引揚げの実施
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 15:40 UTC 版)
「葫芦島在留日本人大送還」の記事における「引揚げの実施」の解説
満州を南下するソ連軍に対してアメリカ軍と中国国民党軍はブリーガー作戦(英語版)を行い南下を阻止していた。 現在の中華人民共和国政府の主張によれば、中国国民党、中国共産党、アメリカ合衆国の三者による協議の結果、中国東北部の在留日本人を中国国民党が支配していた遼寧省の錦州の南西にある葫芦島(コロ島)から送還すること(ただし、安東と大連の在留日本人は東北民主連軍とソ連軍が送還をおこなう)を1946年1月までに決定したという。葫芦島からの引き揚げは1946年5月7日から開始され、同年末までに101万7549人(うち捕虜1万6607人)、1948年までに総計105万1047人の在留日本人が日本へ送還された。 引揚げ船は葫芦島と日本を往復した訳ではなく、アメリカ軍は次のような三角輸送の一環として行っている。 華南の蒋介石軍の将兵を葫芦島へ運び、中国東北部への侵攻に備えて強化する その船で、在留日本人を葫芦島から博多港へ運ぶ その船で、戦時中日本へ連れて来られていた中国人および他の物資を華南へ運ぶ 中には、ソ満国境から2,000キロも逃げて来た人もいた。日本人難民が主戦場を通過し終わるまで国民党軍と共産党軍(八路軍)の戦いが一時中断するなど、葫芦島においては、虐待に至るケースまで無くほぼ正当に扱われたと伝聞ないし喧伝されているが、帰国支援のため満州に戻った日本人はスパイ容疑で拷問を受けるなどの目にあっている。帰国を許された人は、辿り着いた順に検閲を受けて乗船し、日本の博多港などに向かった。
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