阿修羅王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 23:48 UTC 版)
阿修羅王の名前や住処、業因などは経論によって差異がある。パーリ語では、阿修羅王に Rāhu、Vepacitti、Sambara、Pahārāda、Verocana、Bali の5つの名が見られる。ただし大乗仏典では、一般的に阿修羅王は4人の王とされることが多い。『法華経』序品には、4人の王の名を挙げ、各百千の眷属を有しているとある。 また『十地経』や『正法念処経』巻18〜21には、これら4人の住処・業因・寿命などを説明しており、其の住処は妙高山(須弥山)の北側の海底地下8万4千由旬の間に4層地に分けて住していると説く。以下説明は主に正法念処経による。 羅睺阿修羅王(らごう)Skt及びPl:Rāhu、ラーフ、パーリ語(PI):訳:障月、執月、月食など、 その手でよく日月を執て、その光を遮るので、この名がある。 (住処) - 第1層、海底地下21000由旬を住処とする。身量広大にして須弥山のようで、光明城に住み、縦横8000由旬。 (業因) - 前世にバラモンであった時、1つの仏塔が焼き払われるのを防ぎ、その福徳により後身に大身相を願った。不殺生を実践したが、諸善業を行わなかったので、その身が破壊(はえ)し、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 (寿命) - 人の500歳を1日1夜として、その寿命は5000歳 婆稚阿修羅王(ばち、婆雅とも)Skt及びPl:Bali、バリ、訳:被縛 帝釈天と戦って敗れ、縛せられたためにこの名がある。正法念処経では勇健(ゆうごん)阿修羅王。ラーフの兄弟で、彼の子らはみなVerocaと名づく。 (住処) - 第1層の下の第2層、さらに21000由旬の月鬘(げつまん)という地で、双遊城に住み、縦横8000由旬。 (業因) - 前世に他人の所有物を盗み、不正の思いをなして離欲の外道に施して、飲食(読み:おんじき)を充足させたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 (寿命) - 人の600歳を1日1夜として、その寿命は6000歳 佉羅騫駄阿修羅王(きゃらけんだ)Skt:Śambara、Pl:Sambara、サンバラ、訳:勝楽、詐譌、木綿など 正法念処経では華鬘(けまん)阿修羅王と訳される。 (住処) - 第2層の下の第3層、さらに21000由旬の修那婆(しゅなば)という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横8000由旬。 (業因) - 前世に食を破戒の病人に施して、余の衆は節会の日により相撲や射的など種々の遊戯をなし、また不浄施を行じたので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 (寿命) - 人の700歳を1日1夜として、その寿命は7000歳 毘摩質多羅阿修羅王(びましったら)Skt:Vemacitra、Vimalacitra、Pl:Vepacitti、ヴェーパチッティ、訳:浄心、絲種種、綺書、宝飾、紋身など 乾闥婆の娘を娶り、娘の舎脂を産んだ。前出のように舎脂は帝釈天に嫁いだため、帝釈天の舅にあたる。 (住処) - 第3層の下の第4層、さらに21000由旬の不動という地で、鋡毘羅城(かんびら)に住み、縦横13000由旬。 (業因) - 前世に邪見の心を以って持戒する者に施して、余の衆は自身のために万樹を護ったので、命終して阿修羅道へ堕ちてその身を受けた。 その他『起世経』では、須弥山の東西の面を去ること1000由旬の外に毘摩質多羅王の宮があり、縦横8万由旬であるといい、また修羅の中に極めて弱き者は人間山地の中に在りて住す、すなわち今、西方の山中に大きくて深い窟があり、多く非天=阿修羅の宮があるという。
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