安倍晴明物語一代記 三とは? わかりやすく解説

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安倍晴明物語一代記 三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)

安倍晴明物語」の記事における「安倍晴明物語一代記 三」の解説

晴明殺さるる事承前晴明中国渡っていた3年間で、道満晴明妻梨花と情を交わす関係となっていた。あるとき道満梨花に「晴明中国で何か並大抵ではない書典を伝えられたというが」と問うと、梨花は「何かは知らないが、四寸四方の金の箱と五寸四方栴檀の箱を、石の唐櫃入れて鍵をかけ、北西しまっている」と答えた道満梨花懇願し唐櫃開いてもらい、中に入った2つ箱を取り出すが、開かない。そこでに「一」という文字書いて叩いたところ、「一」は「うつ」と読めるので開いた一方の箱には伯道上人から伝えられた『金烏蒐集』が、もう一方の箱には吉備公から譲られた『簠簋内伝』が入っていた。道満を両書をすべて書き写し、元のよう石櫃納めたしばらくして晴明宮中開催される五節の夜の宴会大酒飲んで帰宅した酔ってになっているところへ道満現れ過日中国五台山詣で文殊菩薩にお会いする夢を見たと言う。その夢の中で金烏蒐集』と『簠簋内伝』という書を伝えられたが、目を覚ますと、枕元その2書があったと晴明報告した晴明酔い任せて何も考えずに「夢は妄想顚倒の心が見せるもので、夢で大金を手にしても覚めればなにもない。だから『聖人は夢なし』というのだ」とあしらう道満は、釈尊堯王舜王神武天皇の例を挙げ、夢の効能主張し晴明反論した。しかし晴明は「聖人がまったく夢を見ないというのではない。真理到達した者は、理に通じており、心を正しく保っているので妄想の夢などみないのだ。おまえのような功名ばかり求める者に、聖人の見るような正夢みられるわけがないましてや文殊菩薩から伝えられた書典を持っているなど、馬鹿なことを言うでない」と一方的に断じた。道満は「では、その書があるかないか、賭をしようではないか」と気色ばむ晴明哄笑しつつ「この首を賭けよう」と言ったとたん、道満は懐から書き写した書を取り出して見せ晴明の首を打ち落とした打ち落とされた首は密かに五条河原埋められ、そこは塚とされた。道満は「これで梨花晴れて夫婦になれる。本望遂げた」と喜んだ晴明使用人たち全員打ち倒れて藁苞木切れとなって屋敷には誰一人なくなったが、道満新しく木切れ加持祈祷加えて人としたので、元通りとなった太唐の城荊山文殊堂炎上付伯道上人来朝并道満法師殺さるる事承前北宋太平興国元年西暦976年11月、㓝山の文殊堂原因不明出火消失した。伯道はこれはただ事ではないと驚き日本晴明の身に大事があったと考えた雲気を見ると東方死気がある。泰山府君法を執り行うと、壇上晴明の姿が影のように映ったことから、何者かに殺されたことがわかった。そこで伯道は晴明の仇をとろうと日本渡った。 都へ上った伯道が一条戻橋の上晴明屋敷の場所を聞いたところ、弟子道満と言い争いをして負け昨年11月斬首されたという。さらに伯道は、その遺骸葬ったはないかと問うたところ、賀茂川鴨川)の五条川原に埋められたことがわかった。伯道は晴明葬った塚を掘り返し朽ち果ててばらばらになった遺骸を1箇所集め、生活続命しょうかつぞくめい)の法を行った。これにより晴明元通りの姿で蘇生した。 伯道は自分与えた三戒のすべて破った晴明叱責した後、晴明伴って道満屋敷行き晴明物陰隠して自分だけ「晴明会いに来た」と中へ入っていった。応対出た道満は、晴明昨年死んだことを告げた。 ところが伯道は、昨日晴明と逢って今日宿を借りる約束をしたという。道満はこれを笑い飛ばすが、伯道は晴明生きていることをかたくなに主張し、「晴明生きていて、ここに帰ってきたどうする」と凄む道満は「晴明生きているならこの首を切るがいい。しかしこの世になければ、おまえの首を切る」と怒り露わにした。 ここで伯道は隠れていた晴明呼び入れ道満は色を失い逃げようとするが、伯道の金縛りにより身動きができなくされた。晴明道満の首を打ち帳台逃げ込もうとした梨花引き出し同じく斬首した。道満梨花は同じ穴に埋められた。 (この後埋めた場所=道満塚についての記述があるが、文章内容矛盾して意味をなさない。「#不適切な増補参照) 伯道は「一生むようにと言い置いて帰国した晴明物忌みの後、参内するが、「おまえは幽霊か」と恐れ怪しまれたので、子細説明すると「いよいよ奇特なこと」と思われた。官位は、元と同じ四位主計頭天文道博士再選任された。 人形ひとがた)をいのりて命を転じ替たる事 (『平家物語』異本剣巻」の宇治の橋姫伝説、およびそれを原典とした謡曲鉄輪』が元になっている) 五条のあたりに住むある人が、若い女懇ろになり、元の妻を捨てようとした。元の妻は怒り嫉み、鬼となって夫と若い女取り殺そう思い立つ。女は毎夜、貴布称明神貴船神社)へ丑の刻参りをし、21日三七日)目の満願の日、明神示現し、「鬼になりたければ、髪を乱して揺り下げ前髪2つ分けて角を作る。顔にはをさし、体には丹を塗り金輪鉄輪)を被って3つの足のそれぞれに松明をともす。怒りの心をもって貴布称川に腰まで浸かり立ったなら鬼となるであろう」と託宣した。 女は喜んで神託通り出で立ちで人が寝静まった夜更け貴船の方へ走り出た。頭上では火が燃え上がり、体も顔も真っ赤な様は、さながら鬼のようで、これを見た人はたまげて倒れ伏しそのまま死んでしまった。貴布称川に行き7日間川に浸かったところ、生きながら鬼となったある日、妻を裏切った男が晴明の元を訪ねるこのところ悪夢続けてみるので占ってくれというのだが、晴明は「占うまでもない。これは女の恨みで、今夜のうちに命を取られるだろう」と言う。男は驚いて、元の妻との間になにがあったのかを包み隠さず告白した。話を聞いた晴明は、すでに男の命は今夜までと決まっているので、いまさら神仏祈って霊験はないだろうと言う。男は顔色失い震えおののいて晴明すがったところ、晴明は「命を転じ替えようと言い、壇をしつらえた等身大人形ひとがた)を作り夫婦名字を内に書き籠め灯明をあげ、御幣祀り神祇冥道五大明王九曜七星二十八宿奉った晴明一心不乱に祈っていたところ、突然降り出し雷光激しく突風吹き込む壇上しきりと鳴動したかと思うと、鬼女現れ人形枕元に立ち、「あら、うらめしやと言うやいなや、笞(しもと。木製のむち)を振り上げた。しかし不動明王金縛法により苦痛感じたため、「もう来ることはない」と言い置いてかき消すようにいなくなった。これにより男の命は助かった庚申の夜殿上の人々をわらわせし事元になったのは『宇治拾遺物語』十四十一「俊平入道弟習算術語(俊平入道の弟、算術習いし語)」。主人公高階俊平の弟から晴明置き換えている。浅井了意の別著作北条九代記鎌倉北条九代記)』の「大輔房源性異僧に遇ひ算術奇特ある事付安倍晴明奇特の事」に同じ話が収録されている) 9月庚申の夜。庚申講天皇始め、若い殿上人たちが集まって夜明かしをしていたが、皆眠気催していた。そこで晴明呼び出され何としても眠気覚ませ勅命された。 晴明祈祷を行うと、切り灯台などの調度品一箇所集まって跳ね踊ったその様子がすさまじいため、天皇は「もう少し恐ろしくない事をせよ」と命じた晴明が「ならば、皆さん笑わせましょうと言う。それに対して天皇は「申楽などは笑いもしようが、他に何か可笑しいことがあるのか」と問われる晴明は目をしばたたいて申楽でもありませんし、可笑しい物語りするわけでもなく、皆さんをただ笑わせます」と答えた晴明明るところへ算木持ち出して置き渡したのを見て殿上人たちは「これがおかしいことなのか。どれ、笑うか」などと嘲笑するが、晴明はそれに応えず、算木を1本手持って皆さん飽きるまで笑いなさい」と言う。 それを聞いた全員が、わけもなく可笑しくなって笑い出した天皇笑い転げて内に引っ込んでしまい、残された人々笑いどよめく。何か特別なものを見たわけでもないのに、ひたすら可笑しくて笑いが止まらない。腹がよじ切れるような痛みに涙を流しつつ笑いながら、晴明向かって手を合わせた晴明が「笑い飽きましたか」と問うと、一同やっとの思いでうなずき笑いながら七転八倒しつつも手を摺り合わせた。そこで晴明算木押し崩すと、なんというともなく可笑しさは冷めた花山院の御遁世とんせい)をしる事 (前半『大鏡』六十五代花山天皇)」が元になっている) 花山天皇冷泉天皇第一皇子として即位し藤原頼忠の娘を女御とされた。この方弘徽殿の女御呼ばれたが、ほどなくして亡くなられた。その際の帝の嘆き限りなかった。こうして心乱れ折り、後の関白藤原道兼持っていた扇に心地観経文句書き付けてあるのを目にする。これにより寛和2年西暦986年6月22日発心し、厳久法師と道兼の2人だけを召し後宮貞観殿から忍び出て花山寺出家した法号入覚という。その後畿内霊場巡り那智3年修行し奇瑞得て都に戻って花山寺真言灌頂受けた亡くなったのは寛弘5年西暦1008年2月8日享年41天皇の位にあったのはわずか2年であった花山院出家する夜、花山寺に向かう途中晴明屋敷の前を通ったそのとき晴明は縁に出て涼んでいたが、帝座の星が急に位置変えるのを観た。晴明が「天皇が位を下りた徴。これはいかなる事か」と驚き声を上げるのを天皇物越し聞き足早に通り過ぎた晴明急ぎ参内しこれを報告したが、天皇の姿はすでになく、行方知れなかった。晴明天文理に通じているのは、かくのごとし。 (後半『後漢書』ある光武帝厳子陵厳光)の逸話(「逸民列伝 - 厳光伝」)が元になっている。ただし太宗厳子陵はまった別の時代人物で、了意が光武帝太宗取り違えている) その昔、唐の太宗李世民2代皇帝)が未だにあったとき、厳子陵という友人がいた。太宗帝位について後、厳子陵呼び出し、同じ寝床夜もすがら語り明かしたのだが、このとき寝入った厳子陵の足が太宗の腹の上もたせかけられた。同じ頃、天文台から「客星御座を犯す身分卑しき者が天子の位を狙っている)」と奏聞があったが、これを聞いた太宗は「大した事はない」と笑って答えたこのようなことは、その妙によく通じていないと知りがたいものである三井寺鳴不動の事 (『今昔物語』『宝物集』『発心集』『三国伝記』『元亨釈書』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』『曽我物語』といった平安時代から室町時代に至る多数説話集収録されている「泣不動縁起」が元になっている) 園城寺三井寺)の智興阿闍梨名僧であったが、あるとき伝染病にかかり、高熱苦しむ様が耐えがたく見えた加持祈祷医療針灸の手立て尽くした効果がない。弟子たち晴明呼んで祈祷を頼むが、晴明病状診て「これはすでに定まっている業なので、祈って無駄だ。しかし自分には1つ秘符がある。もし智興と命を替えてもよいという者がいるなら、祈祷により移し替えると言う弟子たち多くが、日頃「智興のためなら命を捧げると言っている割に、晴明申し出応じようとする者がいない。その中で今年18歳になる證空証空法師だけが「仏法のために身を捨てるのは菩薩の行。今智興を失うのは国家損失である。師匠のためなら命を捨てる」と進み出た晴明も「それは師匠への大きな恩返しとなるであろうこのような志はまことに類いまれな例だ」と深く感動して、涙を流した居合わせた人々晴明同様、證空賞賛した。 證空には年老いた母がいた。彼は母の元に赴き、「自分学問究めて名を揚げ、母の恩に報いよう思っていたが、今夜師の身代わりとなりますこの世顔を合わせるのはこれが最後心残りなのは母上ことだけです」と告げた。これを聞いた老母に「師の恩、仏法のために命を捨てることを、嘆いて止めるべきではないでしょう師匠病状差し迫ってます。早くお帰りなさいと言われ證空泣く泣く寺に帰った。 壇をもうけて晴明祈祷したところ、智興の病はたちどころに平癒して、證空移った證空苦しみ計り知れないもので、心の内不動明王念じたところ、夢うつつの状態で明王現れ「そなたは、長年我を念じ、今また師の身代わりとなって命を差し出そうとしている。その志は類を見ない菩薩心である。よって我がそなたの身代わりとなろう」とのたまわった。すると證空の病はたちまち平癒したが、不動明王絵姿は、病にかかったようになり、両目からはらはらと涙を流した。その涙の跡は今も残っており、世の人は、この不動尊を「泣不動尊」と名付けた魘魅(えんみ)の法をもって(かわづ)をころす事 (『宇治拾遺物語』十一晴明を心みる僧の事付晴明を殺す事」が元になっている) あるとき、晴明広沢僧正御坊訪れて話をしていると、若い僧たちが晴明に対して式神を使うなら、たちどころに人を殺すこともできるのか」と問うた。晴明答えて曰く、「刀でならともかく、どうして簡単に殺すことができるでしょう小さでさえ命を惜しむのは人と変わりません。罪もないのに殺せば生き返らせるのが難しい。打ち捨てれば罪になることですから、そのようなことは意味のない行為です」と。 たまたま5、6匹池の方へ躍り出たところで、こどもや僧たちが「あのをひとつ殺してみせてくれ」と晴明所望した。晴明は「罪作り無用な殺生仰せけになる御房たちだ。しかしこの晴明試そうというのなら、殺して差し上げよう」といい、草の葉摘み呪文唱えつつそのの方へ投げた草の葉の上覆い被さるかと見えたとたん、押し潰され死んだ僧侶もこどももこの有様見て顔色失い恐ろしいことだと思った

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