三井報恩会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 06:13 UTC 版)
以前から三井財閥は寄付を行っていたが、1934年4月に三千万円を基金として、財団法人三井報恩会を設立すると、寄付の規模を劇的に拡大した。医療・福利厚生・教化事業・農村更生施設・失業対策・児童と婦人の保護・学術文化研究などに資金を助成して、四年間で総額六千万円(堀による)の寄付をした。百万円で購入したラジウムを癌研究所に寄付したり、懐柔するためにマスコミに寄付したり、満州国借款供与や明治神宮・靖国神社清掃奉仕や思想犯転向者指導施設大孝塾研究所の建設費を全額補助するなど軍部にも寄付した。また北一輝を通して右翼団体にも寄付したので、二・二六事件の資金を提供するという結果になってしまった。初代理事長の米山梅吉は全国の癩療養所を訪れて患者を慰問するという奉仕活動も行った。
※この「三井報恩会」の解説は、「財閥転向」の解説の一部です。
「三井報恩会」を含む「財閥転向」の記事については、「財閥転向」の概要を参照ください。
- 三井報恩会のページへのリンク