ミーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/28 21:32 UTC 版)
文化的な情報は会話、人々の振る舞い、本、儀式、教育、マスメディア等によって脳から脳へとコピーされていくが、そのプロセスを進化のアルゴリズムという観点で分析するための概念である(ただしミームとは何かという定義は論者によって幅がある)。ミームを研究する学問はミーム学 (Memetics)と呼ばれる。
ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それはミームが「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報であり、進化する。
さらに遺伝子の進化とミームの進化は無関係ではなく、相互に影響しあいながら進化する。
ミームの日本語での訳語は模倣子、模伝子、意伝子がある。
概要
もともとミームという言葉は、動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスが、1976年に『利己的な遺伝子』という本の中で作ったものである[2][4]。まず、ドーキンスはギリシャ語の語根 から mimeme という語を作った。mim は「模倣」を意味し、-eme は「…素」を意味する名詞を作る接尾辞である。彼は、この語を遺伝子(gene)のような一音節の単語にしたかったので、縮めて meme「ミーム」 とした。ドーキンスは meme について、memory「記憶」やフランス語の même [mɛːm]「同じ」と結びつけて考えることもできるだろうと述べている。ドーキンスは、ミームを脳から脳へと伝わる文化の単位としており、例としてメロディやキャッチフレーズ、服の流行、橋の作り方などをあげている。
その後、ミームはドーキンスやヘンリー・プロトキン、ダグラス・ホフスタッター、ダニエル・デネットらにより、生物学的・心理学的・哲学的な意味が考察されるようになった。初めてミーム学についてまとめられた本が出版されたのは、リチャード・ブロディの『ミーム―心を操るウイルス』であり、その後スーザン・ブラックモアが『ミーム・マシーンとしての私』でさらにミーム学を発展させた。
ミーム学は二つの意味で進化論に基づいている。一つは、ミームの進化を遺伝子の進化との類推でとらえられること、もう一つは、ミームの進化は遺伝子がどのように進化してきたかと関わりがあることである[2]。ここでの進化論は利己的遺伝子の理論である。
ドーキンスは進化における自然選択の働きを説明するために、遺伝子以外にも存在しうる理論上の自己複製子の例としてミームを提案した。ドーキンスの視点によれば、自然選択に基づく進化が起きるためには、複製され、伝達される情報が必要である。またその情報はまれに変異を起こさなければならない。これは生物学的進化では遺伝子である。この複製、伝達、変異という三つの条件を満たしていれば遺伝子以外のなにかであっても同様に「進化」するはずである。
災害時に飛び交うデマ、流行語、ファッション、言語、メロディなどの文化情報の伝承伝播の仕組みを、論者の定義に基づいて説明することがある。 例えば「ジーパンをはく」という風習が広がった過程をある論者のミームの遺伝子との類推からとらえなおせば、次のようになる。
- 「1940年代後半のアメリカで「ジーパンを履く」というミームが突然変異により発生し、以後このミームは口コミ、商店でのディスプレイ、メディアなどを通して世界中の人々の脳あるいは心に数多くの自己「情報」の複製[注 1] を送り込むことに成功した。」
ミームの定義は論者によって様々なものが用いられるが、主に人類の文化進化の文脈において用いられる概念である。文化を脳から脳へ伝達される情報と見なす視点は、文化を超個体的な実体と見なす伝統的な社会学の視点と対照的である。
諸定義
「ミーム」の概念は、ドーキンスが唱えたミーム=情報伝達における単位としての定義を超えて、どのようなものでもミームであると誤解され論じられることが多い。さらに論者によって、また同じ論者でも研究の発展に応じてその指し示す対象にはかなりのずれがあるので、各ミーム論者の理論に対する信憑性の判断にはミーム論争自体への客観的な理解と、文化研究を専門とする人類学をはじめとした社会科学分野への理解が必要である。ここではいくつかの定義を例示する。[2][5][6]

- 文化の伝達や複製の基本単位(ドーキンス、1976)
- ドーキンスのミームの定義によると、文化は人の脳から脳へと伝達されるミームからできており、ミームは文化の原子のようなものである。遺伝子は精子と卵子を通じて広まるが、ミームは脳を通じて広まる。したがって、より多くの脳に広まったミームが文化形成に大きく関与していることになる。例えば、ミニスカートはミームであり、それが多くの心に広まることでミニスカートが流行し、文化を形作る。あるいは、歌のメロディはミームであり、人々がそのメロディを口ずさめば多くの心へ広まり、文化となる。このように、この定義により、文化全体を分かりやすい部分に分解し、それぞれがどのように作用しあい、進化していくのかを見ることができる。
- この場合、ミームの単位はどのように区切られるかということは自明ではない。例えば交響曲の場合、ある交響曲全体で一つのミームなのか、一つ一つのメロディを一つのミームとするのかといったことである。ドーキンスは、便宜上、複製や淘汰を見ることができる一つの単位を、一つのミームと考えられるとしている[4]。したがって、一つのミームも二つに分けて考えることはでき、二つのミームを一つのまとまりと捉えることも可能である。
- ただし、この定義では、なぜあるミームが広がり、あるミームは広がらないのかが、あまり説明できないとリチャード・ブロディは言っている[2]。
- 文化の遺伝単位であり、遺伝子のような働きをする。(ヘンリー・プロトキン)[2]
- プロトキンによる定義では、ミームと遺伝子との類似性が強調され、ミームと人の行動との関係は、遺伝子と身体との関係と同じである。つまり、遺伝子の情報が身体の特徴、目の色や髪の毛の色などを決めるのに対し、ミームが行動を決定する。ミームがコンピューターのソフトウェアだとすれば、脳がハードウェアである。つまり、ミームは心のプログラムである。
- この定義におけるミームは、文化を分解したものではなく、心の中に存在する。例えば、流行の服がミームなのではなく、「流行の服を着るのはおしゃれである」、「おしゃれな服を着ることは、異性を引きつける」、「異性を引きつけると幸せになれる」などといった知識のようなミームが個人個人の心の中に存在し、これらが一緒に働いて流行の服を着るという行動を起こす。そして他の人の心に「あの服が流行している」というミームを作ることにもなる。服や橋といった文化は、心の中にあるミームが作り出している。
- この定義では説明できない点は、知識というものが、人間の心の外にも存在することであるとブロディは言っている。例えば、人間が新しい宇宙の天文学的知識を発見した場合に、それが文化や人の行動に及ぼす影響をどのように考えるかといった問題である[2]。
- 文化的に伝播された教訓の単位。ミームは自ら形を作りあげ、記憶に残る複雑なある種の考えになる。ミームは媒介物によって広まっていく。(デネット、1995)
- この定義ではミームは心の中にあり、心の外に影響を及ぼす。ミームがある心から、外側の媒介物を通じて多くの心に広まっていく様子を、ミームの視点で見ていく。私たち自身が考えを形作るのではなく、考えが自ら「形を作る」というのは、実際にはあり得ない。しかし私たちが「ミームの視点」から考えることで、それにより特定のミームがどのように広まったり、変異を起こしたり、消えるのかを見ることができる。
- 例えば、「携帯電話を持つ」というミームは、携帯電話という媒介物を通して広まっていく。ある携帯電話で話している人を見た人が、自分もその携帯電話を持とうと考えるようになる、といった具合である。これが何度も繰り返されてミームが広まる。そうした過程における人の振る舞いを見て、なぜその携帯電話が人々を引きつけるのか、あるいは、なぜある携帯電話は人を引きつけないのかを考えることができる[2]。
- ただし、この定義ではミームの媒介物がはっきりしない場合があるとブロディは言っている。はっきりした媒介物ではなく、人間の複雑な振る舞いを通してミームが広まるケースが多いからである。
- 心を構成する情報の単位(一つ一つのまとまり)であり、他者の心へ同じ情報がコピーされるように、いろいろな出来事への影響力を持つ。(ブロディ、1996)
- ブロディの定義では、ミームは社会における文化を構成しているだけでなく、一人の人間の心も構成している。この定義は、ドーキンス、プロトキン、デネットのそれぞれの定義の大事なポイントを押さえた「実用的定義」である[2]。
以上の他には以下のような定義がある。
注釈
出典
- ^ 第2版,日本大百科全書(ニッポニカ),百科事典マイペディア,世界大百科事典内言及, デジタル大辞泉,世界大百科事典. “ミームとは” (日本語). コトバンク. 2021年1月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s リチャード・ブロディ、森 弘之訳『ミーム―心を操るウイルス』講談社、1998年。
- ^ スーザン・ブラックモア about memes Memetics UK 2010年11月15日閲覧。
- ^ a b リチャード・ドーキンス、日高敏隆 訳、岸由二訳、羽田節子訳、垂水雄二訳『利己的な遺伝子』紀伊國屋書店、2006年。
- ^ Geoffrey M. Hodgson (2001) "Is Social Evolution Lamarckian or Darwinian?", in Laurent, John and Nightingale, John (eds) Darwinism and Evolutionary Economics (Cheltenham:Edward Elgar), pp. 87-118. 原文(一部相違あり)
- ^ Oxford English Dictionary 内、ミームの項目。
- ^ リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳 『遺伝子の川』草思社、1995年
- ^ 佐倉統ほか『ミーム力とは?』数研出版、2001年。
- ^ a b 。河田雅圭『進化論の見方』紀伊國屋書店、1989年
- ^ Viruses of the Mind リチャード・ドーキンス、1991年
- ^ Balkin, J. M. (1998), Cultural software:a theory of ideology, New Haven, Conn:Yale University Press, ISBN 0-300-07288-0
- ^ “Richard Dawkins and Jaron Lanier "Evolution:The discent of Darwin", Psychology Toda,Translated by Minato NAKAZAWA, 2001. Last Update on January 12, 2001 (FRI) 09:22 .”. 2011年7月7日閲覧。
- ^ “Psychology Today”. 2011年7月8日閲覧。
- ^ このシンポジウムをまとめた論考が、以下の書。
ロバート・アンジェ 編、佐倉統・巌谷薫・鈴木崇史・坪井りん 訳 『ダーウィン文化論:科学としてのミーム』産業図書、東京、2004年 (原著2000年)。 - ^ スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳『ミーム・マシーンとしての私』草思社。序文より
- ミームのページへのリンク