挙した際、その一つに、このストによる信頼失墜を挙げている。大阪のある大手メーカーには当時「もう二度と鉄道は使わない」とまで言われたと言う。 本事件の一場面として引き合いに出される築地市場での貨車輸送も、本事件により完全に衰退していくことになるが、同市場は設計に起因する問題から周辺の道路で交通渋滞を引き起こし、豊洲市場移転論に一石を投じることにも繋がった。 1978年10月、国鉄は白紙ダイヤ改正を実施した。これは国鉄史上初めて輸送力削減を目的とした白紙ダイヤ改正となり、1976年10月ダイヤ改正に比べて貨物列車を664本削減して4,232本、列車キロも6.5万km削減して47万kmとした。また操車場や貨物取扱駅の削減も実施した。 続く1980年10月のダイヤ改正では、さらに6.1万kmの列車キロを削減し、貨物分野の収支均衡を狙った。しかし輸送量は計画を大きく下回り、運賃値上げにもかかわらず収入が減少して、収支係数がさらに悪化する事態となった。1982年11月のダイヤ改正でもさらなる輸送力と経費の削減を図ったが、それ以上に収入が減少して収支係数はさらに悪化した。 こうして、ついに抜本的な輸送改革は避けられないものとなり、1984年2月のダイヤ改正ではヤード系の輸送方式を全廃して、現在の直行輸送方式を中心としたコンテナ輸送体系に移行することになった。
※この「国鉄貨物の衰退」の解説は、「スト権スト」の解説の一部です。
「国鉄貨物の衰退」を含む「スト権スト」の記事については、「スト権スト」の概要を参照ください。
- 国鉄貨物の衰退のページへのリンク