引揚げのエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 15:40 UTC 版)
「葫芦島在留日本人大送還」の記事における「引揚げのエピソード」の解説
中には帰国出来ずに死亡した人もいて残留孤児の問題も現れ、24万人が死亡した。亡くなった人々は郊外の海沿いにある「茨山」と言われる山に日本の方角に合わせて埋葬された。 満州国皇帝の弟・愛新覚羅溥傑の妻である嵯峨浩と次女の愛新覚羅嫮生は、逃亡生活の末1946年9月に葫芦島に着き日本への引揚船に乗船予定であったが、乗船目前に国民党軍に身柄を拘束され、北京を経由して上海に連行された。 葫芦島港の桟橋跡には「1050000日本僑俘遣返之地」の記念碑が建っている。 蒋介石が日本人の引揚げに協力的だったことは日本側の印象に残り、後の白団設立に繋がった。
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