引揚輸送
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:11 UTC 版)
終戦直後の1945年8月22日、戦災を免れた徳寿丸と興安丸は仙崎港に回航された。8月28日にアメリカ軍が釜山から仙崎・博多両港への引揚げ輸送を許可し、徳寿丸は博多-釜山間を運航することとなった。9月2日、戦後の公式引揚の第1船として釜山港を出航。9月4日に博多港に到着。以後、1947年1月15日の任務解除まで、往航は韓国人の送還、復航は日本人の引揚げ輸送に従事した。 1947年7月8日、樺太からの引揚者輸送(真岡-函館間)に従事するため下関を出港、第1便は8月16日に真岡港で引揚者2,027名を収容し、18日に函館港へ入港した。以後、真岡函館間の引揚輸送は冬季結氷期間を除く1949年8月1日まで継続された。その間の1948年3月4日から5月2日までは青函航路の助勤となり、3月19日から臨時就航している。1950年6月に朝鮮戦争が勃発すると、同年7月3日から1952年2月12日までアメリカ軍に傭船され、佐世保-釜山間の軍事輸送に従事した。
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