長谷寺観音の事付法道仙人の事とは? わかりやすく解説

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長谷寺観音の事付法道仙人の事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)

安倍晴明物語」の記事における「長谷寺観音の事付法道仙人の事」の解説

吉備公の試練の話を離れ、本来独立した法道仙人の飛鉢法の説話長谷寺縁起混交して説く吉備公の話の続きは次巻へ) 法道仙人天竺の人で全世界飛び回って功徳授けていたが、あるとき日本飛来し播磨国印南郡いなみのこおり)法花山(法華山)に天下った。法道は、千手観音像、仏舎利、宝鉢以外の何も持たず日夜法華経唱えていた。この宝鉢は、虚空駆けて各地巡り喜捨受けて法道元に戻る。このため法道は「空鉢仙人」と呼ばれた大化元年西暦645年)、藤井駒城(こまき)という者が年貢米1000石を船に積んで運んでいた。法道仙人飛ばした鉢が藤井ところに現れたが、彼は「これは官米なので一粒たりともやれん」と断ったところ、鉢は岸へと飛び返った。ところが、船に積んでいた年貢米は鉢を追いかけて列をなして飛び去ってしまった。藤井が肝をつぶして仙人の庵に詫びに来たところ、仙人笑って許し、米は船に戻った藤井がこのことを孝徳天皇報告したところ、たいそう奇特なことと感嘆した大化5年西暦649年)、孝徳天皇が病に倒れるが、法道仙人祈祷により程なく快癒した。この功により法花山には巨大な仏殿作られ観音像安置された。さらに数十年を経て法道仙人観音木像作ろう思い立ち材料となる木材全国各地求めた。 (話はいったん100年近く過去遡る近江国高嶋三尾崎(みおがさき)というところで洪水があり、のほとりにあった流出した。この木が流れ寄ったところは火事疫病流行り人々恐れ戦いた。しかし和州葛下郡(かつげのこおり)出雲大満おおまつ)という人がこのことを聞き及んで、「この木は霊木だろう」と考えて十一面観音作る願をかけた。実地行ってみると、大木容易に動かせないようだったが、試しに綱をかけて一人引っ張ってみると板のように軽い。道行く人たちの助け借りて、木を地元当麻郷まで運んできたが、大松朝廷出仕することとなり、木は80年放置された。そうしているうちに木が運ばれた里で疫病流行り村人は木が原因考え長谷川上に木を捨てた長谷の地に捨てられた木を見つけた法道仙人はこれを霊木として、15年加持の後、十一面観音仏師に彫らせた。この観音像安置所を思案した法道だが、夢に金色の人が現れ、「この山の北の嶺の地中に8尺四方瑪瑙石が埋まっている。これを掘り出し大悲菩薩観音異称)の台座とせよ」と啓示を受ける。法道喜んで掘ったところ、夢のとおりの巨石出てきた。石の表面には足跡があり、寸法測る観音像の足と寸分違わぬものであった観音像据え付け文武天皇奏上したところ、大伽藍建立し開眼供養が行われたという。 このようにありがた観音菩薩なので、信心する人たちの願いには必ず応え吉備公に利益施したのである

※この「長谷寺観音の事付法道仙人の事」の解説は、「安倍晴明物語」の解説の一部です。
「長谷寺観音の事付法道仙人の事」を含む「安倍晴明物語」の記事については、「安倍晴明物語」の概要を参照ください。

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