三井寺流について
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虎関師錬『元亨釈書』巻二十九(「音藝志七」)には、 本朝音韻を以て吾道を鼓吹する者、四家あり。経師と曰ひ、梵唄(ぼんばい)と曰ひ、唱導と曰ひ、念仏と曰ふ。 とあり、鎌倉末期において、音声をもって仏道を隆盛たらしめるものとして経師(説経師)、梵唄(声明)、唱導、念仏の4種があったことを示している。 唱導は、安居院流のほかには寛元年間(1243年-1247年)に園城寺の定円がおこした三井寺流が知られており、同じ『元亨釈書』巻二十九に、 方今天下の唱演を言ふは皆二家に効(なら)ふ。 の記述がある。浄土系の安居院流に対し三井寺流は天台系で、この両者は鎌倉末期には唱導の二大流派と目されていたことが知られるものの、三井寺流は現存せず、派祖とされる定円についても詳細は不明である。日本の話芸の研究で知られる関山和夫は、説教師や浄瑠璃に三井寺流の痕跡を認めることができると論じたが、結果的には三井寺流は安居院流に吸収されるかたちで消滅したと考えられる。
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