安倍晴明物語一代記 一とは? わかりやすく解説

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安倍晴明物語一代記 一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)

安倍晴明物語」の記事における「安倍晴明物語一代記 一」の解説

序 卜兆(うらかた根元の事 (『簠簋抄』を原典に、天竺インド)、太唐(中国)、日本における卜占起源説く占い奥義は、天竺においては羯毘羅仙(かびらせん)⇒阿私多(あした)仙人釈尊仏陀)⇒文殊菩薩、太唐では伏羲(ふっぎ)⇒周の文王周公旦孔子日本では思兼命春日明神太織冠(藤原鎌足)⇒吉備大臣吉備真備)へと伝えられたが、三国ともに世に広まることはなかった。しかし安倍晴明現れ三国卜占の技を統一することとなった。 伯道(はくどう上人の事 (『簠簋抄』が原典) 周の時代雍州山の洞窟に伯道上人と呼ばれる人がいた。彼は山奥天地陰陽の理を究めたいと修行勤しんでいたが、ある日大海に出ることを決意し小舟で沖に漕ぎ出た。そこへ筏に乗った童子乗り移ってきて、なぜこんなところにいるかを伯道に問う。伯道は、天地の理を悟るため山奥修行してきたが成らず、こうして大海出てきたことを告げると、童子笑って、そんなことでは天地の理を知ることはできない、師について教えを受けなければならない答えた。伯道はこれに納得してただ者には見えない童子教えを乞うと「五台山に来なさい」と告げ虚空消えた。伯道は童子文殊菩薩であったことに気がつくであった。 伯道は五台山へと至り歩き回ったが誰の姿も見えない。さらに深山分け入る共命鳥(ぐみょうちょう)が現れ、伯道の着物の裾を咥えてさらに山の奥へと導いた。伯道は「五台山と書かれた扁額かかった七宝楼門へと至り中に入る極楽世界思わせる宮殿楼閣建ち並び、そこに文殊菩薩がおわした。文殊菩薩は伯道に天地陰陽五行の理を一日一夜説き与えた。これにより伯道は羅漢果悟り通力を得、山に戻り文殊菩薩教えを160巻に書き記した。伯道はこの秘伝書ごく一部を、太公望范蠡張良孔安国河上公といった人々密か伝えた。伯道自身仙人となり、五台山において文殊菩薩眷属となった秘伝書160巻は漢の武帝譲られ、これを読んだ東方朔仙人となった安倍仲麿入唐あべのなかまろにっとう)の事 (『簠簋抄』が原典だが、『簠簋抄』は『江談抄第三吉備入唐間事」を元にしている) 伯道上人の書き記した秘伝書は後に日本へ伝わることとなるのだが、それには安倍仲麿阿倍仲麻呂)が関わっている。安倍仲麿元正天皇時代の人で、霊亀2年西暦716年)に遣唐使として唐へ渡った。さらに仲麿は熒惑星けいわくしょう)の分身でもあった。同じ熒惑星降りた者としては東方朔がいる。彼は漢の武帝政事補佐し、世を豊かにした。それゆえ、仲麿も東方朔同様、自国日本)のために尽くすものと思われ、これが唐にとっては日本不服従につながることから、日本への帰国許されず、高楼幽閉される。嘆き悲しんだ仲麿は「あまの原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」と句を読むが、最後は食を断って自死した。仲麿の霊魂死して後、鬼となって彷徨い出会った者は体調崩し死に至ったという。 吉備大臣(きびのだいじん入唐にっとう)の事付殿上てんじょう)にて碁をうつ事 (承前) 仲麿が唐に渡った翌年霊亀3年)、吉備大臣吉備真備)が遣唐使として唐に渡った時の皇帝である玄宗日本からの貢ぎ物少ないことに腹を立て吉備公の処刑命じるが、吉備公が才知優れたであった場合日本送還すべしと申し添えた。これにより、吉備公は試されることとなる。 廷臣たちが課した第一の試練は、当時まだ日本伝えられていない囲碁であった。碁を知らなければ処刑鍛錬の程を見せれば助命決まり試合翌朝とされた。一方吉備公は何も知らず宿舎楼閣休んでいたが、そこへ赤鬼現れる赤鬼は「自分遣唐使として遣わされ安倍仲麿である。二度日本帰ろう願い出た許されず、この地で死んだ。しかし望郷の念が凝り固まって霊魂赤鬼となって彷徨っている」と語った。さらに仲麿は、玄宗皇帝出した処刑命令のこと、囲碁勝負試されることを吉備公に伝え、「相手となる憲当という者が明日備えて宿舎囲碁を打つので、これを見せてやる」と言う。仲麿は囲碁のルール教えた上で吉備公を背負って当の元に赴き、彼が碁を打っているところを密かに見せた吉備公は即座に囲碁理解し翌朝行われた勝負二番とも勝った吉備公文選(もんぜん)をよむ事 (承前天子玄宗)は「吉備昭明太子編纂した文選』を知らないだろう。これを読ませて、音読できないときは殺せ」と命じたその夜またもや吉備公の元に仲麿の鬼が現れ、「明日は必ず『文選』を読まされる。この本はたやすく読めるものではない。天子毎日読んでいるから、おまえはそれを聞けと言う吉備公は鬼に背負われ天子元に赴き『文選』を読むのを密かに聞いた後、宿舎戻り眠りについた翌朝天子吉備公を召して文選』を読ませるが、吉備公は淀むことなく流麗に読み終えた天子をはじめ公卿臣下全員感心し、「日本小国だが、このように才知にたけた者がいるのか」と褒め称えた。 しかし『文選』を簡単に読まれたことを悔しく思った天子は、「宝誌和尚書いた日本未来を予言した詩『野馬台之詩(やばたいのし)』を読むことはできまい。この詩は非常に難解で唐へ密かに伝えられたものの、自分も読むことができず、これまでに読むことができたのはただ一人のみ。これを吉備読めなかったときは殺す」と言い渡す。その夜再度鬼が吉備公の元に現れ明朝野馬台之詩を読むという試練与えられるという話をしたが、今度は鬼もこれを打開する策を持たず、「日本の神仏に祈れ」と言い置いて消えてしまう。吉備公は驚き呆然としたが、「心を込めて祈れば仏の御利益もあるはずだ」と若い頃より信奉してきた大和長谷寺観音祈った。しばらく微睡んでいると、枕元老僧現れ、「我は長谷寺観音である。なんじの真摯な祈り応え夢に現れている。安心して明日試練臨め。我は蜘蛛の姿に変じて野馬台之詩』の文字の上現れる。それから糸出して文字の上巡るので、その糸に従って読め」とお告げ残した目を覚ました吉備公は、歓喜の涙を流して観音の名を唱えた長谷寺観音の事付法道仙人の事吉備公の試練の話を離れ、本来独立した法道仙人の飛鉢法の説話長谷寺縁起混交して説く吉備公の話の続きは次巻へ) 法道仙人天竺の人で全世界飛び回って功徳授けていたが、あるとき日本飛来し播磨国印南郡いなみのこおり)法花山(法華山)に天下った。法道は、千手観音像、仏舎利、宝鉢以外の何も持たず日夜法華経唱えていた。この宝鉢は、虚空駆けて各地巡り喜捨受けて法道元に戻る。このため法道は「空鉢仙人」と呼ばれた大化元年西暦645年)、藤井駒城(こまき)という者が年貢米1000石を船に積んで運んでいた。法道仙人飛ばした鉢が藤井ところに現れたが、彼は「これは官米なので一粒たりともやれん」と断ったところ、鉢は岸へと飛び返った。ところが、船に積んでいた年貢米は鉢を追いかけて列をなして飛び去ってしまった。藤井が肝をつぶして仙人の庵に詫びに来たところ、仙人笑って許し、米は船に戻った藤井がこのことを孝徳天皇報告したところ、たいそう奇特なことと感嘆した大化5年西暦649年)、孝徳天皇が病に倒れるが、法道仙人祈祷により程なく快癒した。この功により法花山には巨大な仏殿作られ観音像安置された。さらに数十年を経て法道仙人観音木像作ろう思い立ち材料となる木材全国各地求めた。 (話はいったん100年近く過去遡る近江国高嶋三尾崎(みおがさき)というところで洪水があり、のほとりにあった流出した。この木が流れ寄ったところは火事疫病流行り人々恐れ戦いた。しかし和州葛下郡(かつげのこおり)出雲大満おおまつ)という人がこのことを聞き及んで、「この木は霊木だろう」と考えて十一面観音作る願をかけた。実地行ってみると、大木容易に動かせないようだったが、試しに綱をかけて一人引っ張ってみると板のように軽い。道行く人たちの助け借りて、木を地元当麻郷まで運んできたが、大松朝廷出仕することとなり、木は80年放置された。そうしているうちに木が運ばれた里で疫病流行り村人は木が原因考え長谷川上に木を捨てた長谷の地に捨てられた木を見つけた法道仙人はこれを霊木として、15年加持の後、十一面観音仏師に彫らせた。この観音像安置所を思案した法道だが、夢に金色の人が現れ、「この山の北の嶺の地中に8尺四方瑪瑙石が埋まっている。これを掘り出し大悲菩薩観音異称)の台座とせよ」と啓示を受ける。法道喜んで掘ったところ、夢のとおりの巨石出てきた。石の表面には足跡があり、寸法測る観音像の足と寸分違わぬものであった観音像据え付け文武天皇奏上したところ、大伽藍建立し開眼供養が行われたという。 このようにありがた観音菩薩なので、信心する人たちの願いには必ず応え吉備公に利益施したのである

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