国鉄船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 19:56 UTC 版)
壱岐丸I型(客船) 壱岐丸(初代) : 1905年(明治38年)9月11日就航、1922年(大正11年)10月18日青函航路へ転出。 対馬丸(初代) : 1905年(明治38年)11月1日就航、1923年(大正12年)3月8日稚泊航路へ転出。 高麗丸型(客貨船) 高麗丸 : 1913年(大正2年)1月13日就航、1931年(昭和6年)5月14日稚泊航路へ転出。 新羅丸 : 1913年(大正2年)4月5日就航、1942年(昭和17年)6月10日青函航路へ転出、1945年(昭和20年)4月19日に関釜航路へ再転入。同年5月25日沈没。 景福丸型(客船) 景福丸 : 1922年(大正11年)5月18日就航、1944年(昭和19年)10月2日から博釜航路。1945年(昭和20年)8月23日青函航路に転属就航。 徳寿丸 : 1922年(大正11年)11月12日就航、1943年(昭和18年)7月15日から1944年(昭和19年)10月2日まで博釜航路。戦後の引揚輸送に従事した後、1954年(昭和29年)10月1日青函航路に就航。 昌慶丸 : 1923年(大正12年)3月12日就航、1943年(昭和18年)7月15日発令にて博釜航路。1945年(昭和20年)7月30日に空襲で擱座。昭和22年青函航路に就航。 金剛丸型(客貨船) 金剛丸 : 1936年(昭和11年)11月16日就航、1945年(昭和20年)5月27日触雷座礁。戦後はアメリカ軍の傭船となる。 興安丸 : 1937年(昭和12年)1月31日就航、1945年(昭和20年)6月20日休航。戦後は引揚輸送に従事。 天山丸型(客貨船) 天山丸 : 1942年(昭和17年)9月27日就航、1945年(昭和20年)7月30日沈没。 崑崙丸 : 1943年(昭和18年)4月12日就航、同年10月5日沈没。 壱岐丸II型(貨物船) 壱岐丸(2代目) : 1940年(昭和15年)11月30日就航、1945年(昭和20年)8月24日青函航路に転属就航。 対馬丸(2代目) : 1941年(昭和16年)4月12日就航、1945年(昭和20年)8月13日自沈。 その他 多喜丸(貨物船) : 経理局より1919年(大正8年)4月9日転入、1936年(昭和11年)11月18日公用廃止。
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