阿修羅像とは? わかりやすく解説

阿修羅像(鈴木研一)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 06:20 UTC 版)

大日本仏像連合」の記事における「阿修羅像(鈴木研一)」の解説

ベースコーラス人間椅子メンバー。 顔の左右に作りものの白い顔面貼り付けて三面表現している。

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阿修羅像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 06:43 UTC 版)

興福寺の仏像」の記事における「阿修羅像」の解説

阿修羅像は三面六臂で、他の像と違って甲冑着けず、上半身は条帛(じょうはく、襷状の布)を着けるのみである。下半身には裙(くん、下半身に巻くスカート風のもの)を着け、足には板金剛というサンダル状のものを履く。合掌する腕の右前膊(肘から先)の半ばから先は後補である。当初肉身部と裙が赤、条帛が緑青彩られていたが、現状では褪色している。 1981年から1985年にかけて、財団法人美術院国宝修理所にて本像の模造制作された。模造造形松永忠興彩色復元加藤純子担当している。加藤調査により、本像の肉身部はもとは鮮やかな朱色であり、裳や条帛には朱色の地に緑青群青臙脂文様描かれていたことがあらため確認され模造では制作当初色彩復元されている。 本像の合掌する2本の腕のうち、右腕前膊部は、前述のとおり、明治時代補作である。このことに加え合掌した両掌の位置正中線からずれていること、曲げた腕のつくる角度明治時代古写真現状とで異なっていることなどから、「阿修羅像は本来は合掌していなかった」「明治時代修理によって、合掌する形に改変された」とする説が一部にあった。しかし、九州国立博物館などの研究チームによって行われた本像のX線CTスキャン画像解析結果制作当初の本像は現状同じく合掌していたとみられる曲げた腕のつくる角度明治時代現状とで異なっているのは、明治時代修理で、像の腋の下部分木屎漆こくそうるし、漆に植物繊維混ぜてペースト状したもの)を用いたことが原因であったアスラ阿修羅)は、もともと古代インド戦闘神・魔神であり、神々戦った攻撃的なであった。阿修羅像の作例として、中国では雲崗石窟10窟の三面四臂像(北魏5世紀後半)最古とされている。著名な作例としては、敦煌莫高窟249壁画西魏6世紀後半)中の、日月捧持して立つ四眼四臂の像がある(以上の作例一般に阿修羅像とみなされているが、異説もある)。日本では法隆寺五重塔初層の塑像群(711年作)のうち、北面涅槃群像のうちに阿修羅像があり、これが日本最古作例である。この阿修羅像は、釈迦涅槃立ち会う群衆一員として静かな表情表され左右第一手は合掌せずに膝上置いている。一方三十三間堂二十八部衆像のうちの阿修羅像(鎌倉時代作)は眉を吊り上げ、髪を逆立て開口怒号する姿に表される『北野天神縁起絵巻』承久本、鎌倉時代)や聖衆来迎寺本『六道絵』(鎌倉時代中に描かれる阿修羅は、赤色身で、弓矢持って帝釈天らの神々軍勢と戦う、戦闘としての姿に表されている。これに対し興福寺の阿修羅像は少年のような風貌で、わずかに眉をひそめた静かな表情表され戦闘神の面影はない。 2009年東京国立博物館九州国立博物館にて「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」と題する展覧会開催され、両館で計165万人以上という空前入場者数記録した。阿修羅像は、近代以降多く文学者知識人によってエッセー評論言及され和歌詠まれてきた。堀辰雄は、1941年10月当時奈良国立博物館寄託展示されていた阿修羅像に目を留め、その表情について「何処か遥かなところを、何かをこらえているような表情で、一心になって見入っている」「なんというういういしい、しかも切ない目ざしだろう」と描写している(出典:『大和路・信濃路』)。白洲正子随筆の中で阿修羅像の表情言及して紅顔の美少年眉をひそめて、何かにあこがれ如く遠くの方をみつめている」といい、6本の腕については「その蜘蛛のように細くて長い六臂の腕も、不自然ではなく、見る人にまつわりつくように色っぽい」と評している(出典: 随筆集両性具有の美』)。 このように単独言及されることの多い阿修羅像であるが、本来は興福寺西金堂に安置されていた、20数体仏像から構成される釈迦浄土群像の中の1体である。京都国立博物館本「興福寺曼荼羅図」を見ると、阿修羅像は西金堂本釈迦如来像向かって左後方立っていた。西金堂の諸仏は、前述のように、『金光明最勝王経』「夢見金鼓懺悔品」に基づき造像されたものである。本来戦闘神である阿修羅憂い帯びた静かな表情表されているのは、「夢見金鼓懺悔品」の所説に基づき阿修羅懺悔し仏法帰依した姿を表現したためであると解釈されている。

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