フライブルク大学総長就任とナチス入党とは? わかりやすく解説

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フライブルク大学総長就任とナチス入党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:40 UTC 版)

マルティン・ハイデッガー」の記事における「フライブルク大学総長就任とナチス入党」の解説

1933年1月、フォン・ヒンデンブルク大統領任命ヒトラー首相となり、ナチス党ドイツ政権掌握していった。この頃フライブルク大学では次期学長選を控えており、社会民主党党員解剖学者ヴィルヘルム・フォン・メレンドルフが学長内定者であったが、古典文献学者ヴォルフガング・シャーデヴァルトらナチ党員らによってハイデッガー候補にあがるようになった4月上旬には内務省ナチ大学担当オイゲン・フェーアレがフライブルク大学視察訪れハイデッガー学長選挙にあたってフライブルク大学最古参ナチ党員であるヴォルフガング・アリーらの支援をうけていた。1933年4月21日ハイデッガーフライブルク大学総長選出された。5月1日メーデー改称した国民的労働の日」をもって、エーリヒ・ロータッカー、哲学者アルノルト・ゲーレンアルフレート・ボイムラー哲学者ハインツ・ハイムゼートテオドール・リット22名の同僚教授とともにナチス党入党した党員番号は3125894(バーデン地区であったハイデッガー党員証はベルリンドキュメントセンター(Bundesarchiv)に保管されている。 若いハイデッガーに深い影響与えたコンラート・グレーバーフライブルク大司教ボルシェヴィズムへの不安のため、それまで対立していたナチス和解しファシズムは「現代において最も力強い精神運動」とし、「新し国家ナチスドイツ)を拒否してならない、これを肯定し、迷うことなく尊厳真摯をもってともに働くべきである」と中央党新聞述べるなどナチス公然と支持した最初ドイツ人司教となったが、1937年には除名された。 5月26日にはハイデッガーはアルバート・レーオ・シュラゲーター顕彰演説行った。シュラゲーターはフライブルク大学中退し第一次世界大戦志願兵として従軍した後、義勇軍となり、鉄道爆破によって逮捕され銃殺刑となり、ナチスから英雄とされていた。ハイデッガーはシュラゲーターを「もっとも困難なことを引き受け」、「自らの栄誉偉大さのために、心の中民族来るべき出発思い浮かべて、その光景を自らの魂に刻みつけ、これを信じて行かねばならなかった」とし、この「もっとも偉大なるものともっとも遠くにあるものを自らの魂に刻みつける心情明晰さ」は、英雄故郷であるシュヴァルツヴァルトから来るのであり、「これが昔から意志堅固さ作り上げる」のであり、「彼はアレマン国土眺めながら、ドイツ民族とその帝国のために死んでいった」とし、フライブルク学生に「意志堅固さ心情明晰さ」をしっかりと保持することを訴えた5月27日就任式典ではハイデッガー就任演説ドイツ大学自己主張」を行いナチス革命カイロス歴史的好機)であり、「はるかな任務」に委ねることを聴衆求め、「われわれが自らを再びわれわれの精神的歴史的現存在開始という力のもとに置く」ことが真の学問条件であるとし、大学ナチス革命精神一致させるよう訴えた式典ではナチス党歌「旗を高く掲げよ」が演奏されナチス式敬礼を非党員にも強要して物議をかもし、またハイデッガー学長大学講義開始と終了ハイル・ヒトラー敬礼義務づけた。聴講していたカール・レーヴィットソクラテス以前哲学勉強したらいいのか、突撃隊行進したらいいのかわからなくなった述べている。ヤスパースハイデッガーから「ドイツ大学自己主張演説送られてからの1933年8月23日返信で「学長就任演説送っていただいてありがとうございます初期ギリシア精神きっかけにした偉大な筆致には、新し真理のように、同時に自明真理のように、またまた感動したものです」と書き、この演説は「信頼する値する実質を持つ」と賞賛した。突撃隊隊員歴史家のリヒアルト・ハルダーは「大学を真剣に考え学問真っ向から対決したもの、真の簡潔さ固い意志大胆な不敵さをもってなされた真に政治的な宣言」と賞賛した。ハインリッヒ・ボルンカムも賞賛し、ラインヴェストファーレン新聞は「個人立場から大学全体国家中に組み込もうとする初めての試み」とし、ベルリン株式新聞は「魅惑的であるとともに義務感呼び覚ます」と評価したハイデッガー学長就任演説についてマルクーゼ1934年に「全体主義的国家観における自由主義との戦い」で批判したハイデッガー講義受けたこともあった日本の哲学者田辺元ハイデッガーナチス入党と「ドイツ大学自己主張」について1934年危機哲学哲学危機か」で批判した田辺元は「単に存在不可測性、それに対す知識無力自覚、という如き原理だけで、積極的に民族国家形而上学的基礎確立し学問国家奉仕所謂知識勤務を以て本質とすべき所以明にし得るか、という如き疑問必然に起こり来らざるをえない」とし、ハイデッガーの師であるプラトンはその師ソクラテス死刑になったことを源泉とした「危機哲学」であるが、理性参与させることなく単に運命的な存在従属しようとするハイデッガーは「哲学危機」であると批判したムッソリーニ一時支持したあと転向して批判したベネデット・クローチェハイデッガー演説を「愚かであると同時に卑屈」といい、ハイデッガーもてはやされるのは「無内容一般論はいつももてはやされる」からだと1933年9月9日のカール・フォスラー宛書簡で書いた1933年6月30日新し帝国大学」をハイデルベルク大学講演した11月30日にチュービンゲンナチ党地区本部ドイツ文化のための闘争同盟チュービンゲン大学学生組織から招聘されハイデッガーは「国民社会主義国家大学」をチュービンゲン大学講演した。この講演ハイデッガーは「ナチ革命」とは「ドイツ現存在全体の完全な変革」「人間の、学生の、次代の若い大学教師たちの完全な再教育」を意味するとし、「ドイツ人歴史的民族になる」「次代学生は、迷うことなく一心不乱に民族知的要求国家の中で貫徹する戦い試みねばならない。この戦いにおいて若者たちは、彼らの確固たる意志導いてくれる指導者に臣従する」と述べたドイツ文化のための闘争同盟(Kampfbund für deutsche Kultur)はアルフレート・ローゼンベルク1929年創立した組織である。 1933年学期の「哲学根本問題講義(ヘレーネ・ヴァイス遺品聴講生ノートに基づくもので、ハイデッガー自筆原稿ではない)でハイデッガーは「この数週間」は歴史的瞬間であり「ドイツ民族自己自身に立ち還り、自らの偉大な指導者を見つけ出しているのである。この指導者のもとで、自己自身至りついた民族は、自らの国家作り出し国家の中へ組み込まれ民族は、やがて国民国家成長していき、この国民国家は、民族運命引き受ける。こうした民族諸民族真只中立って精神的な負託を自らに課し、自らの歴史作り上げて行く」「民族は、こうした問い(我々が何者なのか)を発することによって、その歴史現存在を耐え、危機脅威の中でそれを堅持し、その偉大な使命中にまでそれを持ち込むことができるのであって民族こうした問い発することこそが、民族哲学的に考えということであり、それが民族哲学のである。」、「哲学根本問題とは何であり、またその独自の本質は何かについての決定はいつどこで下されたであろうか。それはギリシア民族−その血統言語は我々ドイツ人同一起源をもつ−の偉大な詩人たちや思索家たちが、人間的歴史的現存在比類なき新し様式作り出したあの時である」「西欧人間精神的歴史的現存在のこの始まりは、今なおそのままに、西欧運命である我々の運命大きく関わるはるか遠くから指令として、ドイツ運命繋がっているはるか遠くから指令として存続している」と述べた。またハイデルベルク大学での「新し帝国大学講演では「ヒューマニズムキリスト教考えによって窒息させられることのないナチズム精神体しこうしたことに抗して仮借なき戦いがなされねばならない」「戦いは、民族宰相ヒトラー実現する新し帝国諸勢力結集して行われる。」「この戦い大学教師指導者作り出すための戦いである」と述べた1933年9月にはフライブルク大学同僚世界的な化学者であったヘルマン・シュタウディンガーを「政治的に信用できない」とバーデン州大学担当官フェールレに伝えた。フェールレは早速シュタウディンガー告訴手続き行いゲシュタポ罷免相当であるという報告書作成ハイデッガー罷免相当であるという回答を行った結局シュタウディンガー免職政府許可下りなかったために実行されなかった。10月1日にはフライブルク大学の「指導者」に任命され大学の「強制的同一化」を推進した。また国際連盟脱退ヒトラー国家元首就任支持する演説も行うなど、学外でも積極的な活動行った1933年7月20日ドイツバチカンとの間で結ばれたライヒスコンコルダート(ライヒ政教条約)にハイデッガー批判的であった1933年9月、再びベルリン大学正教授招聘された。ハイデッガー9月4日のアインハウザー宛書簡で「個人的な事情一切抑えて」「任務を果たすことこそ、アードルフ・ヒトラー仕事に役立つ最善のこと」としていまだ決めかねる答え結局は招聘断った同時期にミュンヘン大学への招聘もあり、ハイデッガー検討していたがフライブルク大学後任人事問題のため1934年1月断った同時期にミュンヘン大学へも招聘されミュンヘン大学への招聘に際してエルンスト・クリーク親友マールブルク大学のエーリヒ・イェンシェンは文相シェムへの文書ハイデッガーは「危険な分裂患者」でハイデッガー著作は「精神病理学素材以外の何ものでもない」「タルムード的=三百代的思考」であるゆえユダヤ人にとっても大きな魅力となっていると告発し他方招聘ハイデッガー検討していたがフライブルク大学後任人事問題のため1934年1月断った1933年11月10日フライブルク新聞は、フライブルク市長ケルバー博士、ツーア・ミューレン学生団体指導者フライブルク大学総長ハイデッガー署名で「われらが民族苦難分裂破滅から救出し統一決断栄誉へともたらしたまえる、諸民族自己責任に基づく共同体新たな精神師父にして先駆ける戦士に対してドイツ西南辺境なる大学都市市民学生ならびに教授団は、無条件臣従約束したてまつる」という総統電文掲載した1933年11月ザクセンナチ教員同盟(Nationalsozialistischer Lehrerbund、NSLB大管区長アルトゥール・ゲプファルト、ベルリン大学総長オイゲン・フィッシャー(Eugen Fischer)、ライプツィヒ大学総長アルトゥール・ゴルフ、ゲッティンゲン大学総長フリードリヒ・ノイマン、ハンブルク大学総長エーバーハルト・シュミットと並んでフライブルク大学総長ハイデッガーは「ドイツ学者政治集会」に参加し、「ドイツ民族は、総統から賛成投票呼びかけられている。しかし総統民族懇願しているのではない。総統はむしろ民族この上なく自由な決断のもっとも直接的な可能性与えてくれている民族全体が自らの現存在望んでいるのか、それともこれを望んでいないのかの決断をである。この民族は、明日、自らの未来そのものそれ以外の何ものでもないものを選ぶのである」、「究極決断は、我々の民族現存在極限突き詰める」、極限とは「あらゆる現存在根源的要求自己の本質保持し救い出すというその根源的要求である」と述べた1933年11月フライブルク学生雑誌寄稿したドイツ学生」でハイデッガーは「ナチ革命は我々ドイツ現存在を完全に変革している」、諸君には「ドイツ精神将来大学作り上げるために、共に知り、共に行動する義務与えられている」、これは「民族全体自己自身求め戦いにおいて勇猛果敢身を投げ出す力によって果たされると書き末尾に「ハイル・ヒトラー!」と書かれていた。11月25日講演労働者としてのドイツ学生」では「新しドイツ学生は今、労働奉仕によって歩んで行く。ナチ突撃隊考え一つのである」、「ナチ国家労働者国家のである」「かかる奉仕こそ、すべての人々民族としての連帯の中で、日々試練晒され決断迫られて、個々人身分上の出自責任とを明確に堅固にするという根本的な体験をさせてくれる」と述べた。この演説西部地区連合放送網によって実況放送された。また始業式では「仕事がなく失業していた民族共同体同胞は、仕事確保されることで、まず何よりも先に国家の中で、国家のために、それゆえにまた民族全体のために、再び現存在たりうるものにならなければならない」、「労働者共産主義言われているような単なる搾取対象ではありません。労働者身分は、財産奪われて、一般的な階級闘争へ向かうような階級ではありません。(…)労働とは、個人集団国家責任において担われそうすることによって民族奉仕しうるすべての規制された行為と行動を表す称号なのです」「総統臣従するとは、ドイツ民族が、労働民族として、その自然のままの統一、その素朴な尊厳と、その真の力を見つけ出し労働国家として恒久性と偉大さを勝ちとることを、断固として不断に望むことなのでありますこうした未曾有の意志抱いている人物、我々の総統アドルフ・ヒトラーに、ジークハイル勝利歳)三唱!」と述べた11月11日発表されドイツ教授によるアドルフ・ヒトラーへの声明ドイツ語版)に署名行っている。 1934年1月23日にはフライブルク学生雑誌に「労働奉仕への呼びかけ」を寄稿した。 かつて自分友人マックス・ヴェーバーの甥でもあったエドヴァルト・バウムガルテン(ドイツ語版)がナチ突撃隊ナチ大学教官同盟への加入申請したとき、ハイデッガー1933年12月16日ナチ大学教官同盟の手紙でバウムガルテンのことを「マックス・ヴェーバー周りリベラル民主主義的なハイデルベルク知識人グループ」に属しており、ホラ吹き山師であると書いた。さらにバウムガルテンユダヤ人正教授エドゥアルト・フレンケル(ドイツ語版)と密接に連絡取っているとも付け加えた。ザフランスキーによれば、これはハイデッガーにとって表面的に新し状況順応する者への警戒であったとするが、ヤスパースはこれを反ユダヤ主義的な攻撃受け取ったバウムガルテン学長就任演説について「ハイデッガーにおいてはこうした神秘的な実体変化がここで起こっている。今日問い発する者の知のこうした限界と、こうした無力感襲いかかっている全とを、ハイデッガーはかつてのように形而上学的に化する無と解釈することはない。彼には今それが存在的に強力な存在者、つまり単純かつ率直にドイツの革命事実的な出来事思われている」と論じた

※この「フライブルク大学総長就任とナチス入党」の解説は、「マルティン・ハイデッガー」の解説の一部です。
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