西川徹郞青春歌集―十代作品集とは? わかりやすく解説

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西川徹郞青春歌集―十代作品集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 08:51 UTC 版)

西川徹郎」の記事における「西川徹郞青春歌集―十代作品集」の解説

2010(平成22)年、道立芦別高校発行文芸誌「シリンクス」第23号(1965(昭和40)年)発表の7首、「シリンクス」第24号(同年)発表の5首、「シリンクス」第25号(1966(昭和41)年)発表の〈青春哀歌〉と題した85首に加え十代の日の俳句作品埋められた「草稿ノート」の端々書き記されていた〈青春哀歌〉を編纂し西川徹郎作家生活50年記念出版西川徹郎文學館叢書1『西川徹郎青春歌集十代作品集』(2010年西川徹郎文學館図書編集室編/書店)が刊行された。 文學館館長學藝員作家 斎藤冬海は、西川徹郎を<永遠夭折者>と称して西川徹郎論「少女ポラリス」1百枚書き下ろし本歌集の解説として載録した。 本書西川徹郞新城中学一年時に出会い道立芦別高校一年時にその姿を見た儘、行き別れとなって会うことの出来なかった初恋の少女寄せて京都龍谷大学修学経て20歳に至る西川徹郞10代後半期にのみ書かれた、桑野郁子という実在する一人少女寄せひとすじ思い貫かれ青春形見ともいうべき384首を収録した歌集西川徹郞はこれ以降一首たりと短歌書くことはなかった。いわば短歌という叙情詩形式を初恋の少女一人捧げたのである。(同書解説少女ポラリス斎藤冬海/高橋愁著『暮色定型西川徹郎論』1993年沖積舎) 西川徹郎著『西川徹郎青春歌集十代作品集』抄 君が死の夢を見し日に裏山藤の花のみ散り初めにけり 君が頬日の出づるかに染まりけり月は菜の花畑より出づ 看護婦に声振るわせて君を訊く病舎の窓の湖の青さ君がためひとり蒼ざめ裏山来て月見草摘み夜半かな 君が家見むとて丘を登りつつ撫子摘めば腕に溢れ秋風に荒家と化せし君が家夜毎犬の遠吠える家 白鷺の城のごとくにあるゆえに秋草にて寝て君を思はぬ 月寒の町に住むてふ病む君を一目見んと急ぎ来しかも たそがれ見知らぬ町をさまよひてたどりつきたる冬の停車場裏山青葉のさやぐなりわが青春育みし家 に頬を埋めて初恋の後の傷み堪ふものかな 少年淋しく揚ぐる凧の如き恋初めし日の秋風のわれ 死後我は盲化すにあるらむと友に語る日秋風の吹く 灯を慕ふごとくに君を慕ひをりの性かもの性かも 朝焼人知れずして消ゆるごと君ひそかに去りゆきにけり 瞼閉づれど開けど冥さは同じなり夜病みたまふひとを思ふ病むひとを思ひ夜空を仰ぐなり行くもなく飛ぶ鳥もなく * 無惨にも恋に破れて鳥辺野さめざめ泣き来し大工かも 鳥辺野に恋に破れて泣き来し大工の紺の瞳を思ふ 泣き濡れし君が手をとり清水の坂を下るや赤き日の暮れ 三日月微光濡れし君が頬半跏思惟の君なりしかな 星の出に剃刀研人月見草摘み摘み深き裏山行けまっ青夜空があれば口笛北上夜曲吹き鳴らすかな 遥かなる比叡の鐘を数へつつひとの恋しき夜となりにけり 君がため涙流る賀茂川の岸の星屑なりき 秋の風君が肩より南座の旗赤々と見え初めにけり 賀茂川へ幻の君を連れあるく夕陽映える南座の旗 京に来て淡き恋知る子となりし我を憐れみ秋の風吹く 泣きながら四条にて別れ来し君が名を呼ぶ浜千鳥かな 君と来て東寺の塔の尖端ひときわ暗き星を見てゐる 春雨濡れて急げば舞姫赤き袖さえ悲しかりけり 仄暗き傘の内より春雨濡れ乙女赤き見ゆ 如月祇園に紺の降れ夕べ淋しく君を思ふ祇園町花の匂ひをして降り初むみれば涙流るる * 月の出を待つが如くに君を待つ君影の花匂ふ喫茶店 白藤の花が匂ふと囁かば頷きたまふ君なりしかな 君が髪梳けばさやけきの香の町に匂ふとわれ囁き君に逢ひ別れて来れば白藤の匂ひの髪に滲みありけり 己が病む如くに君は病みゐたり川は夜空流れてゐたり 我は病みても君を忘れず君を恋はばまなうらに咲く幻の花 藤咲けば君の咲くやに思はるる思ひ出の山に一人登る陸橋登りて東のかなた見ゆ東に君の住む町あれば 初恋傷み堪へ月の出見てゐる大きな月出でたれば 君に逢ひその日海よりも轟くはわが胸に咲く月草の花 摘み摘みて胸に溢る撫子君に捧げむと来し野道かな 撫子の花が好きよと云ひしゆえ撫子摘みに野に出で来ぬ 日暮れまで野に居て君の香水の匂ひの花を捜してをりぬ ヒヤシンス薄紫咲きにけりはつかに星の瞬く似て ヒヤシンス夜空の星を映すかに心の庭に咲くは淋しき 汝が頬はヒヤシンスよりやや薄く青ざめてゐる降ってゐる わが胸に海の流れてゐるごとし恋はば胸より海鳥の発つ しらしらと朝降るを映すかに白かりしかの君が頬かな てのひらにのりてはかなく淡雪解け初むや君の命が如く初恋君と別れて来し日より歯磨き粉の匂ひして降ってゐる 歯磨き粉の匂ひして降ってゐる学校帰りの君の幻 歯磨き粉の匂ひしての降る朝君の幻美しきかな * 君が名を荒磯の岩が上に立ち汽笛如く沖へ叫べり 砂に書く君が名消しゆく秋の波幾たび君が名を書きしかな 砂浜の砂に遺せし君が名は波に消されて幾秋経たむ * 君へ文書きつつをれば夜は明けぬ郭公など鳴き初めにけり * 空知川の岸辺の町に君住むやそこはかとなき水の青さよ 平岸と云ふ空知の川の町に住む君を思へば雪降り初め埋もれ空知川こそ悲しけれ飛ぶ鳥もなく釣る人もなく 空知川埋もれて飛ぶ鳥なければわが胸の如く淋しき 雪國降る如くわが胸に君が面影棲む寂し雪國降る如くわが胸に君が涙の降りしきるかな 『西川徹郎青春歌集十代作品集』(2010年解説斎藤冬海/西川徹郎文學館叢書1/西川徹郎文學館図書本集室篇/書店) 西川徹郞記念文學館幾度も講演した作家森村誠一は、この歌集を〈凄歌〉と名付けて「啄木超えた青春歌集」(2018年西川徹郞研究第1集)と称び、近代文学及び伝承文学研究第一人者相模女子大学名誉教授 志村有弘は、「これほど哀切極まりない青春歌集日本の文学歴史存在したであろうか」(2021年西川徹郞研究第2集)と述べた同年世界詩人事典詩歌作者事典』(志村有弘編、鼎書房)に白楽天李白杜甫小野小町西行と共に詳細な西川徹郞傳が収録された。 2012平成24)年、志村有弘著『忘れ得ぬ 北海道作家文学』(鼎書房)が刊行され、同著に西川徹郞論「極北修羅」が収録された。 2013平成25)年、書き下ろし9017句を収録した14句集幻想詩篇 天使悪夢千句』(解説吉本隆明森村誠一書店)刊行同年9月7日内閣官房参与麗澤大学教授松本健一著『思想伝』(人間歴史社)出版記念集会(会場東京四谷「スクワール麹町」)に招かれ出席政治家仙谷由人(菅内閣官房長官)、ジャーナリスト田原総一朗続いて登壇し革命評論家松本健一」と題し講演を行う。 (2014年松本健一著『思想伝』出版記念集会講演録』人間歴史社) 〈文藝評論家西川徹郞新説金子みすゞ死の真相金子みすゞダイイングメッセージ2012(平成24)年、金子みすゞ生誕百年が過ぎながら未だ自死真相不明と謂われる金子みすゞの詩が語られる不審事態について、彼女自身書き遺した手書きの「全詩集」の精読に依って自死理由〉を発見し死後80年後にして初め自死深層を明らかとした西川徹郎論文金子みすゞダイイングメッセージ」が『金子みすゞ 愛と願い』(志村有弘編/勉誠出版)に収録された。日本近代文学研究第一人者筑紫大学名誉教授平岡敏夫は、西川徹郞のこの論文驚愕し金子みすゞは何故死んだのか─西川徹郞小論」を『修羅永遠西川徹郞論集成』に寄稿した日本文学史上八百年の難題方丈記 不請阿彌陀佛」の解明 同年日本文学史上最大随筆文学にして最も謎多き古典呼ばれる方丈記』中の難題不請阿彌陀佛」を『方丈記研究史初めて明らかとした論文念仏鴨長明─「不請阿彌陀佛」論」を『新視点徹底追跡 方丈記鴨長明』(志村有弘編)に寄稿鴨長明八百年の未解明問題を明らかとした。 宮沢賢治没後81年、「死にゆくとしラストメッセージあめゆじゆ」の解明 2014平成26)年、花巻市宮沢賢治イーハトーブ発行宮沢賢治学会会報」第48号巻頭論文「妹としの聲無き絶唱─『春と修羅』「永訣の朝」の「あめゆじゆ」とは何か」を発表宮沢賢治没後81年にして定説雨雪」説を翻し死に行く妹としの末期絶唱がこの詩の本質なのだ。」「あめゆじゆとてちてけんじや」の「あめゆじゆ」は阿彌陀梵語(アミタユスAmitāyus)」であり、妹としの賢治へのラストメッセージ」とする新説示して次のように述べる。 「としは彼(筆者註、賢治)の父殺しまのあたりにし国柱会入会前後苛立つ彼の心奥を知る唯一の肉親行間四度リフレーンされるとしの末期の声が「雨雪」などといった物であるはずはない。「あめゆじゆ」とはアミダの音であり、としと彼が幼少の頃宮沢家仏間父母と共に称えた念仏のことである。何故ならばアミダとは梵語アミターバ(Amitābha智慧無量とアミタユス(Amitāyus慈悲無量の意であり、「あめゆじゆ」とは正しくこのアミタユスに疑いない。「あめゆじゆ」とはアミダ原語「アミタユス(無量寿)」であり、死にゆく妹としの末期聲無き聲無聲絶唱が「あめゆじゆアミタユスなのだ」とする画期的新説発表以降全国からの驚嘆反響問合せ続いた第七日本一行詩大賞特別賞受賞 2014平成26)年、第14句集幻想詩篇 天使悪夢千句』(2013年書店)が[第七日本一行詩大賞特別賞]を受賞同年9月29日東京九段アルカディア市ヶ谷(私学会館)で開催された「日本一行詩大賞受賞式」へ斎藤冬海伴って出席した文学史上の最多発表作家 本に依って書誌発表句数総計2万3千を超え江戸期一茶1万5千、近代山頭火1万5千、虚子2万2千を越え日本文学史上最多発表作となった西川徹郞森村誠一青春緑道記念文學碑建立 同年西川徹郞記念文學館前の七条緑道森村誠一揮毫の「永遠狩人 森村誠一」と西川徹郞少年期短歌俳句自筆刻印した高さ3メートル日高青石原石の「西川徹郞森村誠一青春緑道記念文學碑」が建立された。 新城大學開校 同年5月31日新城大學開校記念講演会開催作家森村誠一は講題「小説神髄小説はなぜ書くのか、そして如何に書くか」を講演した会場となった文學館館内一階より三階屋上まで市民青少年聴衆溢れた新城大學文藝講演会は、それ以降第2回2016年4月23日館長斎藤冬海旭川トーヨーホテルを会場に、講題「日本文学史を照らす念仏者の心ー西川徹郎鴨長明源実朝」として開催第3回2017年7月8日文藝評論家学術博士小林孝𠮷の第3回西川徹郎記念文學館受賞記念講演・講題「青春文学西川徹郎内村鑑三」、第4回2019年9月14日哲学者日本哲学会会長野家啓一文藝評論家綾目広治第4回西川徹郎記念文學館受賞記念講演として、野家啓一が「「物語哲学」と西川文学」、綾目広治が「西川文学世界思想」の講題で、文學館会場開催している。 青少年教育社会教育活動 2019(令和元)年3月地方在住青少年市民為の社会教育活動一環として西川徹郞斎藤冬海設立代表となって新城大學文藝講演会や『西川徹郞研究』等の編集発行支えボランティアの会「西川徹郎記念文學館詩と表現者市民の会」(略称「文學館市民の会」)を創設した西川徹郎斎藤冬海は同会を代表し、自らその先頭に立ち青少年社会教育活動実践している。 夫人真宗学者で作家斎藤冬海(Saitou Fuyumi) [斎藤冬海西川裕美子プロフィール 斎藤冬海福島県会津若松市出身1980年日本女子大学国文学科卒。同大在籍中日本近代文学研究第一人者筑波大学名誉教授平岡敏夫私淑した。 1980年日本女子大学卒業後、短歌研究社編集部角川書店野性時代編集部等の勤務経て1989年大雪山系連なる極北の峠「新城峠」に在住する詩人西川徹郎結婚2006年北海道教育大学旭川校に入学學藝員資格取得2007年西川徹郎記念文學館館長學藝員本名西川裕美子としては1989年より淨土真宗本願寺派法性寺正信坊守本願寺派布教使。真宗学者。龍谷教学会議会員黎明學舎教行信証研究会講師作家・文藝評論家斎藤冬海としては、2002年より2003年まで福島県文学賞福島県福島民報社共催小説・評論部門審査委員ボランティアの会「西川徹郞記念文學館詩と表現者市民の会」創立代表。学術誌西川徹郎研究』『銀河LIVE』「西川徹郞学術研究叢書編集発行人。西川徹郞記念文學館選考委員西川徹郞&西川徹郞記念文學館HP銀河系通信ブログ版』発信人図書出版書店社主斎藤冬海名の著書に『斎藤冬海短編集』(書肆屋)、『月の出予報』(鼎書房)等。編著に『修羅永遠西川徹郎論集成』。共著に『金子みすゞ 愛と願い』(短編少女きりぎりす」、勉誠出版)。「秋ノクレ論─西川文学拓く世界」(『星月惨劇西川徹郎世界』、400書店)、「アイヌ文学作家」(『北海道文学事典総論30勉誠出版)「〈ひとつ〉の恋」(『金子みすゞ女性たちシンパシー50勉誠出版)ほか。

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