国鉄経営形態論への影響
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「スト権スト」の記事における「国鉄経営形態論への影響」の解説
一方、専門委員懇談会が答申で示した「三公社五現業の経営形態の見直し」は、国鉄の経営形態論に対する議論として引き継がれていく。議論はまず、国鉄の外で活発化した。1976年7月20日に、日本国政府は公共企業体等基本問題会議を発足させ、1978年6月19日に意見書が提出された。 意見書内では「国鉄の一部、たばこ専売およびアルコール専売については、民営ないしそれに準ずる経営形態に移行することが適当であり、移行が実現すれば争議権は認められる」とされた。 貨物については1975年8月、スト権問題と同時並行で角本良平が運輸省の国鉄再建問題懇談会にて「安楽死論」を述べていたが、1976年7月2日、日本経済調査会の「交通論議における迷信とタブー」が発表され、「今後十年間に十九万人という大量の退職者が出ると言うこの機会をとらえ、思い切って貨物輸送を整理すれば、人員整理もしないで、赤字要因を取り除くことが出来る」とした。 なお、これを紹介した毎日新聞は「減速経済にふさわしい総合交通体系論」の必要性を社説で述べたが、角本は総合交通体系論を実現不可能な理想論として否定していた。 1981年には、第二次臨時行政調査会が発足し、三公社五現業の民営化が取り上げられ、このストにおいて強硬姿勢を取っていた中曽根康弘が内閣総理大臣に就任した1982年以降、着々と実行されていくことになる。国鉄分割民営化を推進した加藤寛は「自分にとって、この専門委員懇談会が国鉄分割民営化の思想の始まりだった」と述べている。
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