国鉄総裁への転身とは? わかりやすく解説

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国鉄総裁への転身

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 09:55 UTC 版)

石田礼助」の記事における「国鉄総裁への転身」の解説

1956年昭和31年)、十河信二依頼日本国有鉄道監査委員長として実業界復帰その後国鉄諮問委員務める。1963年昭和38年)、国鉄総裁起用にあたり財界人抜擢執念を燃やす当時池田勇人首相からの依頼により、十河後任として第5代国鉄総裁就任した池田財界人起用こだわったのは、当時池田対中接近などで政敵になっていた佐藤栄作国鉄への影響力絶ち公共企業体としての明朗な国鉄カラー取り戻し国鉄経営民営色を強め思い切った経営合理化実施しよう考えたからであった在任中は、自ら「ヤング・ソルジャー」と称して公職奉仕すべきもの、したがって総裁報酬返上する」と宣言し国民の支持得た当初月10万円だけ貰っていた。さらに鶴見事故発生後は、給料1円受け取らず1年あたり洋酒1本を受け取ったという。また国会質疑でも数々発言残している。国労直接交渉したり、「黒い霧事件」の際は国鉄幹部に『接待ゴルフはやめなさい』とたしなめるなど、財界出身ながらも国鉄内部に対して堂々と意見発した総裁在任中の1964年昭和39年10月1日東海道新幹線開通し石田開通式でテープカット行っている。「赤字83線廃止提言名神ハイウェイバス参入など国鉄経営合理化取り組み国鉄経営民間企業経営方針導入試行した。“パブリックサービス”の概念徹底させ、「持たせ切り」を禁止したまた、運賃制度モノクラス制導入し一等車二等車呼称グリーン車普通車変更させた。1965年には国鉄スワローズ(現・東京ヤクルトスワローズ)の経営権産経新聞社フジテレビ譲渡している。鶴見事故後の安全対策連絡船近代化通勤五方面作戦推進にも着手一部で「このような大規模投資利益直結しない」と批判されたが「降り掛かる火の粉は払わにゃならぬ」と反論東海道新幹線続いて山陽新幹線建設着手したが、二期目途中昭和43年1968年10月行われた大規模ダイヤ改正ヨンサントオ)では当初廃止予定されていた東京駅大阪駅運転の夜行普通列車143144列車廃止惜し世論酌み東京駅大垣駅間に短縮した上で急行形電車化で運転を存続させることを決定。この普通列車は、のちの快速ムーンライトながら」の先駆となった1969年5月運賃値上げ法成立の直後高齢理由総裁辞任多く職員見送られ国鉄本社去った後任には副総裁磯崎叡就任した辞任後は再び晴耕雨読日々戻り昭和53年1978年7月27日92歳にて死去

※この「国鉄総裁への転身」の解説は、「石田礼助」の解説の一部です。
「国鉄総裁への転身」を含む「石田礼助」の記事については、「石田礼助」の概要を参照ください。

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