青木恵哉以前の沖縄の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 09:35 UTC 版)
「青木恵哉」の記事における「青木恵哉以前の沖縄の状況」の解説
沖縄県はハンセン病患者が多いことが知られており、県別の人口比統計では明治33年6位、明治39年2位、大正14年1位、昭和10年1位、昭和15年1位を占めている。法律11号以降、沖縄県議会は療養所に関して曖昧な決定に終始した。一時は患者を九州療養所に送った時期もある。昭和4年以降、沖縄県で療養所を作ることとなった。昭和6年宮古島では宮古保養院を設立したが、沖縄本島では敷地問題がうまくいかず、嵐山事件で暴動、屋部で焼き討ち事件が起こった。青木恵哉の行動に光田健輔,林文雄、沖縄MTL, 日本MTL,東京YMCA,三井報恩会などが協力して昭和13年臨時国立療養所国頭愛楽園ができた。なおその前の昭和10年に沖縄県の患者一部を敬愛園に収容した。
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