三井寺鳴不動の事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:44 UTC 版)
(『今昔物語』『宝物集』『発心集』『三国伝記』『元亨釈書』『園城寺伝記』『寺門伝記補録』『曽我物語』といった平安時代から室町時代に至る多数の説話集に収録されている「泣不動縁起」が元になっている) 園城寺(三井寺)の智興阿闍梨は名僧であったが、あるとき伝染病にかかり、高熱に苦しむ様が耐えがたく見えた。加持祈祷や医療針灸の手立てを尽くしたが効果がない。弟子たちは晴明を呼んで祈祷を頼むが、晴明は病状を診て「これはすでに定まっている業なので、祈っても無駄だ。しかし自分には1つの秘符がある。もし智興と命を替えてもよいという者がいるなら、祈祷により移し替える」と言う。 弟子たちの多くが、日頃「智興のためなら命を捧げる」と言っている割に、晴明の申し出に応じようとする者がいない。その中で今年18歳になる證空(証空)法師だけが「仏法のために身を捨てるのは菩薩の行。今智興を失うのは国家の損失である。師匠のためなら命を捨てる」と進み出た。晴明も「それは師匠への大きな恩返しとなるであろう。このような志はまことに類いまれな例だ」と深く感動して、涙を流した。居合わせた人々も晴明同様、證空を賞賛した。 證空には年老いた母がいた。彼は母の元に赴き、「自分は学問を究めて名を揚げ、母の恩に報いようと思っていたが、今夜師の身代わりとなります。この世で顔を合わせるのはこれが最後。心残りなのは母上ことだけです」と告げた。これを聞いた老母に「師の恩、仏法のために命を捨てることを、嘆いて止めるべきではないでしょう。師匠の病状は差し迫っています。早くお帰りなさい」と言われ、證空は泣く泣く寺に帰った。 壇をもうけて晴明が祈祷したところ、智興の病はたちどころに平癒して、證空に移った。證空の苦しみは計り知れないもので、心の内で不動明王を念じたところ、夢うつつの状態で明王が現れ「そなたは、長年我を念じ、今また師の身代わりとなって命を差し出そうとしている。その志は類を見ない菩薩心である。よって我がそなたの身代わりとなろう」とのたまわった。すると證空の病はたちまち平癒したが、不動明王の絵姿は、病にかかったようになり、両目からはらはらと涙を流した。その涙の跡は今も残っており、世の人は、この不動尊を「泣不動尊」と名付けた。
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